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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 347 日本人コーチ第1号

2014年11月05日 | 1983 年 



「話が違うじゃないか!」 若菜は単語と単語を繋ぎ合わせて精一杯、思いを伝えようとした。明日がキャンプ打ち上げという前日の4月9日、NY・メッツのマイナー組織の統括責任者であるスティーブ・シュライバー氏に呼ばれて「ヨシ(若菜)、君には選手ではなく3Aのタイドウォーター・タイズでコーチをやって貰いたい」と告げられたのだ。「阪神タイガースは僕に1シーズン、プレー出来ると言ってくれた。僕は米国までトライアウト(入団テスト)を受けに来たのではない」と訴えるとシュライバー氏は「我々はそんな約束はしていない。阪神タイガースに対してトライアウトだと説明していた」と譲らなかった。若菜はその場で電話をかけた。相手は渡米の手続きを手伝ってくれた阪神の三宅通訳である。「若菜さん、もう僕はこれ以上お手伝い出来ないんです。それに契約内容までは関知していません。申し訳ないですが…」

野球さえ出来ればどこでも構わない。そういう思いで日本を飛び出した。でも好き好んで飛び出した訳ではない。あの忌まわしい一連の騒動に嫌気がさしたのだ。ポルノ女優の一方的な結婚宣言、愛人騒動、離婚、再婚、そしてトレード宣言の果てにクビ。昨年の若菜は1年中騒がれ続けた。退団にまで追い込まれた決定打は週刊ポストが報じた暴力団との黒い交際疑惑だった。「球団が調査しても何一つとしてやましい事は無かった。それなのに…」「言ってもいない事、事実でない事を面白おかしく書くのはペンの暴力じゃないのか。僕の事だけなら我慢もするが女房や女房の姉さんの事まで書かれて堪忍袋の緒が切れた」と当時を述懐する。

その頃、若菜は左肩の故障を名目上の理由に二軍に幽閉されていた。プレーに支障は無い、一軍に戻りたいと訴えても球団は頑なに昇格させなかった。「だったらトレードに出してくれ」と要求したがスキャンダルに追い討ちをかけたこの爆弾発言が若菜の立場を更に危うくした。12月下旬になって若菜を球団事務所に呼び出して「君がチームにいると悪影響を及ぼすし君自身も居づらいだろう。我々も君が望むトレード先を探したけれど残念ながら見つからなかった」として自発的な退団を促した。若菜は腹を括った。野球をやるなら何処でも一緒、この謂れ無き汚名を晴らしてやると他球団からの誘いを待ったが「まるで刑務所帰りの扱いだった(若菜)」で声をかける球団は現れなかった。

そんな若菜に阪神が助け舟を出した。岡崎球団社長が阪神と友好関係にあるNYメッツに話を持ちかけると折り返しマイナーの2A・ジャクソンから契約書が届いた。米国行きを決めようとした矢先、日本の4球団から内々に「3ヶ月か半年してほとぼりが冷めたらウチに来て欲しい」と誘いが来た。中には監督が直々に電話をかけてきた球団もあった。心が揺れた。再婚して新しい家庭を構えたばかりで妻子を日本に残して何の保証もない米国へ行くより日本の球団でプレーする方が良いのでは…。迷う若菜に新妻・尚子夫人の「日本に残ってチームが変わっても世間の貴方を見る目は簡単には変わりませんよ。私達の事は気にしないで下さい」 この一言で若菜は米国行きを決意した。なのに…である。

渡米後の生活の面倒をみてくれたのはかつて長嶋巨人の助っ人だったデーブ・ジョンソン氏。現在は3A・タイズの監督に就いている彼は「今のウチは若手にチャンスを掴んで欲しい大事な時期なんだ。3Aの枠は22人で君に割ける余裕は無く仕方ない措置なのだ。若手に何かアクシデントが起きたらすぐに選手に戻れるようにしておく。その為に練習もこれまで通り自由にやって構わないのでコーチの肩書きで残って欲しい」と頭を下げた。日頃から世話になっている彼に懇願されれば無下には断れない。しかし「野球をする為に来たのにコーチなんて思いもしかった。先ず頭に浮かんだのは日本の事。あれだけ盛大に送り出して貰いながらこのザマでは残された家族が笑い者になるのではという不安だった」米国に残る以上、若菜に選択の余地は無く大リーグに日本人初のコーチが誕生する事となった。

取り敢えずは米国に留まる事になったが来年以降はどうするのか?「メッツが選手として契約してくれるのならこちらにいるつもり。僕の気持ちは野球をやりたい、それだけです。使ってくれるのなら日本の球団でも構わない」と。そして若菜には昔からの夢が有るという。あの長嶋さんがどこかの球団で指揮を執る事になったら是非とも彼の下でプレーしたいそうだ。「子供の頃から長嶋さんのファン。オールスター戦で満塁本塁打を放った時に『若菜いいゾ』と声をかけて貰って嬉しかった」と無邪気に語る。誘いのあった日本の4球団のうち1つに長嶋氏の監督就任説が根強くあり若菜もその動向を海を渡った遠く離れた異国の地から常に気にかけている。

とにかく今は与えられた場でやるべき事をこなしていくしかない。若菜が所属する3Aは9月2日までに何と140試合を消化する。つまり殆ど毎日が試合で朝6時に集合して移動し即試合を行い、試合が終わればまた移動。それの繰り返しの中で自分のトレーニングもしなければならない。打撃練習も出来るが5人1組で20分と限られており充分とは言えない。「これからが本当の勉強です。とにかく色々な事を学びたい」「体調はまずまず、日本にいた時と変わらない。肩だって普通に投げてますから大丈夫です」 " コーチ就任 " がイコール " 引退 " でない事を強調する。現状を見つめ、その中で最善の方向を探し出し突き進んで行く。今の若菜にはそんな姿勢がある。

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