同じ新人でも大卒となると少々落ち着きが出てくる。杉浦(南海)と長嶋(巨人)は立教大学でエースと四番だった2人。揃ってプロ入りし、そして共に新人での球宴出場を果たした。昭和33年の第1戦のパ・リーグ先発投手は杉浦、セ・リーグの先頭打者は長嶋。三原・水原両監督の粋な計らいであった。大学を卒業して4ヶ月とあって2人の間には「対決」といった雰囲気は無く、どこか遠慮がちに見えた。杉浦は外角ばかりを攻めてストレートの四球。2打席目もまた外角球ばかりで長嶋は右へ流して球宴初安打。なんとなく2人は勝負を避けているように感じられた。
しかし、1シーズンを終えて共に新人王に輝き、プロとしての地位を固めると学生気分は消えていた。昭和34年の第2戦、3対3で迎えた4回表に両者は再び顔を合わせた。杉浦の初球は長嶋の顔近くをめがけたビーンボールまがいの投球で長嶋はもんどりうって避けた。2人は視線を合わせず、「あれは手元が狂ったんで狙った投球ではなかった」と杉浦本人は故意を否定する。ユニフォームに着いた土を払う事も忘れるほど集中力を高めた長嶋は、5球目のインハイの糞ボールを強引に打つと打球はレフトスタンド上段へ消えて行った。ベースを回る長嶋とマウンドの杉浦が一瞬視線を合わせたが表情は共に硬いままだった。紛れもなく2人はプロの野球選手に成長していた。