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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#309 プロデビュー ・ 打者編

2014年02月12日 | 1983 年 



昨年、史上最年少で三冠王に輝いた落合(ロッテ)の初出場は昭和54年5月29日・川崎球場での南海戦。有藤が故障で先発した新井の代打で7回裏に登場したが右飛に倒れた。翌30日は七番で先発出場し6回裏、前日から数えて4打席目に二塁横への内野安打でプロ初安打を記録した。さらに31日には2回裏に三塁打、続く打席で初本塁打を放った。しかし好調さは続かず36試合に出場して打率.234 と低迷し二軍落ちして二度と一軍へ昇格する事なくシーズンを終え、翌昭和55年は再び二軍生活からのスタートとなった。

それでも落合は腐る事なく5月31日から6月7日にかけて5試合連続本塁打のイースタン新記録など結果を残し、後期になるとそのパンチ力を買われて一軍へ昇格した。7月12日の近鉄戦7回に代打で起用されると鈴木啓から本塁打、翌13日からは八番で先発起用されて4試合目の南海戦で2本塁打、6試合目の阪急戦では六番に上がり広い札幌・円山球場で2本塁打を放って一軍定着を果たした。一軍昇格後9試合目の7月29日の近鉄戦で五番に据えられて以降の活躍は改めて言うまでもない。昭和56年には初の開幕スタメンの座に着き首位打者、昭和57年には三冠王と初打席から僅か3年で打者としての最高峰に昇りつめた。

落合以上に派手なデビューを飾った選手も少なくなく、新井(南海)はデビュー戦で猛打賞を記録した。昭和50年にプロ入りした新井は前期は二軍暮らしだったがオールスター戦後に一軍に昇格し、7月25日の太平洋戦に一番・左翼手でデビューした。相手投手はエース・東尾。1回表に早速プロ初打席。初球はボールで見送った後、2球目を三塁前にセーフティーバントを転がしプロ初安打。第2・3打席は中飛、四球だったが第4・5打席は共に中前打を放って猛打賞。

その新井の上を行くのが石毛(西武)だ。その実力はオープン戦での打率.357 で実証済みだったが開幕スタメンを果たし見事3安打猛打賞。昭和56年4月4日のロッテ戦で相手はエース・村田投手。1回表、先頭打者で右前打、二番・山崎の初球に盗塁を鮮やかに決めた。2打席目は外角スライダーを右前打、そして再び盗塁。3打席目は外角の直球を捉えて右中間スタンドへ放り込んだ。新人が開幕戦で3安打以上を記録したのは昭和33年の古葉と森永(共に広島)以来23年ぶりの快挙だった。

石毛の開幕戦第3打席での初本塁打の上を行くのが山倉(巨人)だ。2打席目に左翼越えを放った。開幕戦ではないもののドカベン・香川(南海)のデビューも見事だった。昭和55年7月8日の近鉄戦で4回からマスクを被り5回表に回ってきた初打席、カウント0-3からの4球目を左翼場外へ初安打を初本塁打で飾った。公式戦での初打席・初本塁打は史上14人目と稀な出来事だったが、外人と2年目以上の選手を除く新人としては6人目で更に稀有なデビューだった。

角(ヤクルト)も負けていない。昭和50年のプロ入り当時は投手だったが2年目には野手に転向しデビューは三塁手。昭和51年7月23日の広島戦が初出場だったが守りについただけで打席は回って来なかった。初打席は8月4日の巨人戦7回裏、代打に起用され左前打で初安打。8回裏にも打席が回り今度は左越え二塁打。翌5日も代打で右越え二塁打、続く6日の大洋戦では同じく代打で三振に倒れたが7日はまたも代打で右前打。4打席回って来る先発とは違い難易度の高い1打席勝負の代打で結果を出し続けてようやく先発出場を勝ち取った。10日の中日戦に二番・三塁手で先発すると中越え二塁打、左前打、左越え本塁打と大活躍。ここまで9打数7安打と驚異的な数字を残した。

対照的にプロの厳しさに直面する選手も当然いる。今や原と巨人人気を二分する中畑もその一人。原はプロ3打席目に初安打、8打席目に初本塁打と順調なプロ生活をスタートさせたが中畑の1年目は二軍暮らし。2年目の昭和52年7月17日の広島戦に代走で初出場した。初打席は7月31日の阪神戦、この試合で中前打の初安打を記録したものの当時の巨人内野陣は王、ジョンソン、高田らレギュラーが健在で中畑に付け入る隙は無く一軍に定着出来なかった。3年目も3打数1安打と低迷する中畑に転機がやって来る。昭和53年のオフに来日したシンシナティ・レッズとの親善試合である。第1戦で逆転本塁打を放つなど26打数7安打 打率.269 と結果を出し注目されるようになった。昭和54年は開幕から一軍入りし5月1日の阪神戦でプロ4年目・30打席目にして初本塁打を記録した。

それ以上の苦労人なのが中沢(阪急)だ。記録上は1年目の昭和40年5月21日に六番・右翼手で初出場しているが、これはアテ馬。1年目は4試合に出場したが内野手1試合、外野手3試合と全てアテ馬だった。本職の捕手での出場は2年目の1試合のみで打席に立つ機会は無かった。初打席は3年目で初安打は通算3打席目、初本塁打は27打席目だった。その後8年経っても本塁打はこの1本のみで安打数も18本とレギュラーには程遠かった。プロ9年目にして113試合に出場してようやくレギュラーの座を手にした。しかし遅咲きの中沢が輝くのはさらに8年後の昭和57年。初めて規定打席に達し打率.301 で18年目にして3割打者となった。「8年間で18安打しか打てない選手でもここまでなれる」と陽の目を見ない選手達の希望の星となった。



この年の開幕2戦目に横浜大洋・右田投手から駒田(巨人)が初打席・初安打・初本塁打(満塁のオマケ付き)を記録する事に。残るは「サヨナラ」と「初球」付きくらいでしょうか?
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