徒らゆき
お无ひやるこしのしらやましらねとも 悲とよ毛ゆめのこえぬよそ那き
(貫之)
(思ひやるこしの白山知らねども ひとよも夢にこえぬ夜ぞなき)
(高野切第三種(一部修正)(古今和歌集980番歌)の練習)
(半切縦4/5大)(画像処理によりフィルター掛け)
遅ればせながら新年おめでとうございます。
今年も楽しみながらアップ出来たらと思っています。
新年あけ早々の今回、少々長くなりますがお許しください。
『高野切』を書きました。
関戸本や本阿弥切古今集の練習をやっていた頃の拙ブログ(2016.2.29付)で
私は次のように記していました。
「高野切は、スタイル・気品良しの、いわば正統派の“ミス・日本”
関戸本は、書家(玄人)が好む“年増の女性”
本阿弥切は、肉感躍動する“ルノアールが描く女性”
といったところでしょうか」と。
関戸本は、書家(玄人)が好む“年増の女性”
本阿弥切は、肉感躍動する“ルノアールが描く女性”
といったところでしょうか」と。
書道の練習では、本来この高野切などから入るべきところを、身の程もわきまえず、
生意気にも自分は一挙に年増(女性の方に怒られるご時世かもしれません)に走り、
基本のところをパスしていたわけです。
今回はその原点に立ち返っての練習です。
その高野切、「和様の書」(2021.3.8付拙ブログをご参照下さい)によれば、
「和様の書が確立した十世紀から十一世紀にかけて、同じ時期に仮名(平仮名)も成立した。
その仮名の完成された姿を示すのが高野切である。
高野切は古今和歌集の現存する最古の写本であり、
仮名の最高峰として掲げられる記念碑的作品である。
高野切(第一種~第三種)を寄合書(よりあいがき)した三人は他の和歌集なども揮毫しており、
能書(文字を巧みに書く人)として活躍していたことがうかがえる。」と
説明されています。
その中でも第三種は、今回お手本にした
(日本名筆選5)「高野切第三種 伝紀貫之筆」(二玄社)の解説者・古谷稔氏によると、
伝貫之筆となっているが、現段階では確証のある説は出されていない、としたうえで、
「文字の造形美、線質の洗練美、全体を統(す)べる流麗な筆致、
といったすぐれた要素を備えた古筆であり、
王朝貴族の美意識を遺憾なく発揮した名跡といえるものである。」と。
なお、今回止せばいいのに余計なことを致しました。
それは上掲した歌の文言は高野切のそれとは2か所ほど変えて書きました。
高野切の方には(下傍線が修正部分です)
お无ひやるこしのしらねのしらねども 悲とよ毛ゆめのこえぬよそ那き
(思ひやる越のしらねの知らねども ひと夜も夢の越えぬ夜ぞなき)
となっています。
もともと歌の意味などよく分かりませんが、
それにしても高野切の方の歌意は何か判りにくいなあと思い、調べてみました。
原文(に近いとおぼしき)古今和歌集・後撰和歌集(国立国会図書館デジタルコレクション)には、
直前の歌から記せば
かへし 宗岳大賴
(979番歌)君をのみおもひこしぢの白山は いつかは雪のきゆるときのある
越の人なりける人に遣しける 紀貫之
(980番歌)思ひやるこしの白山しらねども ひとよも夢にこえぬ夜ぞなき
とあり、今回はこちらを書いたという次第です。
貫之が越の国(北陸地方)に赴任した知人に贈った歌で、
980番歌の大まかな歌意は、
越の国の(有名な)白山は想像するだけで実際は知らないけれど、
夢の中では越(掛詞)えぬ夜は一夜もありませんよ、ぐらいのようです。
素直に高野切だけを書けばいいのに! であります。
拙ブログ、この高野切第三種をあと数首続けます。
[補記]
昨年秋から今年にかけて読んだ本で印象に残ったのがあります。
それはいずれも林 千勝氏の著によるもので、
① THE ROTHSCHILD(ザ・ロスチャイルド)
②日米戦争を策謀したのは誰だ!(ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿・・)
③近衛文麿(野望と挫折)です。
①と②からは、
先の米国大統領選挙で垣間見た巨大な国際金融資本の動きなどを知ることができました。
世界の底流を作り、大統領選挙では不正も構わぬ剛腕な手段で
バイデンを選んだとされています。
今秋の中間選挙を見る場合の貴重な視点を教えてもらいました。
②と③には、
先の大戦における日本側の首謀者・近衛文麿の野望について、
一次資(史)料を駆使して詳細に述べられています。
相変わらずメディアは旧軍、それも陸軍が主導したように報道していますが、
近衛首相にとっては、東條をはじめとする陸軍も駒、
ゾルゲ事件の朝日新聞社・尾崎ら共産主義者グループも駒、
そして藤原鎌足を始祖にもち、歴代の天皇を外戚の地位から操ってきた藤原文麿(彼はこの印鑑を愛したとか)にとっては、
昭和天皇すらも駒として
自らの野望(驚くべき内容でした)達成のため利用しつくした、
そして国外勢力からは利用されつくした、
とする所論が展開されていました。
中でも、単純に歴代天皇の母親の姓を見た場合、125人中31人が藤原姓であること、
あるいは近衛首相が昭和天皇に政務を上奏するとき、
椅子の背にもたれて座り長い足を組んだまま、ときに組みかえて涼しい顔をしていた、
との指摘には驚きでした。
①②③とも、正に目から鱗の連続でした。
いずれ、もう少し詳しく触れたいと思っています。
長文失礼をば致しました。
今年も又色々な作品を楽しませてください。
さて今作品ですが、穏やかで優しい筆運びを感じました。
説明文を読んで何時ものことながら飽くなき向上心に関心をするのみです。
高野切、書を学ぶ人には常識なのでしょうが素人の悲しさ、その素晴らしさも、仮名手本学びのステップも説明を読むまで分かりませんが、作者の書、特にひらがな文字は優美で癒される感じがします。
補記にある林千勝さんのユーチューブは時々見ており目から鱗が落ちる状態は共感です。
押し付けられた世界史、昭和史から脱却したいと思い作者の解説を楽しみにしています。