今回も、柳川の川下りです。
前回触れましたように、今回の帰省では、古賀政男と北原白秋の記念館を訪ねました。
大川市にある古賀政男の記念館に入ると、地元の方々でしょうか、皆さんの大合唱が耳に入ってきました。
“花摘む野辺に陽は落ちて・・・”。
曲は「誰か故郷を想わざる」、当時の歌手は霧島昇、作曲は古賀政男で、戦時中大ヒットした望郷の歌。
この曲の由来をネットで調べ直してみました。
古賀政男は7歳の時、故郷を離れ仁川に渡り、当地(韓国)で大学入学までを過ごします。
その間の故郷への想いを、後年、詩人の西條八十に話して作詞してもらい、これを自ら作曲してできた曲とのことでした。
(リリースは昭和15年)
記念館で聞こえた歌は、まさに古賀政男本人の、この地(大川、柳川)を偲ぶ歌だったのでした。
北原白秋もここ柳川の出身です。自然や子供など、情感にあふれた歌で一杯です。
なかでも童謡は有名な作品が多く、この道、からたちの花、城ケ島の雨、待ちぼうけ、雨、雨ふりなど、
いまでも歌い続けられています。
子供歌といえば、その当時以前は、わらべ歌や唱歌など、文語体で書かれたものが多かったそうですが、
白秋のそれは、口語調のところが特徴で、西條八十とともに、新しい童謡の草分け的存在だったとのことです。
北原と古賀、二人の天才の歌や曲を聞いていると、ただただ感嘆あるのみ。
ここ柳川一帯は、こういう二人を生み出し、育む何かがあるのでしょう。
両サイドから伸びてきた木々や木橋の下をくぐり抜け、周りの緑を一艘一身に浴びながら・・・。
前回触れましたように、今回の帰省では、古賀政男と北原白秋の記念館を訪ねました。
大川市にある古賀政男の記念館に入ると、地元の方々でしょうか、皆さんの大合唱が耳に入ってきました。
“花摘む野辺に陽は落ちて・・・”。
曲は「誰か故郷を想わざる」、当時の歌手は霧島昇、作曲は古賀政男で、戦時中大ヒットした望郷の歌。
この曲の由来をネットで調べ直してみました。
古賀政男は7歳の時、故郷を離れ仁川に渡り、当地(韓国)で大学入学までを過ごします。
その間の故郷への想いを、後年、詩人の西條八十に話して作詞してもらい、これを自ら作曲してできた曲とのことでした。
(リリースは昭和15年)
記念館で聞こえた歌は、まさに古賀政男本人の、この地(大川、柳川)を偲ぶ歌だったのでした。
北原白秋もここ柳川の出身です。自然や子供など、情感にあふれた歌で一杯です。
なかでも童謡は有名な作品が多く、この道、からたちの花、城ケ島の雨、待ちぼうけ、雨、雨ふりなど、
いまでも歌い続けられています。
子供歌といえば、その当時以前は、わらべ歌や唱歌など、文語体で書かれたものが多かったそうですが、
白秋のそれは、口語調のところが特徴で、西條八十とともに、新しい童謡の草分け的存在だったとのことです。
北原と古賀、二人の天才の歌や曲を聞いていると、ただただ感嘆あるのみ。
ここ柳川一帯は、こういう二人を生み出し、育む何かがあるのでしょう。
両サイドから伸びてきた木々や木橋の下をくぐり抜け、周りの緑を一艘一身に浴びながら・・・。