日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

残暑お見舞い申し上げます

2020-08-11 06:13:41 | Weblog

 九州地方は昨日より気温が1~2度下がる予報が出ていますが、全国的には猛暑のようです。コロナに熱中症対策…今年の夏は何かとしんどいですが、昨日、初めてツクツクボウシも鳴きました。確実に秋は近付いてきているのでしょうね。

 

 皆様、いつもなら(毎年)コメントが届かない筈の”戦争”に関する記事に、たくさんコメントを寄せて頂き、心から御礼申し上げます。1つ、1つ、大変興味深く、読ませて頂きました。今すぐお返事を書きたい衝動にかられますが、本日、今から仕事なんです。そういう訳で夜になります。

 コメントによっては、お返事では収まりきれない長さになってしまいそう~ 特に、一年生さ~ん! ありがとうございます。ほぼ同世代のご意見って、普段は殆ど聞けないので、興味深く読ませて頂きましたよー

 参考文献を上げて、この点については…みたいに書いていると、きっとダブルスペースで何十枚?のような分量に達してしまうわ~💦 ちなみに参考文献を上げるのは、単なる主観ではありません。こういう根拠があって、こういう結論に達しました、という証拠(?)一級資料などを上げるためですが…。

 私が過去に読んだ本、資料は殆ど図書館所蔵のもので、手元にありません。歴史関連をネットで調べることも普段、しません。出所が定かでないものが大半だからです。

 そろそろタイムリミットですので、仕事へ行きますね。

 皆様にとって、今日という日が良い一日となりますように… 💗

Comments (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノモンハン事件について 2018年8月23日の日記から

2020-08-10 12:39:25 | Weblog

 

 

ノモンハン事件

2018-08-23 13:30:59 | 読書

 ノモンハン事件について~ 書こう、書こうと思いながら、日数だけが過ぎていきました。

 

 毎年、8月になると戦争についてメディアが一斉に特集番組を組むことを『戦争月間』という、というようなことを新聞で読みました。8月以外は忘れているという皮肉も感じられる、とありましたが、それでも それまで全く知らずにいた歴史的事件、知れば知る程、「ノモンハン事件」は「事件」というより旧ソ連と日本の戦争と呼んでいい規模のものではないか?と。昨年はインパール作戦でしたが、今年、NHKが特集を組んだのは、第二次世界大戦に日本が参戦する前に起こった 「ノモンハン事件」についてでした。

 ノモンハン事件について当時の新聞は、”敵の戦闘機、〇〇機云々”と、関東軍が発表する数字をそのまま記事にしたらしいですが、詳細については、意図的に国民には伏せられていた、ということでした。『はじめてのノモンハン事件』著:森山康平(2012年PHP新書)より。以下、この記事の引用抜粋はすべて『はじめてのノモンハン事件』からです。本来であれば、複数の参考文献に当たるべきですが、今回は 無知な自分がノモンハン事件を知る導入部分として…ということでご了承下さいませ。メディアで観たこと、断片的に知ったことを次は実際に書物で読んでみたい、その事件が起こった頃、日本は世界の中で、どのような状況下にあったのか、もう少し詳しく知りたいと思ったことがきっかけです。

 

 ノモンハンは何処にあったのか?

 

当時の地図です。(51ページ)清王朝が倒れた後、中華民国へ、そして上記の地図が中華民国は認めないにしろ、当時の日本の認識地図ということになるでしょうか。

事の始まりは、モンゴル(…とはいえソ連)、そして満州国(日本、もっと細かく言えば関東軍)の間に、国境線を巡る ”いざこざ”が存在した、というところから。

  53ページより抜粋

日本側が主張する国境線はハルハ河。帝政ロシアが1906年(明治39年)に作成した地図や中華民国参謀本部が1918年に作成した地図を根拠としたそうです。 一方、ソ連とモンゴルが主張する国境線は清朝時代に紛争が絶えなかったハルハ族とバルガ族の勢力争いを清王朝が1724年に調停し裁断したラインなのだそうです。ハルハ族はその後、モンゴルという国を作り、バルガ族は満州国に組み込まれたのだから、その境界線が そのままモンゴルと満州国の国境で治まっていれば良かったものを…と思うのは、自分が のちの世の人だからでしょうか。

