天神山周回の散歩は終わったが未だ時間があるので付近の忘れられた古城の探訪に向かう。
目標は西の「雉郷城址」と北の「里見城址」。「雉郷城址」は箕輪城と同じく長野氏の
重要拠点だった「鷹留城」防衛の最前線だったし「里見城址」は信州草津街道の押さえであった。
両城とも永禄九年の武田勢による西上州最終侵攻の際、鷹留と箕輪間を遮断するために
武田勢によって箕輪城攻防に先立って蹂躙されている。
1. 雉郷城址
天神山登山口から農道を西に向かい、一旦はr-132に出て北に下り、ほんの僅かの距離にある
この判読不明の看板のある西への林道に入る。
途中の道標を見るとこの林道は「東猪ノ毛線」。極めて蛇行の激しい道を約1.6k進む。
やがて北側に曰くありげな金属柵。既にここは城址の一部、一郭から12郭に至る城址の
11郭と12郭の間を林道が通っているのだ。何かの貯蔵場所になっている柵の中は
第十二郭だが立ち入りはできないので眺めるだけ。
南には梅林が広がりその中に通路が出来ている。11郭から暫くは丘陵上の根小屋部分が
緩やかな傾斜で続いている。
通路の左右は手入れの行き届いた梅林、数本の木には梅の花が満開状態。
所々には遺構の名残か?幾つかの段差も見られる。
第九郭の入り口には二基の石宮がひっそりと。
食い違い虎口のような八郭を抜けると
山頂直下に出るがスニーカーの軽装では直登はし難い。
前面の七郭を巻く様にして右への蛇行道を辿る。
暫くで急速に東進に変わり七郭の東を抜けていく。
僅かの距離で右手に第一郭、その左に第二郭が近づくので三角点のある筈の
第二郭へ進む。
目印リボンの山頂に着いたが何の変哲もない唯の笹原で表示物は一切なし。
そう云えば高崎や安中の指定史跡リストには里見城址はあるが
ここの雉郷城址は載っていない。どんな差によって取り扱いに違いが
出るんだろうか?
笹原(32mx16m)の中に国土院の古い赤白ダンダラ棒と三角点を発見。
堂々たる大きさの二等で点名は「猪ノ毛山」373.71m。管轄は高崎市だが高崎には
二等三角点は四基しかないからマニアにとっては貴重品の類。
一郭との境にはこんな上幅8mの掘り切りがあるが一郭の主郭は北東に虎口を持つ
37mx15mの広さだが城址を示すものは矢張り見当たらない笹原なのでやや気落ち。
二郭から東には稜線に沿って六郭まで繋がるが深い笹薮に覆われ進行は不能。何しろ
何処に切り落ちが存在するのか分からないので極めて危険。折角の城址だが
この状態では間もなくその存在すら忘れ去られるだろう。
諦めて山頂を振り返りながら帰路に付く。
こんな山道をブラブラ下り
往路では素通りした梅の花を観賞したあと、車上に戻って次の里見城址に向かう。
2. 里見城址
この城の伝承は平安末期まで遡る。寺尾の主として爺イご贔屓のへそまがり爺イの
新田義重の三男・義俊の居館と言うのがその始まり。その数百年後、(1441)の
結城合戦で里見家は破れ上州里見氏は途絶えた。でもその前の1330年代には新田義貞も絡んで
伝承は豊富。
しかし、嫡男の義実は脱出し相模から海路を経て安房に落ち延び後に安房国を統一し、
房総半島を切り従えた戦国大名里見氏の礎を築いたとされる。この伝承には諸説が
あって疑問もあるがまあ、地元としてはそうあって欲しい話。
安房へ移住したその後の里見城については残念ながら不明、戦国時代には箕輪城主長野業政の
取り計らいで同じ上州桐生にある仁田山城の城主となっていた里見河内が里見城主となっている。
この里見氏は安房里見氏の流れと称するが実際はよくわからないらしい。長野氏が里見城の
統治を任せるにあたり旧領主の苗字を使わせた疑いもあるのだ。だが、とにかく里見氏が旧領へ
返り咲いたというかたちになったのだから詮索無用としよう。
そして長野体制の終焉は永禄九年1566年に訪れ武田軍により攻め落とされそのまま廃城となった。
再びr-132に戻り里見に下ってR-406に出る直前に東進する農道へ右折。この辺は果樹園が
多いので立派な農道が縦横に走っている。
僅かの距離ではっきりした道標に従って台地に上っていくと駐車場だがどう見ても既に
城址の一角。
指示に従って墓地脇を通過し
こんな所を通ると
広場になっている主郭。
入り口に高崎市教育委員会の表示物があってほっとはするが
何の遺構も感じない唯の広場を見ても残念ながら感慨は沸かない。
早々に退出すると近くに1974年建設という古い市営住宅、九棟3K42所帯と言われるが
賃料は驚くほど安いとか。この団地の中には地形図上は四等三角点・上里見が記載され
てはいるが近況は「不明」扱いで現物を探しても見つからない。経緯度からすると
建屋の中だから団地造成と共に撤去されたかな?それならさっさと地形図から
外せばよいのに。
団地の坂下には赤い鳥居多数の「城山稲荷」と奥の院があるがその謂れは良く判らない。
以上で散歩は終了。大分、気候も落ち着いてきたので低山歩きを再開予定。
目標は西の「雉郷城址」と北の「里見城址」。「雉郷城址」は箕輪城と同じく長野氏の
重要拠点だった「鷹留城」防衛の最前線だったし「里見城址」は信州草津街道の押さえであった。
