古稀からの手習い 水彩ブログ

人生の第4コーナー、水彩画で楽しみたいと思います

わがそのにうめのはなちるひさかたの・・・(大伴旅人)(万葉集 令和関連 梅の歌 )

2019-04-21 18:59:20 | 書道
わがそのにうめのは(者)な(那)ちるひ(悲)さかた(多)の
あめ(面)より(利)ゆきのながれくる(留)かも(裳)
(半切大)

わが園に梅の花散る久方の
天(あめ)より雪の流れ来るかも
 大伴旅人

前2回は、『令和』の典拠となる万葉集巻五の梅花の歌三十二首の序文(漢字)を書きました。
この三十二首の歌群は、当時大宰師(そつ)であった大伴旅人の邸宅に、
山上憶良(筑前の守)など後に筑紫歌壇と呼ばれた人たちが招かれ、そこで詠んだ歌とのことです。

今回の歌はこの宴の主人である大伴旅人の歌です。
大伴旅人は、後に本人自身も大納言まで務めますが、
万葉集の代表的な編纂者である大伴家持の父に当たる人とのことです。

なお、令月なる単語があることも今回初めて知り、4.8付拙ブログでは、
“めでたい月、何事をするにも良い月 陰暦2月の別称 太陽暦の2月にもいう”(明鏡辞典)(他の辞書も略々一緒)を引用し、
この2月に焦点を当てた表現にしていました。

ところが、その「令月」について、『令和』の提案者といわれている中西進先生のインタビュー記事が、4.17付読売新聞にでていました。
その中で先生は、同じく使われている中国のそれと対比させながら触れておられました。
中国の文書には「仲春令月」というのがあり、この場合は旧暦2月をいうとのことです。
一方この万葉集の「初春令月」は旧暦1月をいい、日本ではこの初春の1月こそ、麗しい月を愛でる季節なのだ、と解説されていました。
中国の文化をまねたのではなく、例えば2月を1月のものとし、「初春令月」を日本の言葉にする・・・。
これを取り込んで和風化し、光源を内に持つ日本の文化にすらしてしまう・・・とも。
どうやらここでいう「令月」は辞書に出ている前段の部分の意で、初春、仲春の方がそれぞれの時期を表すということのようです。
(晩春令月という言葉があるのかどうかはわかりません)

また先生は、この旅人の歌では“降る雪”を“流れる”と、すぐれた大和言葉で表現している、とも。

書道としては、半切に書く前、A4コピー用紙を縦方向1/3の巾の中で、鉛筆であれやこれやとデザインするのが最も楽しい時です。
全体の行の流れをどうするか。どういう字を使うか。見せ場をどうするか。
行、文字群、文字において、大小、太細、縦長と横広、傾きなどを、上下、左右の隣どうしをどう組み合わせるか。
墨の濃淡と潤渇をどう配置するか、などなどです。
とまあ一応考えはするものの、出来上がったものをみて、何だ、こんなものか!と嘆くのもこれまた書道であります。

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2 コメント

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Unknown (サガミの介)
2019-04-22 19:26:35
一目見て、濃淡の美しい書だと感じました。
解説を読んで、書く前の構想作りや細部の組み立てを考え制作に入ると知り、奥深さを認識しました。
令和の蘊蓄を教えていただきありがとうございます。
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Unknown (mori)
2019-04-21 19:17:20
いやいやご謙遜を!
まさに流れるような書だと思います。一字一字もさることながら、全般の力の抜けた筆の走りがお見事です。
返信する

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