 

 世界情勢における当時の日本の状況はどうであったか、というと…

支那事変(1938年10月、ノモンハン事件の前年)

こちらは「事変」ではなく「日中戦争」と現在は呼ばれていますが、米国(ハルノート)の日本に対する輸出規制等により孤立を深めていた時期。当時の日本軍は日中戦争の最中で、蔣介石は村一つを水没させ、自国の人民の命を犠牲にしてでも徹底抗戦。戦闘機等近代兵器を持たない当時の中国に対し、地上戦のみならず、日本陸海軍航空隊は重慶を空襲していた…これにより市民4300人が死亡。参謀本部の稲田大佐は、中国に勝つことを最優先とし、このような時期に、「ソ連との大規模な戦に発展するかもしれない紛争を引き起こしてはならない」と強調。(78ページ11行)

 参謀本部稲田大佐

何処に書いてあったか、誰の台詞だったかは忘れましたが、砂漠で何もない場所を多少つつかれたからと言って反応するな、たいして違いはない、放っておけ、近代的兵器を揃えるソ連を相手に戦えない、それより中国だというのが、その頃の参謀本部に流れる空気だったようです。

最初は関東軍司令部も慎重で、「ソ連蒙軍が一歩、国境超えしたからといって早急に、しかも不用意に出動するのは急襲成功の道ではない。」と出動に積極的だった小松原師団長に告げている。(84ページ)要するに出動は見合わせよ、ということだが、NHK特集でも触れていたように、はっきりと「今は出動するな!」と言わない、これが当時の「高級軍人のたしなみ」だったとか。今現在も、はっきりと物を言わないのが日本人の伝統的気質だとは思うのですが…。 このはっきりしない”曖昧さ””が 「独断専行のタムスク爆撃」を生み、更に極限になってくると、引くにひけない、No(ノー)といえない、全体主義的な心理状態へと次第に追い込まれていったのではないか…と。

 

「慎重論」に対し、辻正信参謀は、ありとあらゆる場面で一貫して「積極一撃論」を展開。

ソ連&モンゴルとの戦闘については割愛しますが、兵器も兵士の数においても圧倒的不利な日本が大敗し、司令部との連絡網も途絶えた中、戦場で指揮を執った井置中佐は脱出を決断。当初の司令部の命令は「陣地死守」。それは形式上は命令違反だが、停戦後、井置中佐は自決を強要されている。(267ページ)

戦後、「辻参謀があの場にいれば、どう戦ったというのか」と問うた人もいたらしい。

多数の参考文献からなる著書、「はじめてのノモンハン事件」を読む限り、折角、生き延びた戦場指揮官に対する自決の強要には、NHK特集同様、やはり疑問が残ってしまう。

NHK特集では、彼の身内がTV取材に答えていました。他に主犯がいる筈で、誰かの命令に従ったに過ぎないといった趣旨を述べていた通り、辻正信氏も戦後、著書を残しているので、それを取りあえず読まないことにはフェアではないと確かに思います。

 

2万人を超える死者を出したノモンハン事件終結後、日本は第二次世界大戦へ…という道を辿ることになるのです。

 

 

 

Comments (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうすぐ終戦記念日

2020-08-10 08:28:14 | Weblog

 

 

半藤一利:著 『昭和・戦争・失敗の本質』

2018-10-31 18:23:46 | 読書

 半藤一利 『昭和・戦争・失敗の本質』を昨夜遅くに読み終えた。『ノモンハンの夏』を図書館で探したものの見つからず。その代わりに選んだのが、半藤一利氏の著書の中から、この本を含め2冊。ざっと目次に目を通した際、『ノモンハン事件症候群』とあったので。なるほど、ノモンハン事件で負の意味で活躍をした?辻政信参謀が、ノモンハン以後も、いかにして日本を対米戦争へ、遂には南進すべし!と日本をミスリードしていったか?について知ることが出来た。「ガダルカナル」については又の機会に調べてみるとして~

 ノモンハン事件、そして開戦へと導いた責任者が辻氏の他にもう一人いる。服部卓四郎(はっとりたくしろう)中佐という。昭和16年、参謀本部作戦課の作戦課長に昇格、そして大佐に進級する。服部によって辻も中央へ呼び寄せられた。慎重派の作戦課長、土居明夫(どいあきお)大佐は猛反対したらしい。