両城とも永禄九年の武田勢による西上州最終侵攻の際、鷹留と箕輪間を遮断するために
武田勢によって箕輪城攻防に先立って蹂躙されている。
1. 雉郷城址
天神山登山口から農道を西に向かい、一旦はr-132に出て北に下り、ほんの僅かの距離にある
この判読不明の看板のある西への林道に入る。
途中の道標を見るとこの林道は「東猪ノ毛線」。極めて蛇行の激しい道を約1.6k進む。
やがて北側に曰くありげな金属柵。既にここは城址の一部、一郭から12郭に至る城址の
11郭と12郭の間を林道が通っているのだ。何かの貯蔵場所になっている柵の中は
第十二郭だが立ち入りはできないので眺めるだけ。
南には梅林が広がりその中に通路が出来ている。11郭から暫くは丘陵上の根小屋部分が
緩やかな傾斜で続いている。
通路の左右は手入れの行き届いた梅林、数本の木には梅の花が満開状態。
所々には遺構の名残か?幾つかの段差も見られる。
第九郭の入り口には二基の石宮がひっそりと。
食い違い虎口のような八郭を抜けると
山頂直下に出るがスニーカーの軽装では直登はし難い。
前面の七郭を巻く様にして右への蛇行道を辿る。
暫くで急速に東進に変わり七郭の東を抜けていく。
僅かの距離で右手に第一郭、その左に第二郭が近づくので三角点のある筈の
第二郭へ進む。
目印リボンの山頂に着いたが何の変哲もない唯の笹原で表示物は一切なし。
そう云えば高崎や安中の指定史跡リストには里見城址はあるが
ここの雉郷城址は載っていない。どんな差によって取り扱いに違いが
出るんだろうか?
笹原(32mx16m)の中に国土院の古い赤白ダンダラ棒と三角点を発見。
堂々たる大きさの二等で点名は「猪ノ毛山」373.71m。管轄は高崎市だが高崎には
二等三角点は四基しかないからマニアにとっては貴重品の類。
一郭との境にはこんな上幅8mの掘り切りがあるが一郭の主郭は北東に虎口を持つ
37mx15mの広さだが城址を示すものは矢張り見当たらない笹原なのでやや気落ち。
二郭から東には稜線に沿って六郭まで繋がるが深い笹薮に覆われ進行は不能。何しろ
何処に切り落ちが存在するのか分からないので極めて危険。折角の城址だが
この状態では間もなくその存在すら忘れ去られるだろう。
諦めて山頂を振り返りながら帰路に付く。
こんな山道をブラブラ下り
往路では素通りした梅の花を観賞したあと、車上に戻って次の里見城址に向かう。
2. 里見城址
この城の伝承は平安末期まで遡る。寺尾の主として爺イご贔屓のへそまがり爺イの
新田義重の三男・義俊の居館と言うのがその始まり。その数百年後、(1441)の
結城合戦で里見家は破れ上州里見氏は途絶えた。でもその前の1330年代には新田義貞も絡んで
伝承は豊富。
しかし、嫡男の義実は脱出し相模から海路を経て安房に落ち延び後に安房国を統一し、
房総半島を切り従えた戦国大名里見氏の礎を築いたとされる。この伝承には諸説が
あって疑問もあるがまあ、地元としてはそうあって欲しい話。
安房へ移住したその後の里見城については残念ながら不明、戦国時代には箕輪城主長野業政の
取り計らいで同じ上州桐生にある仁田山城の城主となっていた里見河内が里見城主となっている。
この里見氏は安房里見氏の流れと称するが実際はよくわからないらしい。長野氏が里見城の
統治を任せるにあたり旧領主の苗字を使わせた疑いもあるのだ。だが、とにかく里見氏が旧領へ
返り咲いたというかたちになったのだから詮索無用としよう。
そして長野体制の終焉は永禄九年1566年に訪れ武田軍により攻め落とされそのまま廃城となった。
再びr-132に戻り里見に下ってR-406に出る直前に東進する農道へ右折。この辺は果樹園が
多いので立派な農道が縦横に走っている。
僅かの距離ではっきりした道標に従って台地に上っていくと駐車場だがどう見ても既に
城址の一角。
指示に従って墓地脇を通過し
こんな所を通ると
広場になっている主郭。
入り口に高崎市教育委員会の表示物があってほっとはするが
何の遺構も感じない唯の広場を見ても残念ながら感慨は沸かない。
早々に退出すると近くに1974年建設という古い市営住宅、九棟3K42所帯と言われるが
賃料は驚くほど安いとか。この団地の中には地形図上は四等三角点・上里見が記載され
てはいるが近況は「不明」扱いで現物を探しても見つからない。経緯度からすると
建屋の中だから団地造成と共に撤去されたかな?それならさっさと地形図から
外せばよいのに。
団地の坂下には赤い鳥居多数の「城山稲荷」と奥の院があるがその謂れは良く判らない。
以上で散歩は終了。大分、気候も落ち着いてきたので低山歩きを再開予定。
箕郷町白川に住むササヤンと申します。
時々読ませていただき、大いに参考にさせてもらってます。
住宅地に近いところにも興味深いところがあるのですね。
MTBが好きで榛名山の南面、北面を走り回っています。
コメント有難うございました。貴兄のHPを拝見しましたが
そのスケールの大きさに吃驚しています。
かってドキュメントでテレビ放映された関野吉晴氏の
「グレートジャーニー」を思い出しました。
治安が悪い地域が多々ありますので海外は慎重に
やってください。ご健闘を祈ります。