Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 875 八重樫幸雄

2024年12月18日 | 1977 年 



ガッチリとした体つき。ちょっとやそっとでは壊れそうにないという感じである。決して饒舌ではない語り口だが皆から「ハチ」の愛称で親しまれており、それがまた彼の魅力のひとつである。

絶好のチャンスだから是非とも頑張らなくては
聞き手…大矢選手の怪我のあと頑張っていますけど調子は?
八重樫…そうですね、まぁ調子は悪くないです
聞き手…広岡監督はリード面を評価しています
八重樫…安田さんと組んで4連勝しましたが僕のリードじゃなくて安田さんのお陰です
聞き手…またまた御謙遜を。昨シーズンまでは主に代打で出場していましたね
八重樫…そうですね。途中ちょっと怪我で休みましたが
聞き手…後半戦は守りの面でも注目されます
八重樫…与えられたチャンスに応えないといけないと思っています
聞き手…広岡監督から何かアドバイスはありましたか?
八重樫…投手のリードも打撃も強気でいけと言われています
聞き手…大矢選手にライバル意識ありますか?
八重樫…勿論あります。僕だけじゃなくて選手は全員持っています。プロですから
聞き手…控えでベンチにいる時も相手打者を研究しているそうですね
八重樫…ええ、大学ノートにメモしています
聞き手…プロ入り前は捕手以外のポジションも経験されたとか
八重樫…投手以外は一通りやりましたが性に合っていたのはやはり捕手でした
聞き手…捕手というポジションは重労働でしょ?
八重樫…やはり疲れます。特に精神面での疲労は大きいです。でもその分やり甲斐もあります

僕は亭主関白で厳しいでしょうね
聞き手…昨年のオフに長年の恋が実ってめでたく幸子夫人とゴールインしました
八重樫…えへへ(照れ笑い)
聞き手…馴れ初めを教えて下さい
八重樫…高校3年の冬休みにクリスマスパーティーをやったんです。僕がいた仙台商は男女交際に
    厳しくて彼女はいませんでした。高校生活も残り少ないからと野球部の友達がパーティーを
    開いたんです。そこで知り合いました。卒業してから3年くらいブランクがあったんですが
    再会して付き合い始めて4年後に結婚しました。

聞き手…結婚すると野球のプレーでも気持ちが違いますか?
八重樫…それはありますね。独り身の時みたいにノンビリできないですから。やっぱり生活が
    かかっているというか、気持ちが引き締まるっていうのは感じます

聞き手…お子さんはまだですがやはり男の子が生まれたら野球をやらせたい?
八重樫…まだ生まれてもいないので(苦笑い)
聞き手…亭主関白と愛妻家、ご自分ではどちらだと思いますか?
八重樫…そうですねぇ、亭主関白ですかね
聞き手…なんとなく分かります。口数も多くないし、一見すると怖い印象を受けます
八重樫…そうですか?まぁ短気は短気ですけどね。高校時代と比べたら穏やかになった気はします
聞き手…暴れん坊だった?
八重樫…人に手を上げることはなかったですけど、すぐカッとするタイプでした(苦笑い)
聞き手…後半戦も活躍を期待しています。今日はありがとうございました
八重樫…はい、頑張ります。ありがとうございました
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# 874 未来のヒーロー ④

2024年12月11日 | 1977 年 



寿司職人からプロの世界へ
開幕前に一番の話題となったのは柴田民男投手(大洋)ではないだろうか。夢に向かって猪突猛進していた男が遂に己の限界を知り夢を捨てた。昨年夏の都市対抗野球に富士重工の柴田投手は日立製作所の補強選手として出場した。日立製作所は1回戦で住友金属に敗れ柴田投手も大会を去った。大会後に柴田投手は年齢(28歳)と実力の限界を悟って野球から身を引いた。同時に富士重工を退社した。「野球をやめるんだからサラリーマンでいたってつまらない。自分の腕一本で食っていきたい」と兄・明さんが経営する東京・向島にある「柴寿司」で修業をすることにした。富士重工時代に知り合った柳子さんと結婚もして第二の人生を歩み出した。

