![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/9d/26c9e4c0f1ced7054889637b8c124e36.jpg)
ハス園を一巡して天幕城址入口看板付近の日陰で
一休みしてからこちらも日陰無し炎天下の
ひまわり畑に近寄る。
驚いたのはここのヒマワリの背丈が極めて
低く、一見して50㎝程度にしか見えない。
こんなのは「ミニヒマワリ」とでも云うのかと
思ったが背丈の割合に花は大きいのて違うらしい。。
近くで草とりをしていた人に聞いたら「名前は
知らないがこの方が上から見られて良いでしょう」
と言われそれもそうだと簡単に納得してしまう。
変わった形を探したが生憎みんな同じ顔の
画像のみ。
暑さに負けて城址の木陰に逃げ込む。
この天幕城は、永禄年間1558-1569に赤堀城の
支城として赤堀氏によって築かれその後、
那波氏・桐生氏の城となり、ある時は由良氏に
攻略されるなど、戦国時代の動乱期を経た後、
1590年、後北条氏滅亡と共に廃城となったと
される。
築城の永禄年間は戦国真っ盛りで桶狭間、
関東管領に謙信、足利義昭が将軍、川中島
の決戦、長野氏の滅亡ーーーと盛り沢山だった。
「日本城郭全集第3巻」によればこの城郭の来歴について
「あるときは那波氏の持ちとなり、あるときは
由良氏に攻撃され、また謙信に降り、信玄に投じ、
氏康の蹂躙するところとなり、勝頼にも屈し
戦国の頃を波瀾のうちにもまれ、はては1590年の
小田原征伐で後北条氏とともに滅んだのである」と
周囲の歴史的背景から想定した内容で記載されて
いるとか。
城址写真を資料画像と照合して主郭部・北側虎口・
西側外堀・西側帯曲輪・主郭部空堀ーーかな?
と想定できる画像が撮れてはいるが確信が
無いので雰囲気として掲載。
向日葵と天幕城址
一休みしてからこちらも日陰無し炎天下の
ひまわり畑に近寄る。
驚いたのはここのヒマワリの背丈が極めて
低く、一見して50㎝程度にしか見えない。
こんなのは「ミニヒマワリ」とでも云うのかと
思ったが背丈の割合に花は大きいのて違うらしい。。
近くで草とりをしていた人に聞いたら「名前は
知らないがこの方が上から見られて良いでしょう」
と言われそれもそうだと簡単に納得してしまう。
変わった形を探したが生憎みんな同じ顔の
画像のみ。
暑さに負けて城址の木陰に逃げ込む。
この天幕城は、永禄年間1558-1569に赤堀城の
支城として赤堀氏によって築かれその後、
那波氏・桐生氏の城となり、ある時は由良氏に
攻略されるなど、戦国時代の動乱期を経た後、
1590年、後北条氏滅亡と共に廃城となったと
される。
築城の永禄年間は戦国真っ盛りで桶狭間、
関東管領に謙信、足利義昭が将軍、川中島
の決戦、長野氏の滅亡ーーーと盛り沢山だった。
「日本城郭全集第3巻」によればこの城郭の来歴について
「あるときは那波氏の持ちとなり、あるときは
由良氏に攻撃され、また謙信に降り、信玄に投じ、
氏康の蹂躙するところとなり、勝頼にも屈し
戦国の頃を波瀾のうちにもまれ、はては1590年の
小田原征伐で後北条氏とともに滅んだのである」と
周囲の歴史的背景から想定した内容で記載されて
いるとか。
城址写真を資料画像と照合して主郭部・北側虎口・
西側外堀・西側帯曲輪・主郭部空堀ーーかな?
と想定できる画像が撮れてはいるが確信が
無いので雰囲気として掲載。
向日葵と天幕城址
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます