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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

菊ヶ池・お菊の祠は雪に埋もれて H-20-2-11

2008-02-12 07:57:05 | 高崎・甘楽・藤岡方面
今日一日だけの小春日和の予報を信じて予定の甘楽へ。一応は雪対策で
スパッツと二本のストック。予定では菊ヶ池からお菊の祠、真っ直ぐ
熊倉山に登り上げて稜線で無名峠から天狗山。――の筈だったが結果は失敗。
取敢えず吉井経由で西進、福島で左折して197号に乗り換えて小幡を目指す。
大きく蛇行する雄川を二回も渡って宝積(シャク)寺看板で左折、寺院前から
先に行こうとしたら路面凍結の気配なので已む無く寺院駐車場から歩き出す。
(11.09) 


予定した登山口の東屋は僅か200㍍の先(11.16)。


入り込む水越沢右岸の作業道を見ると予想以上の積雪でやや緊張。


幾つかの堰堤を右に見ながら進み、左折予定の場所に来て愕然(11.36)。
沢が崩壊し大石が押し出していて道は完全に消えている。


上を見たら何たる事か? 沢が30m巾位に広がり大岩だらけで
取り付く島も無し。


足元にコンクリート舗装の破片もあるので場所は間違い無い。
50m程も沢を登って左右を観察するも作業道の気配すらない。進退極まって
元に戻り、もう一度観察すると、遥か上方に直経1㍍位のコンクリート管が
沢の中に転がっているのを発見。この類の管は林道と沢が交叉する時、
沢水を林道下に潜らせるのに使う筈。とすれば破壊されてはいるが
この広い沢の何処かに作業道があったという結論に達して再スタート。
今度は雑念を払ってゴロゴロ岩の間を縫って約200㍍位登るといきなり
作業道に飛び出した(12.06)。
良く見たら全てが理解できた。足元のコンクリート橋から下への道は
洪水のため完全に破壊され巾広の沢が出来ていたのだ。


一服の後、すっかり安心して前進するが、その先も結構荒れている。
この場所などコンクリート舗装が宙に浮いてしまって下が沢、完全に
ブリッジ状態(12.14)。通過するのに恐々。


再び、沢を渡って右岸に移るといよいよ杉林の中の蛇行道に入る。
林の中なので幸いにも雪が少ないが蛇行の一辺が長いのには辟易。
蛇行は東・南を四回繰り返さなくてはならないが2つ目の東端に
標識を見てホッとする(12.29)。


二つ目の標識を過ぎると雪か深くなるが暫くは平坦道。
第三の標識で分岐を右へ、


何時の間にか雑木林になつて雪は益々多く前途多難の予感。
四つ目を過ぎると左に鷲翎(シュウレイ)山が見えるが今日はパス。
の筈だったが、生憎の事にかって爺イが付けた鷲翎山へのテープが
目に入ってしまった。


まあ、行ってやるかと思い直して左手斜面を登り山頂(600m)へ。
若しかするとG氏の例の小型標識があるかも、と云う期待は
外れて図根点標柱だけ。古い方は雪に埋まって所在不明(13.00)。


さて、鷲翎山を降りると道は西向きになり明るい雑木だけの道。
途端に深雪になってギクリ。こんな格好でヨタヨタになる。


スパッツを装着しようとしたら片一方のファスナーが噛んでしまって
動かない。仕方なく片方だけの情けなさ。
ここからは北西に開いた吹き溜まりらしく雪は膝下まで。足の抜きが
うまく行かずに一歩の巾が僅かに30㌢ぐらい。遭難しそう。
西向きが終ると180度のヘアピンターンで東に向く。爺イはこの角を
展望台と称していて浅間から赤城まで見渡せるが枯れ木が邪魔で
写真にならない(13.25)。


何とか前進をと考えていたらカモシカの足跡発見。蹄の跡形から下って
来たらしい。その一歩毎の歩幅が丁度合うのでその跡に足を
突っ込んで進む。


もう菊ヶ池も近いので下ばかり見ては居られないが積雪で見付るかどうか
不安。何しろ表示物が無いので。
漸く大岩の集まった個所発見、間違い無く菊ヶ池だ。やれ安心(13.47)。


深い雪を掻き分けて岩場の上に登ると直ぐに観音像を発見。
持参した線香を手向けてお参り。


その脇に菊女慰霊碑、写真では文字が写らないが「空菊女の慰霊碑」。


岩山を降りて脇の道から祠を目指して又ラッセル。僅かの距離で
祠発見(13.55―14.14)


