![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/f1/65b3589261f661b777b58302f6171af9.jpg)
そろそろ年寄りも山歩きできる陽気になりつつあるので一寸足慣らし。
先日、「隠居の思ひつ記」なる素晴らしいHPで「烏川の三石」なるものがあると知り
現地を訪ねる事にした。「和田の三石」は尋ねたことがあるが、爺イは永年高崎に
住んでいながら迂闊な事に烏川三石の中で誰でも知っているだろうと思われる
「聖石」でさえ、現物を確認した事が無いし、まして「赤石」や「川籠石」
などは全くの初耳。
自宅から一旦、R-17に出て聖石橋を渡って烏川右岸河原の駐車場へ。近くに
運動公園風のものもあるので駐車の車は多い。
取り敢えず、土手に登って北の対岸方面を眺めるがこの辺は碓氷川は未だ合流して
いないにしても川筋が二本に別れ中州を作っているので川幅は広くて其れらしきものは
何も見えない。
荒地を横切って分流の近くまで行くと、中州へ渡る橋などは無かったが
微かに赤鳥居が確認できた。現地は左岸の国道寄りの方が近いらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/aa/595e5d91f50dfa724368b083228c5006.jpg)
聖石橋の南の袂に行って見ると上流・下流側の親柱にデザイン画が埋め込まれている。
先ず下流側。「高崎観音と昭和初期の聖石橋」だか何だか違和感。赤矢印が
もしも聖石の積りならどう見ても石は橋の上流にあることになる。
「隠居の思ひつき」氏も「案内図では無いんだから」と言っているのでこちらも
詮索はしない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/10/9e596179a65f193046b3bedbe71a91eb.jpg)
聖石橋が永久橋になったのが1931年と言うから爺イより二年の歳上、この画は
2007年の拡幅工事のときに埋め込まれたものだろう。
上流側のデザイン画は「高崎観音と昭和初期の高崎駅」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/97/4ebab2639f57df8cd80b718c7c909dde.jpg)
ここから見る上流側の河川敷、公園風に整備されているがさぞかし工事費も
掛かっただろうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f0/9c74af6b55afa5e944c3ec824dd0fd71.jpg)
同じく下流側河川敷、こっちはやや未整備のスペースが目立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/14/7ee4241b3563d121598dcba25fd62e75.jpg)
橋の上からの眺めはこんなもの。ここから見る限り左岸にも本流を中州に渡る
橋らしきものは見当たらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c6/892e4982bd1265561c51401f18caacd2.jpg)
国道側から無理やりに河原に降りて防波堤の石積みを際どく伝わって川筋から。
榛名大噴火の時に泥流と共に流れてきたと伝わるこの石は諸国行脚の弘法大師
がこの上に立ったとの伝説から聖石と言い伝えられてきたらしい。
石の上に水神様の石碑と鳥居といわれるが写真では鳥居しか確認できない。
かって高瀬船が烏川から江戸湾に通っていた頃、ここが最上流の河岸で
この大石が船繋ぎの石だったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/56/3ed2a306dcb8d1de80d1e1ae951798ad.jpg)
次の目標「川籠石」を見るために、寺尾からR-30で東進して商科大学信号を左折し
「一本松橋」を左岸に渡る時、上流に其れらしきもの発見。
橋から直ぐに左折して工事現場に駐車。河原への降り口が中々見つからずやや苦戦。
漸く河川敷の畑に通ずる細道を発見して河原にでると目の前に巨石出現。
足場は最悪で移動できず図書館から借り出し中の松田登著・「下佐野史」の
「高山勇調査資料」の「佐野渡し船場」と同じ構図の写真を撮ろうとしたが
まったく無理。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/4b/f73cd9de4d9d6feb46bdd7e11b3f3951.jpg)
三つ目は真砂石とも言われる「赤石」だか、大体の位置は定家神社付近なので
上越新幹線の側道を北上し神社脇に路傍駐車。ここも河原への降口探しに
大弱り。漸くゲートボールに興じていた地元の方に教わって神社から100M位の
下手に下り道発見。
河原に下りて上流をみると目標が確認できた。荒地を慎重に辿って上流に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3f/98e03fbcf35f360ecf7f97a7324b5d7a.jpg)
突然、誰も居ないはずなのに「コンチワー」と声が掛かった。どうやらこの
中にセキレイなどの小鳥撮影の人が隠れて待機していたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1c/351572475c9d82a15d1ef718d3310a8e.jpg)
離れた所にもう一人、どうやら二人組みで来て交代で仮小屋に入るらしい。
待機氏と暫く雑談してから目標に接近して浅間をバックに撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/fb/c63cf93920f9f6052e3b83ebe14915d2.jpg)
上流には榛名山も見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e6/6f34391ba067108b67ce877201889e3d.jpg)
これで今日の目標は達成。あとはおまけの史蹟探訪。
定家神社へ。
何故此処に定家神社? は語りつくされているので省略。神社の全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/87/8dcb1270d9faca28d6032bb9212430e6.jpg)
