バラ、カーネーションなどを描きました。
先週4月21日(木)から新しい教室(新百合絵画研究会)に入会させていただきました。
講師は小玉精子先生で、引き続きのご指導を賜ることに。
久しぶりの教室のこととて気がはやり、教室へ来る途中、マンションのカギの所在が分からなくなり、
到着早々、幹事さんのケータイをお借りして確認するところからの再出発と相成りました。
同会での最初の作品であります。
教室には3点のモチーフが準備されており、
そのうちの1点で、それは立派な花々をご準備いただいていました。
本モチーフ、現場で感じましたのは“淡い”華やかさ。
教室では正面に見える主だった花々を鉛筆で下書きし、
その内の2輪ほどに色を入れたところで時間終了、あとは我が家で描きました。
コッテリに走る自分としては、教室で感じた“淡さ”を
終始自分に言い聞かせつつの作業でした。
もう一つ気を使ったというより、その大事さを思い知らされたのが“全体としての構想”です([追記]参照)。
教室での流れを受け、正面の主な花数輪をただただ描いておりました。
が、その途中、あらためて全体を眺めてみれば、
平板的になったり、何かちぐはぐな絵になっているぞ、と。
そうだ! 最初の段階で、“全体としてこのように描こうという構想”がなかったことに気づきました。
その構想には、訴えたいもの、全体の構図、主役・脇役、立体感、遠近感、バックも含めた色の配置などなどがありましょう。
恥ずかしながら、今回私はダボハゼそのものの弊に陥っていたのでありました。
例えば、撮ってきた写真をみますと、
モチーフ全体の周辺部分についても実に細やかな配慮がなされていました。
その陰影や遠近感の表現について、何度も筆を重ねたことでした。
水彩紙は前回のステンレスボール(金属物)と同じ「ランプライト」(F4)です。
さすが厚さ(重さ)が300/㎡だけあって、上の修正にも相応に耐えてくれました。
教室で準備されていた他のモチーフも写真に収めてきましたので、
いずれ作品にさせていただきたいと思います。
[追記]
「成竹」という言葉があります。
拙ブログ「墨絵 黒竹」(2011.1.10付)で書いていますが、その意味は、
(竹の絵を描くとき脳裏に完全な竹の形を思い浮かべた後に筆をおろす意から)
「かねてから持っているしっかりした心中の計画。成算。」(日本国語大辞典)とあります。
この黒竹を描いた時に「描く前にしっかりとした構想をもって描けよ!」
と教わったはずでしたが、まだまだ自分は程遠いようです。
新教室への入会を機に、この成竹に再チャレンジです。
久しぶりの教室、高揚感良く分かります。私としては余りにも日々淡々としているものだから羨ましくて仕方ありません。カギの所在が分らなくなるくらい何かに夢中になり高揚したいものです。
感じた雰囲気を作品に反映させる作画過程の工夫や試行錯誤が大変な作業なのを説明され、納得です。
努力は報われる、「古希からの手習い」に必要なことと思います、生きとし生けるものすべてが題材になるのでしょうか、これからも描き続けてください。