今回の退団劇の背景を広岡自身が手記として発表しました。それによるとヤクルトというチームは
万年Bクラスの環境にドップリ浸かり、「甘え」 「なぁなぁ精神」の巣窟だったそうです。4年をかけて
チーム改革を断行しましたが長年かけて築き上げられた「ぬるま湯」体質を変える事は出来ません
でした。
「会社の事情もありますが適当に強く、適当に弱いのが丁度いいというのがオーナーの考えです。去年、巨人と凌ぎを削って
いた時、 "優勝は巨人でいい、ウチは2位で充分" との発言には怒りを通り越して体中のチカラが抜けました。勝つ為に妥協を
排し徹底的な基礎練習とストイックなまでの精神生活をチームの基盤にしようとしたが、一部のコーチや選手にはケムったくて
しょうがない。チーム内情をフロント幹部に、御丁寧に逐一報告する忠臣者もいて、球団全体が甘えの巣窟になっていました」
「甘え」の具体例として潰れたトレード話を紹介しています。ロッテの山崎裕之選手とのトレードが
両球団間で合意し、広岡ら首脳陣が米・ウインターミーティングから帰国後に新外国人選手入団の
紹介と同時発表する予定でしたが、帰国してみると話は御破算になっていました。ロッテは山崎に
通告し、山崎も移籍を了承。しかしヤクルトから出される選手が移籍を拒否、野球協約上 選手には
移籍を拒否する権利はありませんが、この選手はフロント幹部のお気に入りで泣きつかれた幹部が
独断でこのトレードを潰しました。
山崎は結局、新球団 西武ライオンズへ移籍しました。広岡によるとフロントに潰されたトレード話は
これだけではなく、南海・野村監督解任騒動で宙に浮いた柏原選手の場合は球団間で 「正式に」
決定したそうです。南海から森本球団代表・広瀬監督、ヤクルトからは相馬球団代表・広岡監督・
森ヘッドコーチの五者会談で合意し、さらに柏原とは別に交換要員次第では江夏投手のトレードも
検討するとまで話は進展しました。しかし3日後、江夏投手だけでなく決定した筈の柏原選手まで
御破算になってしまいました。やはりヤクルトから出される選手がフロントに泣きついたからでした。
「規律の緩み」の具体例は、当時ヤクルト投手陣は全員、試合後 対戦した打者とのデータを各自が
取って次の試合に投手陣全体で活用する方式をとっていましたが、遠征先の宿舎で森コーチがある
主力投手の部屋を訪ねてデータ分析をしようとしたところ、部屋のテーブルにはウイスキーが置いて
ありました。チーム内の規律で飲酒は外食時のみ許され、宿舎内では禁じられていました。 聞けば
遠征には常にウイスキーを携帯しているとの事。当然、その主力投手は規律違反で罰金処分を受け
ましたがフロントから注意を受けたのは、その投手ではなく森コーチの方でした。「大人だから」「気分
転換も必要」として、以後 チーム内で決めた規律は次第に有名無実化していき、チームの雰囲気は
元の万年Bクラスに戻ってしまったそうです。