
前年、球団創設29年目にして初のリーグ優勝と日本一を成し遂げた広岡監督が事実上、シーズン
途中で解任されました。ヤクルトは昨オフに広岡監督と3年契約を結びましたが、実は一部新聞で
広岡監督が退団を申し入れていたと報道されました。記事を書いたのが報知新聞でしたので当時は
巨人側の嫌がらせと考える向きが多く、12月に行なわれた「ヤクルト日本一祝賀パーティ」の会場に
取材に来た報知新聞の記者とヤクルト側とに一悶着ありました。しかし後日 広岡自身が発表した
手記によると、チームの有り方について球団との相違は大きく退団を申し入れたが「猛烈な慰留」が
あり監督続投を決めたそうです。
'79年のシーズンは開幕から低迷し続け、6月には球団から「コーチ陣の手直し」が提案されましたが
広岡は「成績不振の責任を取るのは監督である」としてオーナーに直接会い今季は「現状のまま」で
行く事で了承を取り付けました。しかし、8月7日に再び佐藤球団社長がコーチ刷新を提言。広岡は
オーナーの「了承」をたてに拒否しますが球団社長も引かず、広岡が「誰の意見か?」と問い質すと
「信頼すべき外部の第三者だ」 「球団内の人物でないからこそ冷静な判断が出来る」 として広岡の
意見を無視して森ヘッドコーチ・植村投手コーチの更迭を断行しました。
球団の独断人事に対して広岡は辞めざるを得ず、異例とも言える声明文を発表して退団しました。
先般来、チームの成績不振を理由に佐藤球団社長から、森・植村両コーチを戦列から外し休養させるという方針が
伝えられました。しかしチームの不振の責任はあくまで監督にあります。二人のコーチを外しチームの体制を崩すことは
出来ないことを佐藤球団社長に力説してまいりました。ところが本日、私の強い要望を無視して両コーチの休養を直接
本人たちに申し渡すという事態に至りました。私は球団社長に対し球団側の対応は遺憾であり、こうした状況下では
指揮は執れないと申し上げたところ球団社長から直接「ならば、君は辞表を出したまえ」という発言がありました。 以下、略
しかし佐藤球団社長は広岡に対して「解任ではなく辞表を出せとも言っていない」と反論し、あくまで
広岡が自主的に辞表を出し球団がそれを受理しただけだと言い張りました。広岡は「解任された」と
言い、球団は「自ら辞任した」と平行線のままでした。コーチは解任でも監督は、あくまで "辞任" に
球団側がこだわったのは荒川前監督をシーズン途中で解任し広岡コーチを監督代行ではなく監督に
昇格させる際に広岡から契約金を要求された事がトラウマになっていたのかも知れません。広岡の
後釜に佐藤打撃コーチの監督代行を発表した際に記者から「解任していないなら広岡が再び指揮を
執りたいと言い出したらOKするのか?」との問いに答えられませんでした。 …つづく