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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#310 プロデビュー ・ 投手編 

2014年02月19日 | 1983 年 



昭和49年のドラフト会議で巨人に1位指名された定岡投手は期待に反して第一線への道は険しかった。1年目は二軍で2勝3敗、2年目も同じく2勝3敗。奪三振よりも四死球の数が多いとあって一軍は遠く、初登板は3年目の昭和52年5月18日の大洋戦だった。前日まで5連敗の巨人はこの試合も2回に一挙9点を奪われ7回終了時で4対13と敗色濃厚、ここで定岡にデビューが巡ってきた。2回を投げて四球の走者を1人出しただけで無失点デビューだった。続く広島戦も敗戦処理だったが3回無失点と好投し、遂に5月23日のヤクルト戦で初先発に起用された。

しかし先発は荷が重かった。これ迄の気楽な敗戦処理とは違って緊張から制球を乱し初回から走者を溜めて適時打を浴び、2回には投手・松岡にまで適時打されて降板した。定岡に次の先発機会はなかなか与えられず、ようやく巡って来た9月24日の大洋戦でも1回2/3 で4失点と結果は残せず敗戦処理投手の域を抜け出せずにいた。3年目にして一軍定着のチャンスを逃した定岡の4年目は更に厳しくなり一軍での登板は僅か2試合に終わった。5年目になっても一軍と二軍を行ったり来たりの存在のまま。実は江川がプロ入り初登板した昭和54年6月3日の阪神戦の前日に2年ぶりに先発していた。キャンプにも参加出来ず、ろくに練習していなかった江川でさえ負けはしたが8回まで投げたのに対して定岡は二死を取っただけで1回もたず早々にKOされた。

高卒選手の目安と言われている5年目を過ぎても勝ち星を上げる事が出来ず、同期入団の幾人かが球界を去って「クビ」が脳裏にチラつき始めた6年目に入った4月17日の中日戦に7回裏から登板したが四球・左前打・四球と一死も取れずに降板。このまま二軍へ落ちて球界から消え去ると思われたが代わりに昇格する投手がおらず本当のラストチャンスが定岡に与えられた。5月14日の中日戦に先発して2回表に味方のエラーなどで一死満塁とされるも後続を退けてピンチを脱した。5回終了時点で巨人が2対1とリードしていて勝利投手の権利を得たが6回表に谷沢に本塁打を浴びて6年目の初勝利は泡と消えてしまったがこの好投で二軍降格は免れた。

遂にその時が訪れる。6月5日の中日戦で巨人は1回表に3点を先取し、定岡は5回まで無失点と好投。6回に井上に2ランを浴びて降板するも角→鹿取とリリーフ陣の助けを受け定岡はプロ入り6年目・通算25試合目でようやく初勝利を手にした。更にシーズン最後の登板となった10月15日の広島戦で初完封、後のカープキラーに相応しい広島相手の完封勝利だった。

新人、特に定岡のような高卒投手が初勝利を上げるのに時間を要するのは当たり前だが、あと18勝で300勝投手になる鈴木啓示投手(近鉄)は違った。昭和41年5月4日・東京球場での東京-近鉄戦、3点リードされていた近鉄は早くも3回裏から鈴木投手を投入した。兵庫育英高から入団した高卒1年目の鈴木は3・4回は無難に抑えたが打線が一回りした5回に捕まり3ランを浴びて降板、ホロ苦いデビューだった。次の登板5月17日の東映戦も敗戦処理だったが今度は6回1/3 を1点に抑えた。

徐々に首脳陣の信頼を得るようになり三度目の登板は5月24日の東映戦で1点リードの5回裏だった。鈴木は新人らしからぬ落ち着いた投球を見せ、徹底して低目を突いて5回を1安打しか許さず結局、最後まで投げぬいてプロ3試合目で初勝利を上げた。その2日後、今度はエース・徳久投手が最終回になって打ち込まれて1点差に追い上げられた場面で救援登板すると見事に後続を打ち取り勝利に貢献した。その後も先輩顔負けの投球を続けると早くも先発を命じられた。

6月3日の南海戦、さすがの鈴木も初先発の立ち上がりは緊張感から普段通りの投球が出来ず、いきなり一死二・三塁のピンチを迎えた。しかし後続の野村・広瀬を抑えて波に乗った。2回以降は速球を主体に小気味いい投球を見せてあれよあれよという間に初先発で完封勝利。プロ入り僅か6試合目での快挙であった。勿論、誰もが鈴木のような順調なスタートを切れる訳ではない。

苦労するのは高卒選手に限った事ではない。亜細亜大学からプロ入りして昨年のセ・リーグ最優秀救援投手にまで登りつめた山本和投手(阪神)のデビューも楽ではなかった。昭和47年4月12日、甲子園での巨人戦が山本の初登板だった。0対4と敗色濃厚の8回表、いきなり王と対戦するが右前打を許し、続く長嶋にも左越え二塁打されて失点すると即降板、僅か8球のプロデビューだった。二度目の登板は4月19日のヤクルト戦だったがこの試合も2回2失点と今一つ、「三度目の正直」を目指し4月29日の大洋戦に臨むも失点。ここまで3試合・2回1/3・自責点5・防御率22.50 と手厳しいプロの洗礼を受けた。

事ほど左様に投手のデビューには神経を使う必要がある。先ずは負担の軽い敗戦処理登板が常識となっている最近のプロ野球界だけに新人が開幕戦に中継ぎでさえ登板する事は少ない。ましてや開幕戦先発となると昭和37年の城之内邦雄投手(巨人)が最後。日本ビール(現・サッポロビール)から入団した城之内はオープン戦で4勝0敗、防御率 0. 27 と打者を寄せ付けなかったので開幕投手は寧ろ当然の選択であったが現実は厳しく開幕の阪神戦では5回2失点で降板し敗戦投手となった。しかし城之内の実力は本物でこの年は24勝12敗で文句なしの新人王に選ばれた。

新人の開幕戦登板は中継ぎ登板でさえ過去10年に限っても昭和48年の玉井(巨人)と井本(近鉄)、50年の中山(巨人)、52年の土居(広島)、54年の藤沢(中日)と鹿取(巨人)、55年の藤原(阪神)、57年の山沖(阪急)の僅か8人である。多くがリードを許した後の楽な場面だったが山沖の場合は違った。エース・山田が打ち込まれ7対6と1点差に追い上げられ降板し、二番手の宮本が四球を出して退いた8回表一死一・二塁の場面で新人・山沖投手に出番がやって来た。

このピンチを平野、大石を共に平凡な外野フライに仕留め、続く9回表は不運なテキサス安打などで一死二・三塁とされたがウルフ、梨田を連続三振に斬って取り見事なデビューを飾った。これで大きな自信を得たはずの山沖だがシーズンが終わってみれば7勝15敗とプロの厳しさを味わった。史上20人目となる初登板&初完封という山沖以上のデビューをした杉本正(西武)も1年目は7勝8敗、2年目も7勝12敗と苦戦が続いている。順調なデビューも大切だが「始め良ければ全て良し」という訳でもなさそうだ。
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