私が小学校4年生になったばかり、くらいの頃だったと思います。母がイギリスの文豪、シェイクスピア作品を子供向けに出版した本を買ってくれました。
子供向けの本のタイトルは、『ベニスの商人』でした。成人向けには『ヴェニスの商人』
『ヴェニスの商人』あらすじ
イタリアの都市ヴェニス(ヴェネチア)に住む若者バサーニオは、ベルモントにいる富豪の娘ポーシャに求愛しに行くための資金援助を親友の商人アントーニオに求める。
あいにく全財産をあちこちの船に乗せて投資中だったアントーニオは、高利貸しシャイロックから借りることにする。
シャイロックは、ユダヤ人であるがゆえに屈辱的な扱いを受けてきたにもかかわらず、
無利子で貸そうと言う。
ただし、期限までに返済できない場合はアントーニオの肉1ポンドを切りとるという条件を出し、アントーニオはその証文に署名する。
ベルモントでは、ポーシャは亡き父の遺言により、金・銀・鉛の三つの箱から正しい箱を選んだ男と結婚することになっていた。
「我を選ぶ者は、多くの者が望むものを得るべし」と
記された金の箱を選んだモロッコ大公と、
「我を選ぶ者は、己にふさわしいものを得るべし」と
記された銀の箱をあけたアラゴン大公は箱選びに失敗。
「我を選ぶ者は、持てるものすべてをなげうつべし」と
記された鉛の箱を選んだバサーニオが、なかに美しいポーシャの肖像画を見つけて
ポーシャと結ばれる。
一方、ヴェニスではアントーニオの船が一艘のこらず難破したとの噂が流れ、
金を回収できないと考えたシャイロックがアントーニオの肉を求めて裁判を起こす。
ポーシャは男装し、若き法学者に扮してヴェニスの法廷に現れ、裁判を仕切る。裁判官としてポーシャは、証文は有効だからアントーニオの肉一ポンドはシャイロックのものであると宣言し、シャイロックはナイフを振りかざす。
ところがポーシャは続けて、血のことは証文に記されていないので、血を1滴でも流せばシャイロックの命はないといい、形勢は逆転。シャイロックは殺人未遂の罪に問われ、財産半分を娘夫婦に譲ったうえ、キリスト教に改宗するよう命じられる。
その後、アントーニオの船が無事港に戻ってくる。
(『あらすじで読むシェイクスピア全作品』河合祥一郎著より抜粋)
シェイクスピアは、なんといっても、世界の文豪の中の一人ですもの。母が私に読ませようと思っても、不思議じゃありません。素直に読みました。毎回、読み終えたら母に感想を述べることになっていたのですが、(2歳頃から。本は1歳から毎月、与えられていた)嫌がらずに嬉々として話して聞かせていました。だって、これが上手くいけば、次の本を早く買って貰えたのですから!
後味悪かった本は、以前も書きましたが、『あんじゅとずし王』でした。「小学校へ通うようになり、幼稚園バスと違い、自分で帰ってくるから、世の中、良いおじさんばかりじゃない。声を掛けられても付いていかないよう、一見、優しそうでも怖い大人はいるから注意すること!」という意味を込めて選んだ、と母の後日談。
そんな母が何故、この本をチョイスしたのか、聞いたことはありませんが、恐らく「世界の名作、偉人の本を中心に」選んでいた訳だから、シェイクスピア作品も…と思ったことは間違いない!
小学生だった私が母に話した、当時の感想は…
「シャイロックはケチ! ずる賢い! 無利子(の意味が当時、分かりませんでしたが、そこは本の注釈と母の解説で)で貸すよ、といい人かと思ったら、とんでもない人だね。
でも、キリスト教徒になったら、いい人になれる…ん? えっ?? (それより先に読んだギリシャ神話が好きだったもので…ここは(・・?)
ユダヤ人は大富豪が多く、お金や商売が大事で、ずる賢いんだね」
シェイクスピアさん、あなたは罪なお方… 幼い子供に、こんなユダヤ人に対するステレオタイプを植え付けてしまったのですから。キリスト教徒は善、ユダヤ教は改心されるべき宗教だと物語の中に宗教のことまで入れ込んで…
シェイクスピアは、1564生れ、1616没。 (はい、当時、高校3年生だった、そこの貴方! ゴロ合わせ、覚えてる?)