早速持参の蝋燭二本と線香を供える。


中には「金毘羅大権現」「菊池山神」と書いてある。


勿論、お菊話は伝説であり、「女性・針・蛇・池」の組合せによる伝承は
「古事記・三輪山神話」が原型で全国各地にあるとは承知しているが
丁度、小幡信貞が秀吉の小田原攻めに際して北條側の重臣として
小田原に詰めていた留守中の事でもあり、前田・上杉の北信越勢が南下する
時期でもあるので騒然たる城中で説話に似たような事件が起きたの
ではないか? 是に付いてはお暇なら下記URLをどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/3812fe021d2577058adb0e6e54f90d48
記帳のノートを見ると大勢の署名、横田昭二氏の名も、当然ながら
前回の爺イの名も。ここで遅い昼食としたが風も冷たいので帰路につく。
だが来た道は真っ平なので東のコースを採る事に。
往路で時間が掛かり過ぎたのでここから登る熊倉山は断念。
東へのコースは直ぐに杉林に突入するので雪は薄く、おまけに半凍結で
締まっているので下りである事も加味されて鼻唄混じり。
あっという間に林間の細道が終って道標のある林道入り口に到着。
(14.21)


林道はやはり深雪、この林道には分岐があるので登りの場合は上へ
上へで問題無いが下りは迷い易い。おまけにこの雪では危ないな、
と思っていたら何たる幸運、古い轍の跡があった。雪面から10㌢も
踏みつけられているので歩き易い上に迷う心配はなくなった。
雪が少なくなって天狗との分岐(14.50)。天狗もパスだ。


今度は泥濘の道、未だ工事が続いているせいか、舗装無しの道は
轍の跡で泥んこ。桜の広場の角では絶好の展望だが霞みが掛かって駄目。


んっ? 誰かに見られてる、と思ったら宝積寺による「仏様が見ています」
という自然保護の呼びかけ看板だった。利いてるな。


かなり下ると漸く舗装の道、良く見ると両側に雪が積みあがって
いるので工事の関係で除雪したらしい。


漸く彼方に出発点の東屋を見ると間も無く駐車場に無事帰着。
(15.29)、天狗分岐から40分? すると2.5K以上もあるのかな。


帰路は福島から197号線を北上し下高尾から10号線・18号線を乗り継いで
帰宅。吉井廻りに比べてやや距離は長いが市街地を通らないので
走行は快適。


雪対策を考えないと明日も降るといっているので駄目だが
今の所、良いアイデアは無い。「ヤマイタチ」さんの言う長靴も
今日位の深雪なら完全に潜ってしまう。長靴上からスパッツかな?
輪カンも良いが重たそうだし歩くにはより体力が必要かも。
近所にワイルドという専門店があるから聞いてくるか?

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
熊倉山 (kinichi koike takasaki)
2008-02-12 21:19:28
はじめまして。
昨年暮、焙烙峠を目指して、秋畑から車でまで乗り入れました。2キロも進んだところで、通行不能秋の台風で大きく崩れていました。
仕方ないので、工事関係者に話して邪魔にならないところに駐車して焙烙峠を目指す。くねくね道をショートカットして獣道らしき道を強引に登り、峠に着く。いかにもそれらしい雰囲気の峠。時間はたっぷりあるし、このまま帰るのももったいないので、峠から北西に伸びる尾根を進む。地形図で896Mと思われるところで、爺の字を丸で囲んだ記号のある標識が目に入る。そして熊倉山とある。
返信する
追伸 熊倉山 (kinichi koike takasaki)
2008-02-12 21:30:47
キー操作を間違えて途中で送信されてしまいましたので、追伸

ここからさらに東に伸びる尾根は小梨峠まで続いています。
小梨峠から亀穴峠までは2年前に歩いたので、今度はそのつもりで焙烙峠と亀穴峠の間を歩いてみたいな。

「丸に爺」の記号について、「甘楽の峠道」氏にメールで確認したら、「クタビレ爺」氏かもしれないとの回答。
その後注意してHPを拝見していたら、貴殿に間違いないと思いました。

