昨日の御嶽山で見たと同様の石碑群が吉井にあると聞いたので早速
尋ねて見た。吉井町のHPの「町指定史跡」の項で確認して、上奥平に向う。
取り敢えず、板鼻から10号線で富岡に向い、「藤木信号」を左折
して東進する。途中、何本か分かれ道があるが吉井方面に進むと、何時の間にか
203号線に入り左に「上奥平公民館」のある角に「上奥平百庚申搭」はあった。
個人の所有らしいが、二つの岡を一杯に使った庚申搭群が道 . . . 本文を読む
吉井の里山を徘徊していると「羊太夫伝説」に度々出会う事になる。例の多胡碑
に書かれた人物が数多くの伝説を生んでいるのである。「――給羊成多胡郡――」
と書かれた羊氏、
かっては人名・方位・誤字・略字・省字等と言われたとの事であるが、
今は実在の人物と見て差し支えなく、羊太夫と同一人物のようだ。その上、この
碑文は帰化人の身として前代未聞の栄誉と感激しての、彼自身の手による記念物
と言われると妙に納 . . . 本文を読む
天気は良いが寒風が強い。とても山行きなどには適さないので近くの伝説の
場所を訪ね歩くことにした。佐野地区の新幹線沿線には伝説の場所が並んで
いるが、疎開の延長での中学・高校時代を含めてもう四十年も高崎に住んで
いながらこの地区を尋ねたことがない。船木観音国道17号線上りで佐野に向う。
とにかく上越新幹線の側道に入りたかったが、関越自動車道の側道のような
ものはないらしい。仕方なく城南大橋から2つ . . . 本文を読む
寺尾の五城址とは茶臼山城・山名城(寺尾下城)・寺尾城(寺尾中城)・根小屋城・
乗附城(寺尾上城)の事であるが、同一時代に城塁として築かれたものではなく
茶臼山城は先住民族時代からの遺跡を改築したものであるし、山名城(寺尾下城)・寺尾城(寺尾中城)・乗附城(寺尾上城)は新田義重時代と南北朝・尹良親王時代の築城、根小屋城は信玄時代の新設である。山名と根小屋は石碑の路にあって何回も行っているので
今回は . . . 本文を読む
城山団地を下って県道を横切り「ファリミーパーク」に向う。
古い研究書では永福寺北側の谷津を登って衣沢川が二分するところに挟まれた
尾根と書いてあるが、今の地形ではさっぱりわからない。パークにいる郷土
史家の横倉氏がパーク裏から寺尾城址に行く近道を教えてくれる事になって
いたからである。教えられた道は未だ使われていないパークの東北隅のゲート
脇の垣根を潜ることであった。
そこから敷地外に出ると、 . . . 本文を読む
三つ目の寺尾上城と言われる乗附城も地元の知名度は低く、多分知る人も
少ないだろう。勿論高崎市の地図を見ても道程は判らないがコロニーの
西に其れらしき山塊があるので大体の見当はついたが、取り付き口などは
見当がつかない。
念の為、乗附公民館に電話で問い合わせても誰も知らなかったが、たまたま
居合わせた或る区長さんが郷土史に詳しく、教えるから公民館に遊びに
来なさいといわれた。
早速、お邪魔して道順 . . . 本文を読む
元助遺跡に行くために石尊山から元の道に戻り、榛名駅手前の信号を左折して暫く行くと、右からの林道まがいの道があり、左に抜けて小さな四つ角を作っている。その角に木製の道標で「元助遺跡」とあるので、それに従って登っていくとほんの僅かで駐車場に出る。遺跡は右手にある岩戸山の中腹にあるらしい。竹薮の道を進むこと10分ほどの岩窟にそれはあった。
元助は秋間の百姓の長男であったが、家出をして伊勢・山田辺りを流浪 . . . 本文を読む
久し振りに石碑の路を歩き、石碑群と説明板を見て
歩いた。山名神社から始まる27ヶの石碑群はかって
拓本の修練中に水と用具を担いで通い詰めて以来
親しんでいる。初夏から秋に掛けては木に絡みついて
樹木を絞め殺す葛や脇道の雑草刈りのボランティアも
してきた。ここは「自然を守る会」「花を守る会」や
個人では山名団地の北村さんが手を入れているが、
雑草の勢いには勝てない。丘陵部分だけでも隣の
市民の森と合 . . . 本文を読む