この本が書かれてから、ヒトラーが登場するまで、相当の人々が少なからず影響を受けたのではないかと思うと…
そんな ”ユダヤ人像”を描いてしまった、「ベニスの商人」 本のタイトルも、「商人」ですから。タイトルは子供にとって、特に大事です。 低学年の頃は特に作家名は余り関係なく、タイトルで本を選んだり、読む前からイメージを膨らませるので。
このような感想を述べた私に母が何と答えたか、そこは覚えていませんが、その後、母が選んできた本(これが母選択最後となった本、自分の記憶では…)以前のブックカバーチャレンジ~小学校4年生編~でも取り上げた、『悲劇の少女、アンネ』でした。この母の選択は、本当に素晴らしい、と今、改めて思います。シャイロックの言動からユダヤ人像を描いた直後の自分にとっては、必ず読むべき史実でした。一人の少女が書く日記、という形が、その時点ですでに日記を書いていた自分の心に強烈な印象を与えました。物事は、あらゆる角度から見なければならない、と子供心に学んだ気がします。とても自然な形で。 勿論、母という存在が大きかったですが。
そして~~~
ヴェニス(イタリアの都市)がヴェネチア共和国と呼ばれた頃の歴史を4年近く前に読み、(その前にオスマン・トルコ側、など主眼を変えて)あの遠い日、イスラム教徒の友人知人たちが、
「9.11テロの前に、アフガニスタン侵攻、空爆が米国により行われたことは大きなニュースとして、オーストラリアでも(恐らく日本でも)取り上げられなかった。それなのに、何だ、この報道の仕方の違いは!」と怒りを露わにしていたことも、最初は 「こんなに犠牲者が出ているのに、なんてことを言うのだ」とショックを受けたものの… 確かに米国寄りの報道を特に不思議に思うこともなく、世界のニュースとして耳にし、受け入れてきたんだな、私」と良い意味で疑う、いや新たに学ぶきっかけとなりました。
今夜、NHKEテレで、ドキュランド『ユダヤ人救った動物園 ナチス欺いた知恵とは 園長一家の勇気と機転 感動と驚きの秘話』45分 が放送されます。ドキュメンタリーだと思いますが、私はこの映画バージョンを小倉昭和館で数年前に観ました。是非、皆様にも観て欲しいと思います。明日、終戦記念日には、同じ時間帯で、一人の少女がアンネフランクの足跡を訪ねていく番組も放送予定。ホロコーストから75年。是非とも視聴したい特別番組です。
以下は、今日の記事で取り上げた書籍の感想を過去に書いた感想&要約のコピー&ペイストですので、興味がある方のみ… すでにかなりの長文ですので、すみません!
『海の都の物語全6巻』、或は『ローマ亡き後の地中海世界 全4巻』と同じ著者、塩野さんによって描かれる同時代3部作のラストを飾るのがこの著書、『レパントの海戦』 古代ローマ亡き後も、東ローマ帝国、その後はビサンチン帝国と呼ばれ、キリスト教国家になったのちもヨーロッパに君臨してきた都、コンスタンティノープル。イスラム帝国としてヨーロッパに勢力地を拡大してきたトルコ帝国によって、コンスタンティノープルがヨーロッパから姿を消すという歴史的大事件が起きてから、118年後。ヴェネツィア共和国、ローマ法王、スペインの連合艦隊がトルコ帝国に初めて勝利した戦いが、レパントの海戦だった。
キリスト教圏にありながら、他宗教の信仰も認め、寛容な経済国家であり海洋国家として、トルコとも後進国である当時のスペインやフランスとも外交で渡り合い、国家の存亡の危機を乗り越えようとしたが、遂に滅びてしまったヴェネツィア共和国の歴史を先に読んでいるからなのか… 日本と共通点が多いからか… 『レパントの海戦』の場合、主眼をヴェネツィアに置いて書かれたというよりは、これまでのヨーロッパ側のみならず、イスラム圏であるトルコ帝国側、そして十字軍として関わったそれぞれの国の諸事情も踏まえ、描かれているのだけれど、どうしてもヴェネツィア共和国に肩入れしてしまう。…とはいえ、そもそも戦力を提供し、連合艦隊として参戦することに乗り気でないスペイン王からみて、厄介者であるからこそ参戦させた異母兄弟ドン・ホアンも魅力的に描かれている。ドン・ホアンの背後にいるスペイン王の最初の意図に反し、次第に連合艦隊をまとめる総監督として変化していく彼の心情も興味深い。なにせ、彼の心の変化こそがレパントの海戦に遂には踏み切らせ、キリスト教国家側に勝利を引き寄せたのだから。