 「絶対に駄目だ。君と辻を一緒にしたら、またノモンハンみたいなことをやる…」(p92 11行目より抜粋)

ノモンハンの時は、ソ連、中国が主敵とみていた日本は、辻&服部コンビによって東南アジア、対米英へ目を向けていったんた…。

 

 昭和14年、第二次世界大戦がはじまったことで、ソ連と停戦協定を結んだ日本。これまで知らなかったが、翌15年1月、陸軍中央に『ノモンハン事件研究委員会』が設置されていた!(P89) 報告書によれば、ソ連の近代兵器を揃えた軍に対し、日本のそれは、旧式。歩兵師団が砂漠を何百キロも歩き続ける。頼みは人力のみ。

…火力価値の認識いまだ十分ならさるに基因してわが火力の準備を怠り、国民性の性急なると相まち誤りたる訓練による遮二無二の突進に慣れ、ために組織ある火網により甚大なる損害を招くにいたるべきは、深憂に堪えざるところなり」(同ページ8行目~11行目)
 
夏に読んだ著書には、具体的な戦車等の数の対比があり、それらをみても戦力の違いは明らかで、その通りだわ… ソーダ瓶を戦車に投げつけるなんて戦法で、撤退も出来ず… 指令も届かず…やっと撤退して生き延びたら… 自決を迫られるなんて… と遂、感傷的になってしまうが、数値だけ単純に比較対比しただけでも、「火力価値の認識不十分」であり、「準備を怠った」ことが主原因。つまり杜撰な作戦計画と、それを指揮した辻参謀に責任あり。すたわち、ノモンハン事件の主犯に再び陸軍の舵取りをさせるなど、ナンセンスで無謀だと思った人は、例えば土居氏などいたにもかかわらず、作戦部長の田中新一少将は彼を切り捨て…
 
 
「ノモンハン事件の最大の教訓は、国軍伝統の精神威力をますます拡充するとともに、低水準にあるわが火力戦能力を速やかに向上せしむるにあり」
 
 
 結局は、精神論でまとめている。火力も増強したかっただろうが、資源がない日本。
 
ノモンハン事件が残したもの。それは、現代でいえば政界トップの不祥事が発覚しても、責任を取って自決、いや自殺するのは部下や秘書。官僚はつじつまを合わせるために資料を書き換え忖度する…。これこそ現代まで続く、ノモンハン事件症候群といえるのではないか。
 
 
追記:2020年8月10日 長崎原爆投下の翌日の朝に…
 
そして、ノモンハン事件症候群は、政府の対応を眺めていると、そのままコロナ禍にも当てはまる、と思ってしまう。
「直ちに緊急事態宣言を出す状況にない」と安倍総理。それだけ??
 
 何方か存じませんが、上記の記事へアクセスして頂き、ありがとうございます。『米国トルーマン大統領の日記』について書いた記事をコピー&ペイストしようかと思っていましたが、こちらを…。本当は、終戦記念日に書く予定でしたが、折角ですので今、書きます。
 
 今年のNHK特集では、広島に原爆が投下された直後の数少ない写真を専門家監修のもと、カラー化した写真や膨大な資料(主に米国側)が紹介されました。
 
「鼈甲の髪飾りが(頭蓋骨に)突き刺さっているのを見て、足元にあった遺体が母だと認識できた。魂が抜けたような放心状態だった」
広島原爆投下直後の写真に写っていた少女が、恐らく20年は経過した頃だと思いますが、インタビューに答える映像も残されていました。白黒写真がカラーになるだけで、こんなにもリアルに… テレビ画面を通して目にした瞬間、まるで心臓をえぐられたかのような衝撃が全身を襲いました。…まさに地獄絵…これが実際に生身の人間に起こったことだとは、信じたくない…
 