足元に何か場違いの様な道祖神がポツリ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/6e/3cefa52a4b1820bd75353698769d68ee.jpg)
右の方にお堂か? 或いは小屋の様なもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d1/747b332e68dcb671b599c74c2f78efa9.jpg)
中を覗くと立派な彫りの仁王様が居るが何故か埃まみれで冷遇されている?
大体、仁王様は寺のものだから若しかすると明治初期の神仏分離令で
仏教色を一掃仕切れずにひっそりと残されたのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3c/4e847b9c4f687e12654f1d4be1b2bf8f.jpg)
同じく右手の木立の下に石が積み上げられてその上に歌碑。作者・年代不詳の
万葉集巻14の東歌。爺イにとっては「石碑の路」で御馴染み。
「佐野山に 打つや斧音の 遠かとも 寝もとか児ろが 面に見えつる」
天皇の行幸記念に建立されたものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/1f/470997ac25d41b649e24a0877bcba18e.jpg)
一寸した高みに石宮が数基。この境内には古墳が二つあり、この石宮と東の
芭蕉句碑のところらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5f/16d6b0892f7650d4f2ae64f8379fa667.jpg)
入り口の左側に石峰神社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/54/20ac8854c2971ac337b8ecc80b0097ea.jpg)
その裏に芭蕉句碑。「松杉を ほめてや風の かおる音」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/50/044e07f9355d03fd0bf583de8dc6db7e.jpg)
今度は神社前から東の細道で新幹線を潜って下佐野第一公民館。
隣に「放光神社」、つい最近の立替で真新しいのがかえって何となく奇異。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/05/d64cf1cbb3111fc1f3262adc6ed171f6.jpg)
脇に「史蹟 放光寺 放光明神跡」の巨大石碑。
かつての爺イのブログから再録。
「ここには元々「放光庵」という仏堂があったそうで、それが明治の初めに
廃されてその跡に「放光神社」が作られたと言われる。それよりずっと以前
には「放光山天平寺」という伽藍の整った寺があったとも伝えられるので、
有名な「山の上碑」に書かれた放光寺とはここであるとも言われる。
しかし、最近の調査では前橋市総社町の山王廃寺から「放光寺」と箆ヘラで
書かれた瓦が発見されたので山王廃寺が放光寺であるとする説が強いのだとか。
それでは境内の石碑の「放光寺跡」はどうする?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/48/57d4ab5005533380ed8f46575bab6685.jpg)
そして、今度は側道沿いに100M弱、「常世(ツネヨ)神社。言わずと知れた
北条時頼との伝説の佐野源左衛門の屋敷跡と称する所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/2b/e66feea832072b73dfccc8be8db874be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/4a/426f043a980b622b456962fc77190ba4.jpg)
社殿手前に「御自由にご覧下さい」の扉を開けると昔は教科書にも載った
名場面の絵。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8e/ea029c3813e598a6791f97d8221ecee7.jpg)
大きな記念碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/32/b78811f44397cc8c7479917aeb438056.jpg)
例によって社殿の中をパチリ。中には小さな石宮が鎮座している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/71/dc76fae31b2c4c718c735df2c31ed6cd.jpg)
帰りがけに鳥居の下部を見ると明確に屋敷跡と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/73/8d779293766d3a90a7ae81c2145c4b09.jpg)
車中に戻って車移動で城南地区へ向かう。
途中でかって探訪に来た事もある「佐野の渡し」。謡曲・舟橋と佐野の渡し説明板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/6e/4a639b4a9d2c378f18fdc8a5cc198d6d.jpg)
大きな縦長の石碑。1827年に延養寺・良翁が建立と伝わる。右にある某政治家の
石碑が誠に邪魔で無粋の極み。
写真では全く写らないが、上部は「船木観音」、その下に馬頭観音の線刻、
そして下段に万葉集巻14の歌。
「かみつけの 佐野の船はし とりはなし
親はさくれど わはさかるがへ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c3/6da1c4375fbc64f8c2ac2d5607b5d49a.jpg)
その歌碑の説明看板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/9e3fd777b45abe60c2455538136b0f25.jpg)