戦術に対する各々の言い分や言い争い、中でもドン・ホアンが最もぶつかった相手がヴェネツィア人、ヴェ二エルだったが、ガレー船上で敵の返り血を浴びながら戦った彼らは、戦いの末に強い友情でお互いをたたえ合う。国土(イスラムの家)を拡大することを信じて疑わない当時のトルコ帝国に対し、国家の存亡をかけて参戦するしかなかったヴェネツィア共和国の諸事情は、この時だけは忘れ去られ、「イエスの名のもとに」戦った者同士、この時は精神的な海戦であり、力を合わせて勝利した高揚感が伝わってくる。度々ドン・ホアンとヴェ二エルの間に割って入り、うまくまとめてくれた同じくヴェネツィア人バルバリーゴだけが艦長クラスの犠牲者となった。この『レパントの海戦』の書を通して、トルコ側もスペイン側も法王側もそれぞれが主役として読めるものの、やはり全編を通して心に残るのは、バルバリーゴだった。あとに残された彼が愛した婦人とその子、男子の、ある日の風景も心に沁みる。レパントの海戦に勝利したことで、ヴェネツィア共和国はその後、70年間の平和を享受し、子供から少年に成長した息子と母にとっての父、バルバリーゴが望んだように、きっと平和な生涯を少年も母も送ったに違いない。あくまで想像でしかないのだけれど、更にその後、現実として訪れるヴェネツィア共和国の滅亡も、本を閉じるとひとときの間、忘れられたのだった。
哀しいことに、『レパントの海戦』におけるキリスト教国家の勝利は、トルコ帝国の衰退のみならず、大国として名を馳せた海洋国家ヴェネツィア共和国の衰退のきっかけともなったのだが…。
これより先に『コンスタンティノープルの陥落』 『ロードス島攻防記』も読んだが、たった今、読み終えたばかりの『レパントの海戦』の感想を先に記した次第。勝利から70年間、平和を享受したヴェネツィア共和国と戦後から70年の平和を享受してきた日本。トランプ新政権登場により、あの就任演説を聴いて、益々(以前、暮らしたオーストラリアであれば、白豪主義的な)50年以上も前へ後戻りしているようで不安が募る。70年という年月は歴史上では決して長いとは言えず、かといって短くも感じず… これから先、世界はどうなっていくのだろう。200年後、400年後、現代がどのように未来の歴史書に記されるのだろうと、遂、考えてしまう夜だった…。
古代ローマ史全43巻、ローマ亡き後の地中海世界全4巻、そして同時代を今回はヴェネツィア共和国側の視点から描かれた全6巻を読み終えた。現在はイタリアの一部となっているヴェネツィア共和国の一千年にも及ぶ長い歴史の最期は、古代ローマ帝国が滅亡する、その時を迎えた場面とはまた違う感情が沸き起こってきた。
国土のほとんどは海に面した沼地で人口は現在の福岡市と同じくらいの小さな国、ヴェネツィア共和国。同じく海に囲まれ、海を…或は沼地を埋め立てながら発展を遂げた博多、広島、札幌といった都市(…これについてはNHKブラタモリにて知った)とヴェネツィア共和国が発展を遂げていく過程で重なる部分が多い。海に囲まれたかつての海洋国家日本とだぶらせながら読むことが多かったせいか、最後のページに目を通した瞬間、思わず叫んでしまった。
「ナポレオンのアホンタレ~ッ! 何が 自由、平等、博愛の札を立てよ!じゃぁ~。ヴェネツィア共和国に勝手に圧力かけて、無理難題を押し付けて、「十人委員会など潰してしまえ~!」だよぉ。あなたが言う自由も平等も博愛も千年も前からヴェネツィア共和国には存在していたんだよぉ!それより先に滅亡した古代ローマにも… あの時代、唯一無二の政治も経済も成熟していたヴェネツィア共和国を占領し、分断して滅亡させるなんて… 東京裁判のイギリス代表判事なら間違いなくナポレオンこそ平和に対する罪で死刑!(実際は失脚後、島流し…『東京裁判』にてオランダ判事が言っていましたね…事後法で裁くのは誤っている。しかも、あのナポレオンこそ有罪でも島流しで済んでいるのだから、A級戦犯の死刑判決は間違っていると…))話がズレました‼
