四月並みの気温との予報が出たこの日、運よく5時間の余裕が出来た。
そこで予てよりの計画通り松井田町上増田字木馬瀬の「福寿草」と
松井田町五料茶屋本陣の「ひな人形展」を早回り。
最初は木馬瀬地区に自生する福寿草見物。ここは幕末、勘定奉行を
罷免された小栗上野介が領地の権田村(現・高崎市)へ引き
上げる際、ここに埋めた軍用金が黄金色の花となって地上に
萌え出たという伝説があるのだが間もなく86歳になる爺イにとっては
僅か151年前の事が伝説と云われても何とも苦笑い。
大体この話は一時期テレビ番組で何度も企画された徳川埋蔵金話の
一環である。
もう嫌になるほど聞かされたがそもそも埋蔵金の噂資料を纏めると
「幕府の将来を憂慮した大老井伊直弼により莫大な金を赤城山麓に
埋蔵することが企画され、直弼が横死した後、軍学者であった林鶴梁に
よって埋蔵が実施された。埋蔵された額はおよそ360万 - 400万両。
この額の根拠は、勝海舟の日記にある「軍用金として360万両有るが、
これは常備兵を養う為の金で使うわけにいかない。」との記述が
元と思われるーーーと来て極わめつけは「小栗忠順は機を見て埋蔵金を
掘り返し、幕府再興を画策する役を負っていた」となっているので
「小栗上野介が領地の権田村(現・高崎市)へ引き上げる際、ここに
埋めた」と誰かが言い出したんだろう。閑話休題。
R-18を西進し松井田バイパスの坂手前から旧道で街中を走り、西松井田
駅前信号でr-33(安中ー渋川線)に乗り換えて北の榛名山地に向かう。
国道を潜ると直ぐにこのルート唯一の天神山トンネルを抜けて倉淵方面へ。
蛇行道を延々と進むと右からr-216(長久保・郷原線)が合流。
その先で二車線の道の幅員が突然狭くなり、山地の林道並み。
台地から増田川に向かって急降に入り二つのヘアピンカーブを際どく
走ると大きな車道に降り立ち目立つところにあと0.8kmの道標。
いざ、増田川を渡たろうとしたら派手な注意看板、通行止めかと
観念したら数キロ先の事などで一安心。
僅かの距離で現地着、適当な駐車場も見つからないので路傍駐車。
この道標に従って小道を下る。
入口看板の前に来てギョッとする。宣伝では小山全体が黄金色に
輝くーー筈なのにそれらしき気配は全くない。時期が早過ぎなのか?
咲かなくなったのかは定かではないが。
小山の斜面を眺めても同じこと。
石宮の周辺も空振り。
反対側に降りて見上げても黄色の花は見当たらない.
足元に立った一輪、だが一輪を見に来たわけではないので無視。
前回同然の失敗と諦め半分で入口に戻って案内板を眺めたら
文字が擦れて読みづらいが「ここが見頃」との表示に気づいた。
それは少し離れた突起を指していた。
早速、もう一度小山を乗り越して山裾を回ってこの石造物の先に
進む。
と、新しい道標が山手への小道を指していた。どうやら「新裁地」。
小山の上に石宮、手前の木箱は賽銭箱?
その先の東南斜面の狭いスペースに群落発見。前回より狭いくらいだが
花影は濃い。
木馬瀬福寿草
やや満足して本日の爺イの画像をカーブミラーを使って撮り
次の予定地に向けて車上に戻った。
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そこで予てよりの計画通り松井田町上増田字木馬瀬の「福寿草」と
松井田町五料茶屋本陣の「ひな人形展」を早回り。
最初は木馬瀬地区に自生する福寿草見物。ここは幕末、勘定奉行を
罷免された小栗上野介が領地の権田村(現・高崎市)へ引き
上げる際、ここに埋めた軍用金が黄金色の花となって地上に
萌え出たという伝説があるのだが間もなく86歳になる爺イにとっては
僅か151年前の事が伝説と云われても何とも苦笑い。
大体この話は一時期テレビ番組で何度も企画された徳川埋蔵金話の
一環である。
もう嫌になるほど聞かされたがそもそも埋蔵金の噂資料を纏めると
「幕府の将来を憂慮した大老井伊直弼により莫大な金を赤城山麓に
埋蔵することが企画され、直弼が横死した後、軍学者であった林鶴梁に
よって埋蔵が実施された。埋蔵された額はおよそ360万 - 400万両。
この額の根拠は、勝海舟の日記にある「軍用金として360万両有るが、
これは常備兵を養う為の金で使うわけにいかない。」との記述が
元と思われるーーーと来て極わめつけは「小栗忠順は機を見て埋蔵金を
掘り返し、幕府再興を画策する役を負っていた」となっているので
「小栗上野介が領地の権田村(現・高崎市)へ引き上げる際、ここに
埋めた」と誰かが言い出したんだろう。閑話休題。
R-18を西進し松井田バイパスの坂手前から旧道で街中を走り、西松井田
駅前信号でr-33(安中ー渋川線)に乗り換えて北の榛名山地に向かう。
国道を潜ると直ぐにこのルート唯一の天神山トンネルを抜けて倉淵方面へ。
蛇行道を延々と進むと右からr-216(長久保・郷原線)が合流。
その先で二車線の道の幅員が突然狭くなり、山地の林道並み。
台地から増田川に向かって急降に入り二つのヘアピンカーブを際どく
走ると大きな車道に降り立ち目立つところにあと0.8kmの道標。
いざ、増田川を渡たろうとしたら派手な注意看板、通行止めかと
観念したら数キロ先の事などで一安心。
僅かの距離で現地着、適当な駐車場も見つからないので路傍駐車。
この道標に従って小道を下る。
入口看板の前に来てギョッとする。宣伝では小山全体が黄金色に
輝くーー筈なのにそれらしき気配は全くない。時期が早過ぎなのか?
咲かなくなったのかは定かではないが。
小山の斜面を眺めても同じこと。
石宮の周辺も空振り。
反対側に降りて見上げても黄色の花は見当たらない.
足元に立った一輪、だが一輪を見に来たわけではないので無視。
前回同然の失敗と諦め半分で入口に戻って案内板を眺めたら
文字が擦れて読みづらいが「ここが見頃」との表示に気づいた。
それは少し離れた突起を指していた。
早速、もう一度小山を乗り越して山裾を回ってこの石造物の先に
進む。
と、新しい道標が山手への小道を指していた。どうやら「新裁地」。
小山の上に石宮、手前の木箱は賽銭箱?
その先の東南斜面の狭いスペースに群落発見。前回より狭いくらいだが
花影は濃い。
木馬瀬福寿草
やや満足して本日の爺イの画像をカーブミラーを使って撮り
次の予定地に向けて車上に戻った。
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苦肉の策。