暮れも押し迫った12月に一人の紳士が柴寿司に現れた。大洋の湊谷スカウトである。カウンター越にシャリを握る柴田に湊谷スカウトは「なぁ柴田君、いっちょウチで勝負してみないか。君ならやれると思う」と声をかけた。状況が飲み込めぬ柴田はその紳士が湊谷スカウトだと知ると放心状態になり「えっ、まさか…」と狐に化かされたようにキョトンと固まってしまった。日大三➡日大➡富士重工と野球を続けたのは「俺の夢はプロ入り」という願いを叶えるため。その野球をやめたのもプロになれないなら続ける意味がないと思ったからだ。しかも、もう独身じゃなく責任がある。自分の夢だけを追っていい立場じゃない。


無失点デビュー
悩む柴田を後押ししたのが兄・明さんと柳子夫人だった。「男だったらプロでやってみなさいよ。寿司屋の修業は後でいいから」と。そうして寿司職人柴田は柴田投手に戻り白球を握った。春のキャンプから柴田投手は飛ばした。別当監督や堀本投手コーチはニコニコで「こりゃ掘り出し物だ」と口を揃えた。しかし好事魔多し。5ヶ月間のブランクは大きく右ヒジ痛でダウンしてしまった。だが夢だったプロの世界で負けてたまるかと奮起し、黙々と走り込んで故障の回復に努め早期に投げ込みを再開した。開幕一軍はならなかったものの、オールスター戦期間中の一軍練習に参加し、主力打者をキリキリ舞いさせて一軍昇格を果たした。

8月2日の阪神戦(甲子園)で念願のデビューとなった。6回裏から2イニングを投げ、4安打されたが得意のシュートで2併殺を奪い無失点に抑えた。「やっぱり緊張で地に足がつかなかった。本当に嬉しいです…」と声を詰まらせた。憧れの甲子園球場で無口な男が精一杯の喜びを表現している頃、東京では明さんと柳子夫人は「本人も嬉しいでしょうが私たちも大喜びです。良かった良かった」と祝福した。別当監督も柴田投手の好投に大満足でこれからも柴田投手をどしどし投げさせるそうだ。夢だったプロ野球の世界で次はエースへの夢を膨らませる柴田投手である。
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# 873 未来のヒーロー ③

2024年12月04日 | 1977 年 



打たれても青雲の志を捨てぬ
巨人の入団テストを受けるも不合格。ならば巨人を見返す為にと阪神のテストを受けて合格した青雲光夫投手。文字通り " 青雲の志 " を持って阪神に入団した。その強肩ぶりは春のキャンプで注目され速球王の「山口二世」だと話題になった。あれから半年、真っ黒に日焼けした青雲投手はまだ屈託のない笑顔のままだ。「プロ野球ってそんな甘い世界じゃないですよ。まだまだ勉強しなきゃならないことが山ほど残ってます」と " 二軍ずれ " していない青雲投手が頼もしい。0勝3敗と二軍でも勝ち星は無く、久保二軍投手コーチは「正直いうと二軍の試合でも投げさせるレベルではない」と手厳しいが本人は前向きでへこたれない。

昨年10月に行われた巨人の入団テストを受けて、某スカウトから「合格だよ」と耳打ちされ喜んだが結果は不合格。ならば自分を落とした巨人を倒せる阪神の入団テストで遠投120mを投げて周囲を驚かせ見事合格した。そうしたプロ入りの経緯や反骨精神も阪神ファンを喜ばせた。「これは即戦力です」と吉田監督の一言でキャンプ中の安芸市営球場は大騒ぎとなった。早速マスコミは「山口二世」ともて囃し、青雲という珍しい名字もどこか浮世離れして興味を引きつけた。ドラフト1位指名の益山投手や前々年のドラフト5位指名で1年後れで入団した深沢投手ら即戦力投手を差し置いて安芸キャンプに抜擢された寵児だ。