ヴェネツィア共和国と日本の共通点、それは、
①海洋国家であること
②国土が狭く、資源に乏しいこと
③経済を基盤とし、原材料を他国から購入し、製品として再び他国に売っていた
④君主制が多かった時代、元老院、十人委員会を中心とした共和政で、一人に権力が集中することを極端に嫌った (ローマ法王に唯一、意見する、ノーと言うこともある国でもあった)
日本は多神教だが、ヴェネツィア人の宗教に対する考え方も似ている。すなわち、キリスト教に属したものの、
④決して狂信的ではなく、それゆえ宗教に対して、或は異教徒に対して寛容でいられたこと
⑤この時代にしては珍しく、政教分離が徹底していたこと
だからこそ、この時代のキリスト教国家、スペイン、フランス、ドイツ、のちにイタリアとして統合されることになるが、ジェノバ等とは違い、ヴェネツィア共和国は外交も経済を基盤とする国益を最優先し、時には異教徒であるトルコとも密約を交わすこともあった。このことが他のキリスト教国家から「裏切者」呼ばわりされることも。私が思うに最も古代ローマの寛容の精神を受け継いでいたのが、ヴェネツィア共和国。だからかな…1巻から6巻まで読み進める内に、古代ローマの衰退と滅亡を辿りながら感じた寂しさが再び襲ってきた… 最後はナポレオンに対する怒りだったが。
当時、ヴェネツィア共和国を取り巻く世界情勢としては…;
イスラム国家トルコは勢力を伸ばし、ヴェネツィア共和国にとって常に脅威だった。国土を拡大することに熱心だったスペインもヴェネツィアにとっては常に上手くやっていかねばならない相手であったことは明らか。加えてライバル国、ジェノバの存在も大きい。海賊業を営むイスラムの人々が意気揚々と「イスラムの家拡大」と、「作物が実った頃に」手っ取り早い利益を求めて海へ出ていったのとは違い、ヴェネツィア共和国は海と共に生きることを選択せざるを得ない状況下にあった。吹けば飛ぶような小さな国が生き残っていくため、どうしていたのだろう... ?
まず沼地を整備すること。とにかく国土が少ない。人口も少ない。国営でガレー船など増産することは出来ても、万が一、他国と戦闘になった際、船に乗り込む人が足りない。よって他国に応援を頼む交渉技術がいる。要塞を築き、守りを強固にすると同時に戦闘を避けるため、外交に力を入れている。今なら何処の国も他国に駐在員がいるが、これを最初に始めたのもヴェネツィア共和国だった。
あらゆる国の人々が行き交うヴェネツィア共和国はヨーロッパで一番と言われる情報網を持っていたらしい。また宗教に寛容で亡命者も受け入れたことから、情報網のみならず、敵対関係にある国の人々ですら、ヴェネツィア共和国であれば安心だ!とお金をこの国に預けることが出来た。品物も人も情報もこうしてヴェネツィアに集まってくる。経済大国と呼ばれた戦後日本と繁栄期のヴェネツィア共和国は、重なる部分が少なからずあるように思う。ちなみに世界で最初に「銀行」を営み始めたのもヴェネツィア人だったそうだ。ただし、シェイクスピア作品、「ヴェニスの商人」に登場するような、担保を自分の肉としてお金を貸すヴェネツィア人など実際にはいなかったそうで、塩野さん曰く、
「シェイクスピアが誤ったヴェネツィア人のイメージを世界に広げてしまった」。ユダヤ人に対するシェイクスピアというより英国人の偏見が作品に投影されていそうだが、当時のヴェネツィア共和国は、ユダヤ人も安心して商売ができた国だったんだろうなということはイメージ出来る。
偶然にも遂最近、ロシアのプーチン大統領が訪問し、北方領土返還は先送りで結局経済か…と思ったが、70年間ほぼ進展なしという状況の中、経済協力から人の交流を促進しつつ打開を図るというのもありなのかな、と思う。ヴェネツィア共和国なら、どう動いただろう…?