尚も車走行で一旦R-17に出てから「琴平神社」の細道へ。
道標は「コトヒラ」ではなく「コンピラ」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d7/3f273dc05794ec415c39d84a6cd26a7b.jpg)
参道のこの物は多分石の鳥居があった跡かな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7c/62da7bc1436379fdad72e29a92fd7861.jpg)
この神社には定家神社と同様に専用駐車場が無いので路傍駐車。
入り口にアレ? いきなり寺並みの山門がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/bc/db5e8ceadeebfa85d7e65fa7c7ce5c95.jpg)
中はこれは神社の象徴でもあり門守(カドモリ)と言われる随身装束の像。
よく観察すると背中に矢を背負っているらしいので多分「矢大臣」かも知れない。
まあ、大臣とは言っても「看督長(カドノオサ)」が実態。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/2a/850d2d066a5cdc810c0e84476d016a00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/19/46aa1664ca1428a6decc68f6ea7876c7.jpg)
門を潜って振り向いて吃驚。こちら側はお寺の仁王様と云うか金剛力士。
顔の表情は定石どうりの「あ」と「うん」。物の本に拠ると
「あ」は「那羅延金剛」、「うん」は「蜜迹(シャク)金剛」とか。
これも神仏分離令のとばっちりの姿かな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/5b/bd892913583b8a3da4c9c9e819de1edf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d6/8cde33073cbf01a346f2b9cd073542b1.jpg)
左手に天満宮。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/73/e07719ec1aaec7a5223fa2975170a83d.jpg)
奥に琴平宮、側に琴平神社のプレートが転がっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/3e/8a42580e7b67948e3f770224707a7cc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/53/574aff2fe68a6350f7fd4edf16568dbf.jpg)
説明看板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/cc/fc5faccdae7f1c37739ec471d692a7cf.jpg)
その少し右手の洞窟の入り口に烏天狗が見下ろしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a6/eae0b6da427377ff36e03540ca556e73.jpg)
洞窟の中にはこの琴平神社の前身の「和田稲荷」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/9d/83e5fcf1afe16628777d953789c3fe6e.jpg)
神社の本殿とその中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/3f/a65db6f824977b85a8b6a08798c810a2.jpg)
南に大きな「絵馬殿」があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/1b/0cf5089f6f8d030ce8d581efab995651.jpg)
壁面に多くの絵馬が飾られているが天狗関係が多い感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/cc/014b71e349308a24ca9bb6fffd1de98d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f3/c87701ae0d5fe80c748e4406a318f153.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a7/7d9dcb58e0cf6d2982bf420625cf2229.jpg)
社殿の右奥に巨大な宝筐印塔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/63/b5fa5cbfd6aef7864804ceef828589ae.jpg)
四面にはびっしりと銘文が彫りこまれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/fc/86438a586da34822544eefa4e8c97fef.jpg)
木立の中に弁財天。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/2a/f99deece1944dfcd3ad7b6546fd9b0a2.jpg)
隣の荘厳寺を見学してからこの辺を通っている細道の鎌倉街道を少し歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/96/c37f00d3b79b75e02f3be58cd24f05c9.jpg)
路傍に珍しい道祖神。1833年のものと言うから天明の人災・天災のための苦難の年。
双方とも僧形で珍しく離れて立ち、下部に雲の様なものがあるので
余り見る機会も無い「天孫降臨形」と言われるものかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/0a/f54f893779b04d77fb591dc037457ff9.jpg)