一軍選手もビックリの球も
だが現実は甘くない。ウエスタンリーグで17イニングを投げて自責点7。本塁打も3本浴びた。「深沢さんや益山さんに比べて僕は経験が少ない。高校野球なら初球の甘いコースのストライクを見逃してくれてもプロは打ってくる。初めて経験することが多く大変です。プロの世界に慣れるにはもう少し時間が必要です」と。久保コーチは「ピッチングの型は出来ている。でも正確なコントロールや配球はまだまだアマチュアで二軍レベルでも通用しない」と手厳しい。キャンプで即戦力だと喜んだ吉田監督もとんだ勇み足だったが、並みのテスト生とは違い将来性は確実にある。

時々、打撃投手として一軍の練習に参加するが何球かに1球は一軍選手も手が出ないスピードのある球を投げる。それを目の当たりにした皆川一軍投手コーチは1ヶ月ほど前、二軍の試合で投げる青雲投手を見に行った。「カーブで攻めればよいところでシュートで勝負している。あの辺のテクニックが分かれば勝てるようになるよ。素材が良いのは間違いない」と評価した。現段階の青雲投手に高等な投球テクニックを求めるのは無理かもしれないが、逆に言えばそれだけ無限の可能性を秘めている投手なのだ。高校時代(島根・平田高)は県予選の1回戦に勝つのが精一杯で神奈川大学に進学するも中退。投手としての伸び代は充分残っている。

安芸キャンプで一歩リードしていた2人のルーキーに今は差をつけられた。益山投手は一軍のマウンドに立っている。右手首の腱鞘炎で二軍にいる深沢投手もいずれは一軍に上がるはずだ。「やっぱり悔しいです。でも2人は僕より野球を知っている。いろいろ経験値を積んで1日でも早く甲子園球場のマウンドに立ちたい」と野球エリートに対するライバル心は捨てていない。テスト生から300勝投手になった小山正明氏にあやかって背番号「47」のユニフォームを着ている青雲投手。その志は夏空の雲のように大きい。
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# 872 未来のヒーロー ②

2024年11月27日 | 1977 年 



ジュニアオールスターで見せた意地と力
今春キャンプで最大の新星と騒がれた酒井投手(ヤクルト)に対して本人も球団も " 酒井以上 " とぶち上げたのが久保康生投手。早いもので久保投手が近鉄のユニフォームに袖を通して7ヶ月。筑豊の小さな炭鉱町が生んだ逸材はプロの世界にも慣れてすっかり逞しくなった。入団時は78kgだった体重は厳しい練習により3kg減って引き締まり、逆に胸囲と腰回りは大きくなった。「高校時代よりちょっとスマートになったけどこれはプロの練習の賜物。自分で言うのも何ですが馬力はついた感じです」と久保投手は日焼けした精悍な顔で笑う。高卒ルーキーながら二軍投手陣の三本柱の一員としての存在感はなかなかのモノ。

二軍での成績はここまで2勝1敗。やや物足りない気もするが「きっちりローテーションを決めていて雨で中止になった試合が巡り合わせで多かったから登板機会が少なかった」と中西二軍投手コーチは言う。翌日にスライド登板させないあたりも将来のエース候補への配慮だ。久保投手が大物の片鱗を覗かせたのは7月24日のジュニアオールスター戦(西宮)だった。この晴れの舞台で久保投手は宿命のライバル酒井投手と顔を合わせた。近鉄との入団交渉では「実力は僕の方が上です」と言い張り、" 酒井並み " の契約金(3000万円)を要求して中島スカウト部長を手こずらせた経緯があるほど酒井投手へのライバル意識が強い。

プロ入りしてからもその気持ちは変わらないどころか増幅している。ジュニアオールスター戦で酒井投手が1イニングをぴしゃりと抑えた後の7回表に負けん気を剥き出しにしてマウンドに上がった。酒井投手より多い2イニングを投げ打者6人を1安打に抑えた。マウンドを降りた久保投手は「酒井君はあまり迫力が無かったですね、疲れがあるんでしょうか。一軍入りは後れをとったけど、(酒井投手は)実力で一軍入りしたとは思っていない。本当の勝負はこれからです」と顔を上気させて語気を強めた。


