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我が家のブーゲンビリア。
20年近く前に購入し、しばらく色を付けなかったのが、
10年ほどたったころからこのピンク色を付け始めました。
その後も変わらぬ色を放ってくれています。
今年は2度咲きで、初夏に咲き、今は秋咲きの真っ盛りです。
見事な“苞”と呼ばれる包葉。
それを咲かせた葉っぱは、すぐ傍で使命を終えて枯れゆく・・・。
なんとも対照的で、双方を入れた写真にしました。
この頃は消えゆく方に自分を重ねる・・・そんな日が多くなりました。
その今落ちようとする葉元には、新たな葉芽が顔を出しています。
ここにも“命”の引継ぎ舞台・・・。
・・・とここまで書いて準備していたところで、
先日(10月20日夜)ある民放BSで、あの巨大な医師「日野原重明氏」の特集をやっていました。
その中で、日野原先生は90代になられてから『葉っぱのフレディ 命の旅』をミュージカルとしてこれを企画し、
ご自分も出演されたとか。しかもニューヨーク公演までも。
この絵本「葉っぱのフレディ 命の旅」(レオ・バスカーリア作 みらいなな訳)。
タイトルは承知していましたが、恥ずかしながら読んではいませんでした。
ネットで大まかなところをみると、一枚の葉っぱフレディが大自然の中に生まれ死ぬ(枯れる)までの間に、
その親友ダニエルと交わした会話で成り立っています。
そこではフレディが質問し、ダニエルが答える形式で話が進み(以下()内はダニエル)、
生きることとはどういうことか(葉っぱとしての役割を果たすこと)、
死とは何か(自然が変わることの一つの現象)
いのちの永遠性とは(枯れた葉も土や水と一体になり、次の葉っぱを生み出す)
・・・というような、自然界や人間の根源的なことについて、含蓄に富んだ会話が繰り広げられています。
・・・とここまで書いて、再び入力の手が止まりました。
何やら私は自分がブーゲンビリアで準備していた内容が、
日野原先生を特集した番組で出てきた“葉っぱのフレディの内容”と、
たまたまその見方、視点において一致したことに喜びを感じている・・・そんな軽い自分が見えます。
ここまでは所詮理論の話であります。
本当に大事なことは、その内容、これからの人生そのものなのであります・・・これはこれは途方もなく難しい!
20年近く前に購入し、しばらく色を付けなかったのが、
10年ほどたったころからこのピンク色を付け始めました。
その後も変わらぬ色を放ってくれています。
今年は2度咲きで、初夏に咲き、今は秋咲きの真っ盛りです。
見事な“苞”と呼ばれる包葉。
それを咲かせた葉っぱは、すぐ傍で使命を終えて枯れゆく・・・。
なんとも対照的で、双方を入れた写真にしました。
この頃は消えゆく方に自分を重ねる・・・そんな日が多くなりました。
その今落ちようとする葉元には、新たな葉芽が顔を出しています。
ここにも“命”の引継ぎ舞台・・・。
・・・とここまで書いて準備していたところで、
先日(10月20日夜)ある民放BSで、あの巨大な医師「日野原重明氏」の特集をやっていました。
その中で、日野原先生は90代になられてから『葉っぱのフレディ 命の旅』をミュージカルとしてこれを企画し、
ご自分も出演されたとか。しかもニューヨーク公演までも。
この絵本「葉っぱのフレディ 命の旅」(レオ・バスカーリア作 みらいなな訳)。
タイトルは承知していましたが、恥ずかしながら読んではいませんでした。
ネットで大まかなところをみると、一枚の葉っぱフレディが大自然の中に生まれ死ぬ(枯れる)までの間に、
その親友ダニエルと交わした会話で成り立っています。
そこではフレディが質問し、ダニエルが答える形式で話が進み(以下()内はダニエル)、
生きることとはどういうことか(葉っぱとしての役割を果たすこと)、
死とは何か(自然が変わることの一つの現象)
いのちの永遠性とは(枯れた葉も土や水と一体になり、次の葉っぱを生み出す)
・・・というような、自然界や人間の根源的なことについて、含蓄に富んだ会話が繰り広げられています。
・・・とここまで書いて、再び入力の手が止まりました。
何やら私は自分がブーゲンビリアで準備していた内容が、
日野原先生を特集した番組で出てきた“葉っぱのフレディの内容”と、
たまたまその見方、視点において一致したことに喜びを感じている・・・そんな軽い自分が見えます。
ここまでは所詮理論の話であります。
本当に大事なことは、その内容、これからの人生そのものなのであります・・・これはこれは途方もなく難しい!
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と言ったところでしょうか。
私も自分の位置づけとして晩年と言うか第4コーナーを回ったと思っていますが、「過去には感謝、現在には信頼、未来には希望」と言う事で、難しいことですが、命ある限り何とか自分なりの希望を持ち続けたいと思っています。
豊かな心の安息を感じます。
使命を終えて枯れてゆく“苞”の立ち位置になるわが身、心の安息を求めなければいけません。