その僅か先に馬頭観音。台石が道しるべで「左ふじおか ちちぶ 右高崎」
だそうだが肉眼でも判読不能。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/a4/8e73f4023620e80ae6a92f2095ace1da.jpg)
更に進んで石の掲額のある鳥居を潜り太天神天満宮に参拝して本日終了。12.45。
13.000歩で足慣らしには十分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a5/88dca8f0f30cea9322ab64b7215f3c92.jpg)
参考資料
土屋喜英著・高崎漫歩 松田登著・下佐野史 内山真次著・徐徐漂たかさき
近藤章著・鎌倉街道 HP.隠居の思ひつき
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先日、「隠居の思ひつ記」なる素晴らしいHPで「烏川の三石」なるものがあると知り
現地を訪ねる事にした。「和田の三石」は尋ねたことがあるが、爺イは永年高崎に
住んでいながら迂闊な事に烏川三石の中で誰でも知っているだろうと思われる
「聖石」でさえ、現物を確認した事が無いし、まして「赤石」や「川籠石」
などは全くの初耳。
自宅から一旦、R-17に出て聖石橋を渡って烏川右岸河原の駐車場へ。近くに
運動公園風のものもあるので駐車の車は多い。
取り敢えず、土手に登って北の対岸方面を眺めるがこの辺は碓氷川は未だ合流して
いないにしても川筋が二本に別れ中州を作っているので川幅は広くて其れらしきものは
何も見えない。
荒地を横切って分流の近くまで行くと、中州へ渡る橋などは無かったが
微かに赤鳥居が確認できた。現地は左岸の国道寄りの方が近いらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/aa/595e5d91f50dfa724368b083228c5006.jpg)
聖石橋の南の袂に行って見ると上流・下流側の親柱にデザイン画が埋め込まれている。
先ず下流側。「高崎観音と昭和初期の聖石橋」だか何だか違和感。赤矢印が
もしも聖石の積りならどう見ても石は橋の上流にあることになる。
「隠居の思ひつき」氏も「案内図では無いんだから」と言っているのでこちらも
詮索はしない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/10/9e596179a65f193046b3bedbe71a91eb.jpg)
聖石橋が永久橋になったのが1931年と言うから爺イより二年の歳上、この画は
2007年の拡幅工事のときに埋め込まれたものだろう。
上流側のデザイン画は「高崎観音と昭和初期の高崎駅」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/97/4ebab2639f57df8cd80b718c7c909dde.jpg)
ここから見る上流側の河川敷、公園風に整備されているがさぞかし工事費も
掛かっただろうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f0/9c74af6b55afa5e944c3ec824dd0fd71.jpg)
同じく下流側河川敷、こっちはやや未整備のスペースが目立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/14/7ee4241b3563d121598dcba25fd62e75.jpg)
橋の上からの眺めはこんなもの。ここから見る限り左岸にも本流を中州に渡る
橋らしきものは見当たらない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c6/892e4982bd1265561c51401f18caacd2.jpg)
国道側から無理やりに河原に降りて防波堤の石積みを際どく伝わって川筋から。
榛名大噴火の時に泥流と共に流れてきたと伝わるこの石は諸国行脚の弘法大師
がこの上に立ったとの伝説から聖石と言い伝えられてきたらしい。
石の上に水神様の石碑と鳥居といわれるが写真では鳥居しか確認できない。
かって高瀬船が烏川から江戸湾に通っていた頃、ここが最上流の河岸で
この大石が船繋ぎの石だったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/56/3ed2a306dcb8d1de80d1e1ae951798ad.jpg)
次の目標「川籠石」を見るために、寺尾からR-30で東進して商科大学信号を左折し
「一本松橋」を左岸に渡る時、上流に其れらしきもの発見。
橋から直ぐに左折して工事現場に駐車。河原への降り口が中々見つからずやや苦戦。
漸く河川敷の畑に通ずる細道を発見して河原にでると目の前に巨石出現。
足場は最悪で移動できず図書館から借り出し中の松田登著・「下佐野史」の
「高山勇調査資料」の「佐野渡し船場」と同じ構図の写真を撮ろうとしたが
まったく無理。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/4b/f73cd9de4d9d6feb46bdd7e11b3f3951.jpg)
三つ目は真砂石とも言われる「赤石」だか、大体の位置は定家神社付近なので
上越新幹線の側道を北上し神社脇に路傍駐車。ここも河原への降口探しに
大弱り。漸くゲートボールに興じていた地元の方に教わって神社から100M位の
下手に下り道発見。
河原に下りて上流をみると目標が確認できた。荒地を慎重に辿って上流に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3f/98e03fbcf35f360ecf7f97a7324b5d7a.jpg)
突然、誰も居ないはずなのに「コンチワー」と声が掛かった。どうやらこの
中にセキレイなどの小鳥撮影の人が隠れて待機していたのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1c/351572475c9d82a15d1ef718d3310a8e.jpg)
離れた所にもう一人、どうやら二人組みで来て交代で仮小屋に入るらしい。