「2年目が勝負」と本人
手塩にかけて育てている中西二軍投手コーチの久保投手評は「カーブのコントロールの良さは相変わらず。高目に抜けていたストレートも下半身が鍛えられて修正出来てきた。頭のいい投手で呑み込みが早く調子が悪くても試合になればそれなりの投球が出来て新人ではレベルが高い。ブルペンでの良さをマウンドで発揮できない先輩の仲根投手とは好対照だ」と現段階では合格のようだ。今すぐにでも一軍に昇格させようと思えば可能な実力ではあるが、「中途半端な形で一軍に上げても本人の為に良くない」という西本監督の意向もあり今年は二軍でじっくり鍛えるのが球団の方針だ。

客寄せの為に人気先行で一軍に上げたものの失敗に終わった酒井投手の先例があるだけに「全て現場に任せてます。新人王を狙える器だと思うので、慌てず実力を充分につけてからでも遅くない」と山崎球団社長もじっくり腰を据えて構えている。西本監督や球団の思惑を知ってか知らずか当の本人も「まだまだ一軍で通用するとは思っていません。来年のキャンプまでは地道に体を鍛えて2年目が勝負です」とキッパリ。視線は来シーズンに向けられている。そういえば昨年暮れの入団会見でも同じことを言っていた。久保投手の志はその時から微塵も揺れ動いてはいない。実に楽しみなルーキーである。
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# 871 未来のヒーロー ①

2024年11月20日 | 1977 年 



人の噂も七十五日とか。春に話題にのぼった男たちもその後、つい忘れがちなもの。そこで " あの春一番 " ともいうべき話題をまいた未来のヒーローの近況をお知らせしよう。

大きく育てる為の英才教育中
180cm・75kg 、左投げ左打ち。立花義家選手は見た目には何の変哲もないルーキーの1人だが、スカウト界隈では凄腕と定評のある青木一三クラウン球団渉外担当重役が惚れ込んで松下電器に就職が内定していたのを口説き落としてクラウンに入団させた大器である。その立花選手を一目見て「素材は張本以上」と感嘆したのが東映時代に張本選手を育てた松木謙治郎氏だ。御年68歳の松木氏が張本選手以来18年ぶりに情熱を傾ける逸材に巡り合ったのだ。立花選手の感想を求められた張本選手は「めったに褒めない松木さんに認められたんだから立花くんは本物。中距離打者の理論では松木さんの右に出る人はいない。全てを任せて頑張れ」と述べた。

立花選手が大物に育つかどうかは本人の努力次第。球団も英才教育を施す方針で「松木さんには島原キャンプの臨時コーチをお願いした。1年を通して立花くんを見てもらうというわけにもいかず二軍が名古屋に遠征した時に指導してもらった。これからも事情の許す限り指導をお願いするつもりです」と青木球団重役。松木氏からのアドバイスを和田二軍監督を通じて立花選手に伝えるようにしているが、やはり直接指導が望ましいのは確かで今後の課題として球団も苦慮している。

「立花は足も速いし肩も強い。守備だけなら今の一軍選手より上かもしれない。打撃に関しては徹底的に体を絞り上げて体幹を鍛えている過渡的段階。使い勝手のよい選手でいいなら直ぐに一軍に上げてもいいけど、将来的にチームの中心打者として活躍してもらう為には少なくとも今年いっぱいは二軍で鍛えた方が本人の為にもチームの為にもプラスだと考えた」と和田二軍監督は言う。新人王の資格も近年は条件が緩和されたこともあり、一軍昇格したら新人王が確実なレベルの活躍を出来るように球団も考えている。

出場即新人王といった形のデビューにしたいというのが球団の考えで暫くは温存したいようだが、立花選手の成長度は球団の思いを超える。8月5日に行われたウエスタンリーグのトーナメント大会で最優秀選手に選ばれるなど早くも実力の非凡さを示した。「何をやらせてもサマになる選手。天性の何かを持っているし、実に熱心でタフ。暑い今はさすがにバテがきているが、この夏を乗り越えればもう一段階飛躍できるでしょう」というのが和田二軍監督の見方だ。春の話題をさらった男は順調に成長しているようだ。
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