小生60半ばの高崎市在住の少しばかり山登りと自転車とスキーに凝っているおじさんか、爺さんか判りませんが孫がいるんだから爺さんか、

楽しみに読ませていただいています。
返信する
熊倉山 (爺イ)
2008-02-13 08:57:11
Koikeさん
コメント有難う御座いました。「甘楽の峠道」氏とはamanoさん?
小生が峠道を歩くようになったのは、その「甘楽の峠道」を見て
「地図上の亀穴峠」を捜しに行ったのが切っ掛けです。
其の後、amano氏や小柏家の歴史に詳しい「里の風」氏等にご指導を受けながら今は東のグリーンパークC.C奥から発して小梨山―小梨峠―西小梨山―魔利支天山―鳥屋峠―亀穴峠―小柏峠―無名峠―熊倉山と繋ぐ吉井・藤岡、甘楽・藤岡の境界稜線が冬場のハイキングコースになっています。
このラインには多数の南北稜線・峠道が付いているので楽しめます。コース中の見捨てられたような可哀想な所には標識を
付けましたが、名前に自信の無いものは裏に「不都合の場合、廃棄可」と書いてあります。
当方、昭和一桁の老骨一人歩きなので一般に言う登山は
出来ないので無難な里山ハイクに徹しています。
今後とも色々と情報を頂戴致し度く。
返信する
回想 (egiko-ike)
2008-02-13 15:52:31
早速に感想を書いていただきありがとうございます。

さて2年前か、今頃の季節、近くの観音山丘陵は歩き飽きたので、吉井の奥山へと思い立ち、大判地の集落まで車で入りました。
持参したのは2万5千分の1の地形図のみ。多少雪があったが林道と思しき道を進む。道やらなにやら判然としなくなったところを、構わずのぼり、1時間ほど登ったので小梨峠から亀穴峠へと連なる尾根に出たと納得して戻りました。

後で判明したことですが、到達した尾根は目的の尾根ではなく、地図上で569Mの方向に北へ伸びている尾根でした。
このことはその2週間後小梨峠から亀穴峠へと歩いたときに気がついた次第。尾根の立ち木に目印のひもをつけておいたのが見当たらない。コンパスを持たないとこの規模の山でも迷ってしまいますね。

この2度目の里山探索は、こんなこともありました。大判地のダムサイトに車を置き、林道を小梨峠まで辿り、そこから西へ進む。今度はコンパス持参なので安心し順調に尾根を進む。
車に戻らなくてはならないので、尾根が南に直角に曲がる地点で、さて北へ伸びる尾根を下るべく、699.5Mのピークまで来る。それから先を見るとかなり状況が悪そうである。無理はいかんと戻って亀穴峠経由で上鳥屋の運動公園に降りてきました。
よく整備された道を本来降りるはずであった尾根を越えて大判地に下ればよいと判断する
この尾根までは問題なかったが、さて東側に下り始めると(勿論道はなし)最初は杉林でしたが途中から猛烈な竹薮に変わる。そしてところどころに石組みがある。その段差が1M半ほどの高さ。これは昔の豪族の館の跡かと勝手に解釈して更に下る。古い竹の切り株やら何やらで顔にいくつもの引っかき傷をつけほうほうのていでに降りられた。60過ぎの身体にはこたえた。 確かに山は荒れていますね。

出合ったおばあさんの話では、昔の館なんかないよ。あの石垣はつい最近まで段々畑があったんだけど、耕作放棄であっという間にあんな藪になったのだとのことでした。
低い山でもルート探しを求められますね。多少冒険かなと思っても、街に近く携帯電話が通じるので万一のことがあっても、その点安心。

いろいろ教えてください。

返信する
里山 (爺イ)
2008-02-13 17:53:53
随分歩かれていますね。里山愛好の士が居られるのには
心強い限りです。あの699.9m峰は三角点名は裡山ですが
頂上に魔利支天の碑がある事から便宜的に魔利支天山と
仮称していて流石の小生も標識は付けられませんでしたが
つい最近、ベテランの方が「天引山」の標識をつけました。
この山から北ヘの稜線は里山の醍醐味が詰まっています。
小コブや岩場・ヤセ尾根の連続で甘楽・吉井境界線ですから
そのまま進めば「甘楽幕岩」を経て朝日岳南峰に達します。
途中のNO.582境界杭から東斜面を降りれば大判地に
発する五人釜林道の最高点、NO.575境界杭付近の赤テープから東斜面を滑り降りれば大判寺橋近くの作業道、降りないで進むと甘楽天引森林公園最高点の東屋、そこから遊歩道を使えば公園園地。
更に北上してNO.519杭先から東に降りれば大判地手前の
木工所裏に出ます。
小生のブログのCATEGORYで吉井・甘楽は95編載っていますがその半数以上は此の辺の紀行文です。
一寸、お伺いしますがkoikeさんは山歩きのとき、小型リール状の物に目印紐をいれ、腰に下げた図版入れに地形図を入れて歩かれて居ませんか? お話の様子が小生がH-18-1-15に上鳥屋から699.5m峰を目指している時に途中でお会いした方に似ているので。
間違えたらごめんなさい。
返信する

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