待機氏と暫く雑談してから目標に接近して浅間をバックに撮影。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/fb/c63cf93920f9f6052e3b83ebe14915d2.jpg)
上流には榛名山も見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/e6/6f34391ba067108b67ce877201889e3d.jpg)
これで今日の目標は達成。あとはおまけの史蹟探訪。
定家神社へ。
何故此処に定家神社? は語りつくされているので省略。神社の全景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/87/8dcb1270d9faca28d6032bb9212430e6.jpg)
足元に何か場違いの様な道祖神がポツリ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/6e/3cefa52a4b1820bd75353698769d68ee.jpg)
右の方にお堂か? 或いは小屋の様なもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/d1/747b332e68dcb671b599c74c2f78efa9.jpg)
中を覗くと立派な彫りの仁王様が居るが何故か埃まみれで冷遇されている?
大体、仁王様は寺のものだから若しかすると明治初期の神仏分離令で
仏教色を一掃仕切れずにひっそりと残されたのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3c/4e847b9c4f687e12654f1d4be1b2bf8f.jpg)
同じく右手の木立の下に石が積み上げられてその上に歌碑。作者・年代不詳の
万葉集巻14の東歌。爺イにとっては「石碑の路」で御馴染み。
「佐野山に 打つや斧音の 遠かとも 寝もとか児ろが 面に見えつる」
天皇の行幸記念に建立されたものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/1f/470997ac25d41b649e24a0877bcba18e.jpg)
一寸した高みに石宮が数基。この境内には古墳が二つあり、この石宮と東の
芭蕉句碑のところらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5f/16d6b0892f7650d4f2ae64f8379fa667.jpg)
入り口の左側に石峰神社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/54/20ac8854c2971ac337b8ecc80b0097ea.jpg)
その裏に芭蕉句碑。「松杉を ほめてや風の かおる音」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/50/044e07f9355d03fd0bf583de8dc6db7e.jpg)
今度は神社前から東の細道で新幹線を潜って下佐野第一公民館。
隣に「放光神社」、つい最近の立替で真新しいのがかえって何となく奇異。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/05/d64cf1cbb3111fc1f3262adc6ed171f6.jpg)
脇に「史蹟 放光寺 放光明神跡」の巨大石碑。
かつての爺イのブログから再録。
「ここには元々「放光庵」という仏堂があったそうで、それが明治の初めに
廃されてその跡に「放光神社」が作られたと言われる。それよりずっと以前
には「放光山天平寺」という伽藍の整った寺があったとも伝えられるので、
有名な「山の上碑」に書かれた放光寺とはここであるとも言われる。
しかし、最近の調査では前橋市総社町の山王廃寺から「放光寺」と箆ヘラで
書かれた瓦が発見されたので山王廃寺が放光寺であるとする説が強いのだとか。
それでは境内の石碑の「放光寺跡」はどうする?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/48/57d4ab5005533380ed8f46575bab6685.jpg)
そして、今度は側道沿いに100M弱、「常世(ツネヨ)神社。言わずと知れた
北条時頼との伝説の佐野源左衛門の屋敷跡と称する所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/2b/e66feea832072b73dfccc8be8db874be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/4a/426f043a980b622b456962fc77190ba4.jpg)
社殿手前に「御自由にご覧下さい」の扉を開けると昔は教科書にも載った
名場面の絵。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8e/ea029c3813e598a6791f97d8221ecee7.jpg)
大きな記念碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/32/b78811f44397cc8c7479917aeb438056.jpg)
例によって社殿の中をパチリ。中には小さな石宮が鎮座している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/71/dc76fae31b2c4c718c735df2c31ed6cd.jpg)
帰りがけに鳥居の下部を見ると明確に屋敷跡と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/73/8d779293766d3a90a7ae81c2145c4b09.jpg)
車中に戻って車移動で城南地区へ向かう。
途中でかって探訪に来た事もある「佐野の渡し」。謡曲・舟橋と佐野の渡し説明板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/6e/4a639b4a9d2c378f18fdc8a5cc198d6d.jpg)
大きな縦長の石碑。1827年に延養寺・良翁が建立と伝わる。右にある某政治家の
石碑が誠に邪魔で無粋の極み。