「逃げる途中、中学生の男の子3人をみた。その内、一人は片目が飛び出し、手のひらで支えている。思わず声を掛けると、僕らはこれ以上は…もう歩けないから、と答えた」
 
中学生の男の子… すでに高校生ですが、もし自分の甥っ子に同じことが起こったら…と思った瞬間、寒気がし、一気に体温が下がった気がしました。
 
 
もう一つ、私が視聴した今年のNHK特集、沖縄戦
 
 日本軍と一緒にいれば安心だろうと、行動を共にした一般市民の多くは命を落とした訳ですが、(軍による作戦でもあった)不発で死にきれず、乳飲み子と一緒に生き残ることが出来た女性の証言が紹介されました。
「…あの当時は生きられるとは全く思っていなかった」
沖縄の御国言葉ではなく、標準語に近い九州のイントネーションで早口で喋る元気な女性の声は、(当時はまだ戦後、間もない頃だったのだ)と思わせ、【75年が経過した今】とは明らかな違いを感じました。
 
 更にその数十年後、赤ちゃんは成人し、NHK取材班からカセットテープの録音を聴かせて貰っています。
「母の声です…」涙ぐみながら女性が語った日から今日まで。更なる年月が流れた訳ですが、戦後20年、30年、40年頃のNHK特集では、生存されていた方の年齢もまだ当然若く、かなり詳しく語られていました。
 
 戦後75年。当時を知る人が少なくなっていく中、戦争の記憶も朧気となり風化が懸念されますが、昔のNHK特集と新しく発見、或は公開された資料を基に再編集された今年のNHK特集は、目を背けたくなる映像も多数含まれてはいましたが、だからこそ!視聴する価値があるものでした。体験者の声ほど、胸に迫って来るものはない、と感じた今年の夏でした。
 
 改めて先の大戦にて、国籍を問わず命を奪われた数多くの人々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 
 
 本日は高校野球大会の日。 終息に向かう気配すら感じられないコロナではありますが、高校球児には思いっきり野球をして欲しいです。
Comments (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じれったい 安全地帯

2020-08-09 21:36:00 | Electone & Piano

 じれったい 安全地帯

80年代のヒット曲が、もっともしっくりとくるのは、自分がその時代に いわゆる”青春時代”を過ごしたからでしょうか~⁉

 中学生の時、安全地帯を知るきっかけとなった、『ワインレッドの心』

この曲は、ちょっと哀し気なイントロ~メロデイ〰は勿論のこと、歌詞も好きで、日記帳に書き留めたりしていました。

 その一方で、その他は意味も良く分からずに、というよりサウンドがカッコ良ければ、それで良し!でしたね… 当時の玉置浩二氏は、下済み時代を支えた妻がいながら不倫騒動の末、その時、噂になっていた女優ではなく! 私が好きな薬師丸ひろ子さんと結婚! 何故っ!?と思った矢先に 離婚… 私生活がお騒がせだったため、曲はいいのに… そんな雰囲気でした。私自身が複雑な気持ちを描いていたということかな。ひろ子ちゃんファンなだけに…ネ。

 その、薬師丸ひろ子さん。現在は、NHK朝ドラ『エール』で音の母親役で出演中。時代は流れたなぁ… 私もおばあちゃんになる訳です。

 今回は、fumiel-shimaさんに第二弾として送って頂いた、月刊エレクトーン1987年6月号から、3曲チョイス。その中の1曲目は、『じれったい』安全地帯です。

 

 私は2014年発売 (自分が購入したのは、20015年)ステージア02で弾いていますが、この楽譜が発売された当時は、新発売だったエレクトーン機種、EL - 500 と EL - 700 フロッピーディスクを使用していたんですよね?? 

 実は、5年程前、ヤマハ音楽教室で、このEL - 700を弾かせて貰ったことがあります。受付の人が、「空いている教室があるから、前の人のレッスンが終わるまで、練習してもいいですよ!」と。 それが、このエレクトーンだったわけです。このエレクトーンの方が、楽にベースが弾ける(私、中1年生から、全く成長していないので…身長のことですっ)、すなわち、足がベースに届くというか…楽でしたわ~ 昔のサイズの方が良かったなぁ。

勿論、フロッピーディスクの市販レジストは持っていないため、(あってもステージアで使用不可)そこは適当に好きなサウンドで弾いてみました。 コード進行がカッコイ~と短い期間での練習にもかかわらず、ルンルンで弾いていたのですが… 中盤で目立ち過ぎる左手ミスがあります、スルーして下さいm(__)m

 

じれったい - 安全地帯

Comments (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

君をのせて (grade 5) 『天空の城ラピュタ』より

2020-08-08 01:05:04 | Weblog

ふじのりんごさん、リクエストありがとうございました。偶然ですが、以前、弾いていたので再度アップしますね。この曲をギターアンサンブルの発表会に向けて、練習中とのこと! 

