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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#215 夢の球宴史 ②

2012年04月18日 | 1981 年 



江夏の気持ちを奮い立たせたファン投票1位。違う意味でファン投票1位に向き合っている選手がいた。自分には実績らしい実績は殆んど無いのに人気だけで選ばれた夢の球宴。太田幸司(近鉄)は新人の昭和45年から3年連続でファン投票1位で選ばれた。3年間で3勝・・本来なら選ばれる筈がない成績。今なら「ミーハーなファンには怒りを覚える」「組織票だ」と批判が集まるだろう。しかし「コーちゃん」は別格だった。「太田はパ・リーグの財産なのだ。何としても一人前に育てなければならない」と他球団の阪急・西本監督までもが口にするほど太田の成長は球界全体に課せられた命題だったのだ。

球宴初登板の昭和45年、全パ・西本監督は試合前の神宮球場の三塁側ベンチで太田の起用に悩んでいた。どんな場面で投げさせるのかではなく、降板させるタイミングを考えていた。力不足なのは分かりきっている、いかに傷付けずに球宴を体験させてやるのかを。パは初回から打者13人を送る猛攻で8点を奪った。その後も加点し6回までで大量13点のリード。「よし、この回」西本は鈴木啓示(近鉄)に代えて太田をコールした。投球練習で1球投げるたびに神宮球場の4万人が地鳴りのような大歓声を上げた。しかし一死は取ったものの安打と四球でアッと言う間に満塁のピンチで迎える打者は王。堪らず西本監督は腰を浮かしかけたが、ここはジッと我慢し続投させたが結果は右翼線への二塁打で2失点。スタンドからは歓声ではなく溜め息が漏れて打った塁上の王も苦笑い。

マウンドへ歩み寄った西本監督の「行けるか?」の問いに対する太田の「行けま…」との返事を遮り「審判、ピッチャー交代」と告げた。西本監督の腹は試合前から決まっていた。傷は小さなうちにと。次打者は長嶋だったのでスタンドの失望は大きかった。試合後の長嶋も「ファンも僕との対決を見たかったんじゃないかな。なかなか感じの良い新人だし楽しみにしてたけどね」と残念がった。

大方は交代させた西本監督に批判的だったが「彼には残り2試合も投げてもらわなくちゃならないから無理はさせらねない」と批判を突っぱねた。第2戦の大阪球場では8回に登板して三村(広島)を三振、森(巨人)を一ゴロなど三者凡退。第3戦も打者一人を討ち取り初の球宴を無事乗り切った。「真ん中に目がけて真っ直ぐを投げればいいんだと言ってやった。それでも高目に抜けるからカーブを投げさせたらやっと落ち着いた。まだ1年生だぞ、あんまりイジメるなよ」と。第2・3戦の好投の裏には野村(南海)の好リードがあったのだ。
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