クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

寺尾の伝説を訪ねて H-20-2-8

2008-02-09 14:58:04 | 伝説・史跡探訪
数年来、蟠りの事がある。新田義重の事、余りに各説があつて困る。
義重挙兵の場所は新田ではなく片岡・寺尾と言う事で一応は落ち
ついてはいるが、現存の寺尾中城は南北朝時代の物との判定で
義重の平安末期のものではないとされる。すると、当時は京に在住し
平宗盛騎下となって平家に摺り寄り、都での栄達を画策していた義重が
1180 年の頼朝挙兵後の九月末に平家の源氏討伐の指示を受けたのか、急ぎ
下向して寺尾で篭もって兵を集めたのは「舘」地区あたりから寺尾中城に
かけての要害堅固な地域なんだろうか。
だが、高崎市の現地の案内板は「浪合記」による尹良親王の居城としか
書いてないのは義重の城という証拠がないから?


この浪合記は尹良親王の息子・良王に従ったと称する人の子孫が
300年後に書いたもので良質の史料とは云い難い物語と酷評されて
はいるが、現寺尾中城祉と義重寺尾城が同一という証拠も又存在しないので
致し方ないかな。せめて東鑑が上州寺尾館ではなく西上州寺尾城とでも
書いていてくれたら800年間もご当地争いでゴタゴタしなくて済んだのに。
確かに長野県下伊那郡には2006年に阿智村に合併されるまで「浪合村」が
存在した。伝承による浪合の合戦で親王が没したところとか。地図を見ると
塩尻から伊那谷を通って岡崎に至る153線の沿線にある。
そこから左程の距離は無い151号線沿線の愛知県北設楽郡豊根村には
親王の御座所があつたとの伝説により、こんな立派な銅像が建っている。


それにしても高崎での「タダナガ」さんはあちらでは「ユキヨシ」さんと
云われているが本名は?爺イは「護良親王」の事を戦時下の小学校で習った
通り「モリナガ」と読むが、今は「モリヨシ」と云う、そんな類か。

暇潰しに寺尾の永福寺にある義重墓に詣でて事の詳細を本人から聞く事にでも
しようかと、爺イのボケ頭は既に800年も逆回転。
なに800年なんて僅かなものさ、75歳の爺イが11回も生まれ変われば
十分お釣りが来る年数だ、と嘯くようでは先はそう長くは無い。
寺尾に行く前に、一寸足を伸ばして先日の箕郷の石上寺、写真に写らなかった
石碑の刻字に上西氏に教わった方法を試みるため。道具は糊・濡れタオル・
水・軍手だけ。但し、標石と違って文化財石碑の苔を掻き落す訳にはいかない
ので効果は薄く、結果は良しとは云えない。
六地蔵石幢の北面にある三つの梵字、元々梵字を知らないから何とも云えず。


表に白衣観音が彫られた古道標の文字
辛うじて「相満山」とか「ガラメ湯」の「湯」、「マツノ沢道」の「道」が
写った程度。


急いで南に走行して完成した17号線の立体交叉を気分良く突っ走って
寺尾の永福寺。


不思議な事にこの寺には義重墓地へ誘導する一切の標識がない。
表示のあるのはこの梵鐘だけ。高さ106cm経64cmの銅製 1722年の作。


特徴は撞座に菊の紋章があること。この近辺には南朝・尹良親王関連なのか
菊水の紋所が見られるというから、関係あるのか?


墓地には二年前にも来た事があるので記憶を辿って本堂の左手から山の斜面に
展開する墓地群を一番上まで進む。歴代住職の墓所の西側にある筈
だったが様子はまったく違っていた。前回見たのは如何にも古そうな
五輪搭や墓と称する小さな板碑だったが

目にするのは、出来たてほやほやの感じの真新しい墓所。記載を見たら
平成十九年永福廿世建立とある。何とも味気ないピカピカにがっくり。


日当たりの良い墓地前で暫しの休憩。義重が昔を語る声が聞こえるような
錯覚を起しそうになる。

さて、寺の急坂を降りて寺尾中城祉に向かう。県道を少し吉井方面に登り
ファミリーパークの駐車場へ。広大な広場を東へ横切ると裏門木戸の
脇に「里山めぐり入り口」看板で遊歩道へ。


僅かの距離で城址下。ここに親王伝承の説明看板。


木段で台地に上がると


本丸跡、いやいや戦国山城ではないから「本城」とは苦しい表現。


正成の千早城想像画のような物だったのかな?
珍しい標石発見、「三級基準点」とあるがその役割は知らない。


暫く眺めてから強烈な西風の冷たさに辟易しながら駐車場に戻る。
寒い訳だ、雪雲が赤城を覆ってきた。


帰りは来たのとは逆に施設内を山手に進んで、狭い高崎遊歩道を
辿ったら「舘」信号に出た。周回のハイキングコースかも知れない。
義重関連は別項の予定。

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