いつか『君をのせて』ギターバージョン🎸 是非とも聴かせて下さいね♪

 

君をのせて (grade 5) 『天空の城ラピュタ』より

 イラスト:井川 誠一 

井川誠一さまへ 

素敵なイラストを描いて下さってありがとうございます。

障害者活動センターで行われた昨年のサマーレクリエーション。(注;2009年夏)

                                                         

                     こころの色 キラキラ重なって 揺れる夜

 

職員は午後1時頃から会場作りのほか、出店の準備にそれぞれ分かれ、サマーレクリエーション開始時刻よりも早く来てくれた利用者さん数人と共に、忙しい。

私が担当したのは、地元の福祉大と専門学校生のボランティア学生4人と、利用者さんとヨーヨー作り、水の中で光る金魚と飴玉の商品袋詰めのほか、小学生以下の子供たちに配る整理券作り。(引き換え券)

利用者さんと一緒に、ハサミで切り取って、ノリ付けして…200枚くらい、作ったと思う。もう半年前のことなので細かいことは忘れてしまったけれど。

地元小学生屋招待客、地元の人達などの受付開始時刻は夕方5時。それまでにヨーヨーに水を入れ、ゴムを付け、光る金魚を水の中で泳がせて・・・。開始時刻にやってきた他の利用者さんたちも、交代で受付とヨーヨー釣りの係をする。

やっと準備完了♪♪

それぞれの役割を時間制で行う過程で、さまざまな利用者さんの こころの色を見せて・・・いや、魅せてもらった・・・・かな? 

中には、「利用者さん 対 スタッフ 心理戦」 みたいな笑えるものもあったけれど。

いつか書きたいと思っていたものが 井川さんのブログへお邪魔して「そらの物語」を読ませて頂き、思い出したので、本日になります。短いです。なるべく簡潔に書きますので、ちょっとお付き合いを。

 

 受付へ地元小学生や幼児の子供たちが来場すると、先を争うように「受付係」の福祉就労の利用者さんが声をかける。

「こんにちは♪ これはヨーヨー券と くじびき券です!」

それぞれ一人に一枚ずつ。 魚釣りのようにヨーヨーを釣ることが出来る出店では、福祉就労グループの利用者さん達が子供たちがやってくるのを待っている。

最初はたくさん係がいたのに、途中でみな、食べ物の出店へ出かけたり、ステージを観に行ったり。。。。

そして誰も居なくなった・・・・

 

という事態が一昨年は発生したので、そうならないように時間割通りに次の係の人は交代してください! と職員と注意事項を再確認。

この年は、誰もいなくなることはなく、皆、それぞれの役割を楽しんで行っているように見えた。 熱心にダダダダッ、、、、、と子供たちに券を手渡すシーン。あまりの利用者さんの勢いに、一瞬たじろぐ小学生もいたりして、一緒にやっていて面白かったし、笑えた。

夕方とはいえ、8月の残暑が厳しい日。 昼下がりの熱気が空気中に残っていて、誰もが立っているだけで汗ばんできた。

                                                                  

小学生が釣りを楽しんでいる横で、ちらっと私に

「僕もこれ、やってもいい?」

「後で・・・・ね。券が余ったら」

「ヨーヨーが余ったら」

「金魚が余ったら」

「まだ、券を渡した小学生が全員、釣りをしていないから」と呟く。

時間の流れと共に、日差しが傾くにつれ、受付へ何度も顔を出しては、同じ質問をしにやってくる利用者さんの数も増えていった。

中でも一番熱心だったのは、ウォーキングのとき、「結婚しようよ!」 「全部やめて、これにするよ!」と私の名札を指さしプロポーズをしてくれた利用者さんだった。

誰が渡したか定かではないものの、(多分、ボランティアで参加していた学生さん)『小学生以下の子供たちにのみ券を手渡す。利用者さんにせがまれても渡してはいけない』 筈の券を 彼は事前に手に入れて、15分ごとにやってくる。