写真では全く写らないが、上部は「船木観音」、その下に馬頭観音の線刻、
そして下段に万葉集巻14の歌。
「かみつけの 佐野の船はし とりはなし
親はさくれど わはさかるがへ」
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その歌碑の説明看板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/bc/9e3fd777b45abe60c2455538136b0f25.jpg)
尚も車走行で一旦R-17に出てから「琴平神社」の細道へ。
道標は「コトヒラ」ではなく「コンピラ」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d7/3f273dc05794ec415c39d84a6cd26a7b.jpg)
参道のこの物は多分石の鳥居があった跡かな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7c/62da7bc1436379fdad72e29a92fd7861.jpg)
この神社には定家神社と同様に専用駐車場が無いので路傍駐車。
入り口にアレ? いきなり寺並みの山門がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/bc/db5e8ceadeebfa85d7e65fa7c7ce5c95.jpg)
中はこれは神社の象徴でもあり門守(カドモリ)と言われる随身装束の像。
よく観察すると背中に矢を背負っているらしいので多分「矢大臣」かも知れない。
まあ、大臣とは言っても「看督長(カドノオサ)」が実態。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/2a/850d2d066a5cdc810c0e84476d016a00.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/19/46aa1664ca1428a6decc68f6ea7876c7.jpg)
門を潜って振り向いて吃驚。こちら側はお寺の仁王様と云うか金剛力士。
顔の表情は定石どうりの「あ」と「うん」。物の本に拠ると
「あ」は「那羅延金剛」、「うん」は「蜜迹(シャク)金剛」とか。
これも神仏分離令のとばっちりの姿かな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/5b/bd892913583b8a3da4c9c9e819de1edf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d6/8cde33073cbf01a346f2b9cd073542b1.jpg)
左手に天満宮。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/73/e07719ec1aaec7a5223fa2975170a83d.jpg)
奥に琴平宮、側に琴平神社のプレートが転がっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/3e/8a42580e7b67948e3f770224707a7cc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/53/574aff2fe68a6350f7fd4edf16568dbf.jpg)
説明看板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/cc/fc5faccdae7f1c37739ec471d692a7cf.jpg)
その少し右手の洞窟の入り口に烏天狗が見下ろしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/a6/eae0b6da427377ff36e03540ca556e73.jpg)
洞窟の中にはこの琴平神社の前身の「和田稲荷」。
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神社の本殿とその中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/3f/a65db6f824977b85a8b6a08798c810a2.jpg)
南に大きな「絵馬殿」があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/1b/0cf5089f6f8d030ce8d581efab995651.jpg)
壁面に多くの絵馬が飾られているが天狗関係が多い感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/cc/014b71e349308a24ca9bb6fffd1de98d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f3/c87701ae0d5fe80c748e4406a318f153.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a7/7d9dcb58e0cf6d2982bf420625cf2229.jpg)
社殿の右奥に巨大な宝筐印塔。
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四面にはびっしりと銘文が彫りこまれている。
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木立の中に弁財天。
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隣の荘厳寺を見学してからこの辺を通っている細道の鎌倉街道を少し歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/96/c37f00d3b79b75e02f3be58cd24f05c9.jpg)
路傍に珍しい道祖神。1833年のものと言うから天明の人災・天災のための苦難の年。
双方とも僧形で珍しく離れて立ち、下部に雲の様なものがあるので
余り見る機会も無い「天孫降臨形」と言われるものかな?