塩野さんの著書の興味深い点は、一般の歴史書なら取り扱ってもくれないようなことを本筋から脱線しつつ、分かりやすく小説のように解説してくれる点だ。例えば、世界で初めて(?)パック旅行なるものを企画したのも、(ヴェネツィア人に、その自覚があったかどうかは別として)塩野さん曰く、「聖地巡礼の旅パック旅行」これについては、是非、本をお読み下さいませ!
マルコポーロも、単純にイタリア人だと認識していたヴィヴァルディも実はヴェネツィア人だったんだ…オペラも演劇もファッションも(パリの前)ヴェネツィア中心だったんだ… 私は何て物事を…歴史を…文化発祥の地を知らずに今日まで生きてきたんだ! と思い知った読書の旅… だからやめられないのか
トルコ帝国で然程期待もされずスルタンとなったマホメッド2世は、先に読んだ『ローマ亡き後の地中海世界』を通じてある程度、どのような人なのか頭の中でイメージしていた。ローマ帝国の皇帝に憧れ、かの有名なアレクサンドロス大王と同じ栄光を夢見るスルタン・マホメッドに対して、ヴェネツィア人など当時の人々は、「領土に関しては現状維持で、守ることに費やすだろう。父を超えることはない」というようなことを読んだ。ローマ皇帝に憧れたにしては、野心的にただ領土拡大を目論び、獲得後は放置状態で荒れ果てた地としてしまう点など違いすぎる気もするが…。そんなマホメッドが東ローマ帝国の首都として千年以上栄えたコンスタンティノープルを地図上から消し去り、オスマン・トルコ帝国の首都としてしまう… 現在もトルコの都市であるイスタンブール。
ただ、私が最初にこの都市名を知ったのは、多分、小学生の頃「飛んでイスタンブール」という日本の歌謡曲だったっけ。エキゾチックな曲で、トルコぷんぷんな感じ? 自分が生まれた時からイスタンブールは中東で、西洋文化との交差点のようなイメージだった。ずっとイスタンブールはイスタンブールのような気さえしていたが、かつてはローマ帝国であり、古代ローマ帝国のコンスタンティノープル皇帝がキリスト教国家と定め、その都市名もコンスタンティノープルと命名して以来、キリスト教国家の首都として君臨してきた。運命的にも最後の皇帝は創立者と同じコンスタンティノープル皇帝。白馬に乗って、「我に続くものはいないのか?」という台詞を残し、そのまま帰らぬ皇帝となったという。当時はビサンチン帝国の首都であったコンスタンティノープルで暮らすギリシャ系住民のみならず、古代ローマを起源にもつイタリア半島や、ガリア(フランス)、ゲルマン系の人々にとっても、都市陥落という物理的事件もさることながら、心のよりどころというか、起源としての祖国を失った心情的ショックも大きかったことだろう。
前評判を覆し、「ただ野心的なだけでなく、支配することに特別の野望を感じており、地理と軍事技術に最も強い関心を示す」(1983年 新潮社文庫 塩野七生:著『コンスタンティノープルの陥落』273ページ8行目)
これを機に、闘戦の仕方も変化している。騎士の時代から、大砲の時代へとシフトされた。日本でいえば、『大河ドラマ真田丸』で見た映像が思い出される。大阪城にイギリス製の大砲が一発飛んでいき、天守閣の一部が崩れ落ちた。コンスタンティノープルを囲んでいた要塞にも同じようなことが起こる。不落の城といわれた大阪城も大砲の威力には敵わなかったというよりは、一発の砲弾が人々の心を動揺させたように、「当時では最強の城壁とされていたコンスタンティノープルの三重の城壁を破壊したということだけが、ヨーロッパのすみずみまで伝わったのであった」(274ページ7行目)
ヴェネツィア共和国も他の西洋各国も新兵器の開発に乗り出す。(もちろん、西洋にはすでに大砲はあった。特にヴェネツィアは船に設置していた)ただ、この兵器の威力に注目し活用したのは塩野さんによると、マホメット二世が最初であったらしい。騎士が最も活躍した時代から、大砲によるアマチュア軍団に備えるべく、以後、ヨーロッパ諸国の城塞も大砲の威力をやわらげるものに変化していく。ちょうど真田丸を最後に甲冑をつけた武士が活躍した時代が終わりを迎えたように…。中世から近世へと移行していく地中海世界の歴史に触れながら、何故か先月、終わったばかりの『真田丸』の最後のシーンと重ねてしまうのだった…。