これ、あるよ

ポケットから取り出し券をみせる。

そうねぇ。6時半頃になったら、いいかなあ」

その都度、説明するものの、待ちきれない気持ちは抑えきれないらしい。

小学生が楽しんでいる姿に、一緒に喜びつつ、(自分もしたいなぁ)って光る金魚をつんつんしたりする仕草から 心の色が伺える。

夜になると、メインイベントの花火が打ち上げられる。

待ってました! と言わんばかりに皆、天を仰ぐ。

 

周囲は暗くなり、水面に浮かぶ光る金魚は折り重なって輝きを増す。

夜空の花火と水面の金魚と、

色々な色が重なり合うように 一人ひとりの想いも幾重にも重なり合う。

単純な こころの色。 楽しそうだから、やってみたい。

綺麗だから歓声を上げる。 もっとシンプルに生きていけたら。

幸せって、単純なことを心から楽しみ、喜びに感じられる単純な感性がもたらすもののような気がした あの日の夜。

幼い頃は、確かに自分たちも、そうであった筈なのに。

お菓子一つを手の平にのせ、大喜びしていたのに。

いったい いつから冷めてしまったのだろう。

そんな瞬間に立ち合うことが出来て良かったと、今、思う自分が居る。

「もう時間を過ぎたし、小学生も殆ど会場には残っていないみたいだから、探しに行こう」

何度も『釣りがしたい』と申し出があった利用者さんたちを職員が探しに暗闇へ消えていく・・・・。

プロポーズの彼のほか、私の腕を強引に引っ張り、

「すずさんが すきですよ」と、すべて ひらがなでホワイトボードに書いて、私をうるっとさせた繊細な心の持ち主である彼女も。

(私の腕を力加減が分からず引っ張るので、多少、疲労感でうんざりしていた矢先の出来事だった。ちゃんと私の心理状態を読みとっているのだと、どきっとすると同時に嬉しかったものだ)

彼女は職員が会場内で見つけ出すことに成功! 

大喜びでヨーヨーをバン! バン! バン!!! 

あまりにも勢いがいいので、破裂してしまうんじゃ・・・と皆、心配顔。

 「もっと 優しくした方がいいよ」とアドバイスされつつも 本人は全く構わない様子で嬉しそうにヨーヨーをしながら会場を去って行った。

問題は、一番楽しみに夜がくるのを待っていた プロポーズの彼だ。

いくら探しても見つからない。 

両親の姿も見えないってことは・・・もう帰られたのでしょうねぇ」

残念ながら、彼の分は他の利用者さんが持って帰った。

 

そして翌日。。。。

わしの分がないよ」

ワシは昨日、最後まで会場にいなかったでしょ? みんな探したけど見つからないから、ほかの人にあげたの」

ワシ、最後まで居たよ」

いなかった」

いたぞ」

見つからなかった。また、来年ね!」

 

そう・・・・・。

 

半年後の夏。サマーレクリエーションで再会しましょう♪

 

 予定より長くなりました。最後まで読んで下さって、ありがとう。 すず

 

 

こころの色。。。キラキラ重なって揺れる夜

↑↑イラストレーター井川誠一さん、(絵本『ボクらのこころは なないろ きんぎょ』のイラストも担当。

そして『オージーメイト ~オーストラリア出会い記~』のイラスト、ことめさんのコメントをお読みになりたい場合は、リンク先を…

 

先日、絵手紙教室の先生の動画で、水風船(ヨーヨー釣り)の描き方が紹介されていました。

ヨーヨー釣りといえば、忘れられない~2009年、夏の思い出があります。障害者施設での殺傷事件など、痛ましい事件が起こったり、世の中、不寛容さが増していると感じているのは、きっと私だけではない筈… 今こそ、あのキラキラとした表情の皆のことを知って欲しいと思い、夏の日の思い出として、再度、あの日のまま、登場させました。どうか、お許しを…

Comments (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラフマニノフピアノ協奏曲第2番

2020-08-07 00:49:29 | Electone & Piano

ラフマニノフピアノ協奏曲第2番

 

Facebookで一度、過去にリンクしたことがありますが…

(現在はYou Tube動画と差し替えています)

5年程、前までは、クラシックといえば、ベートーヴェンの「ジャジャジャジャーン!」が真っ先に浮かぶ人でした。

NHK交響楽団のコンサートマスター、マロさんが、ベートーヴェンのような作曲家は他にいない。ジャジャジャジャーン!のように、この作曲家といえば、これ!と旋律が即浮かぶ、というものは…と、仰っていました。確かに そうそうない…ですよね。

ただ、いつの頃からか、(間違いなく、浅田真央さんがフィギュアスケートで使用曲としてから)

ラフマニノフ、と聞けば、ら~ら ら~ら ら~らららら♪ というメロディーが浮かぶようになりました。

大、大好きなラフマニノフのピアノ協奏曲第2番!