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その僅か先に馬頭観音。台石が道しるべで「左ふじおか ちちぶ 右高崎」
だそうだが肉眼でも判読不能。
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更に進んで石の掲額のある鳥居を潜り太天神天満宮に参拝して本日終了。12.45。
13.000歩で足慣らしには十分。
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参考資料
土屋喜英著・高崎漫歩 松田登著・下佐野史 内山真次著・徐徐漂たかさき
近藤章著・鎌倉街道 HP.隠居の思ひつき
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
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も散策するのですか?そろそろ榛名山の山登りはしないですか?そういえば熊に襲われて死亡した事故が秋田でありましたね。怖いです。今年の熊対策を教えていただけませんか 。
http://www.h5.dion.ne.jp/~minaguro/biology.htm
佐野の舟橋と申します。
爺ィさんのブログを拝見していたら、烏川の三石に関する記述が!赤石・・・懐かしいです。子供の頃、「大きなライギョがいる」とされるのがこのポイントで、よく釣りに行きました。
「佐野の舟橋」のハンドルネームからも察していただけると思いますが、私はこのあたりの出身(18歳からは東京在住)。佐野の舟橋の碑近くにあった「鉢の木」という由緒正しい(?)保育園に通っていました。かれこれ40年近く昔の話です。
これからも、群馬ローカルの話題を宜しくお願いします。
追伸>私はブログをやっていませんが、写真を撮りためて公開していますので、宜しかったらご覧下さい。
https://picasaweb.google.com/103724728814105704612
幾らかでも懐旧のお役に立てば幸いです。
山歩きの合間に史蹟めぐりも時々やっていますのでカテゴリーの史蹟探訪もご覧下さい。
写真集拝見しました。当方も膨大な写真が
溜まっているのでこの方式を検討します。
小生、キャンプの経験がありませんので
その関連の情報は良く分かりませんが
車走行中の記憶では榛名周辺の黒岩・唐松などのキャンプ地は既に閉鎖、残っているのは
126号線から南榛名林道に入って3k程の
サンコーハルナパーク、榛名富士東側の
榛名オートキャンプぐらいかも。
何れも走行中に看板を見ただけで
詳細は知りません。
三ツ峰への登路は関東ふれあいの道からの北コース、鐘撞山・音羽山を
経由か前の沢林道の宗教施設裏からの南コース、R-28からの東南コース、
唐松キャンプ場跡からの西南コースなどがあります。
関東ふれあいの道・榛名山の道から
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/05ae6425ecd415b401b0095ee3b11832
唐松キャンプ場から
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/d7ca7c1a012119979a44d3975980883d
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/f1da2128bb9cfb0c77b3f2d6657aca74
R-28 榛名天然水工場から
http://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/aa8663d4dfda2c90b17736f9692d5e26
前ノ沢林道からは友人のページで
http://www.sky.sannet.ne.jp/njn95685/mitumineyama.htm