左手がとても難しいのですが、何とか形になった!と思った瞬間、とても嬉しかったものです💗 自己満足の思い出でした…

Comments (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【簡単絵手紙】誰でも描ける 修正ペンを使って水風船をかこう!

2020-08-06 00:58:29 | Weblog

【簡単絵手紙】誰でも描ける 修正ペンを使って水風船をかこう!

 

 絵手紙教室の先生が新しい動画をアップ!

紹介させてくださ~い

 準備するものは、筆ペン、ハガキ、絵の具、絵の具用の筆、そしてー

修正液! 水をはじくのに使うのですねぇ。 

修正液で描いた箇所は、白色のまま… 

では、御視聴下さいませ

私もその内、やってみようと思います👍

 

Comments (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Classic♪ 母が好きな曲

2020-08-05 05:18:55 | Electone & Piano

 いつ撮影したか、定かではありませんが、過去の動画から2か月前、発見☆しました。

全体(ベースも)ご覧になりたい場合、過去に『美しく青きドナウ』と続けて弾いたバージョンがありますので…(汗)

願わくば、慌ただしい朝に、目が覚めることを祈って…

 

コメントありがとうございます! 仕事から帰宅後、ゆっくりお返事しま~す。ご訪問も、その時に。お楽しみは後で…

 

CIMG9860

Comments (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今回は自分好みの曲を…

2020-08-04 00:07:33 | Electone & Piano

 相撲が千秋楽… その翌日から慌てて帰宅する理由が無く…(ECCもコロナで夏期講習は今年度はせず、お盆前まで完全夏休み中…)

 今夜はエレクトーンの音量を最小にして、Madonna, 安全地帯、松田聖子(ちゃん)の曲を月刊エレクトーン(第二弾の箱)から少しだけ弾いて(練習)してみました。楽譜を見て弾く…とても久々な気がします。ただ、明日はロングデイとなる予定なので、エレクトーンは弾けそうもなく… 週末に練習出来たらいいかな~

 この数週間、皆さんがコメント欄で上げて下さった曲を即興或は耳コピで弾いてみて、こんなに真剣に音を聴いたことがあったかな?と。 これはこれで面白い体験でした。

 そして来週からは、しばらく楽譜を読みながら弾く、という練習を再びやってみようと思います。読書もしばらくしないでいると、本を読むスピードが落ちるのと同じで、楽譜も定期的に見ていないと、読めなくはならないものの、ピピっとこないので。

 加古隆さんの曲を弾きたいものの、5級で難しいため、後回し… (めいっぱい手を広げるため、手が痛くなる)

 そして今回、ここにアップする動画は、自分のお気に入りの楽曲です。(のびたさん、今回はベースも見えますよ…

 

CIMG9645

Comments (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の庭

2020-08-03 19:46:20 | Weblog

宿根ガザニア・ソフトクリーム (さざんかさんによると♪)

今日も暑かったですねぇ。

2リッターくらい汗をかいた気がします。

立っているだけでも💦だらだら~なのに。動くと滝のように流れてくる…

早く終わりたい更年期っ!

デプラデニア(fumiel-shimaさんによると)

長雨のあと撮影。あの時は雨にうんざりだったのに、今、雨粒に濡れた花を見ると、「あの頃は涼しかった!」と思う私。 贅沢~ 我儘~ いかんわ~ 太陽も雨も適量が良いが…。

母曰く、ミニバラ…だそうですが、何者かにより、🍃葉を食べられてしまいました…

コリウス(コアジサイさんによると♪)

では、鶴瓶の家族に乾杯 『ブータン王国』を観ます。

 

Comments (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする