Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 522 ボクの甲子園 ①

2018年03月14日 | 1985 年 



中西清起(昭和55年・高知商)
僕が出場した頃の高知県内では春に優勝した学校は夏の大会には出られない、といったジンクスがありました。なので明徳に勝って出場が決まった時はホッとしました。周囲からは春夏連覇を期待されましたけど連覇するより夏に出られた事の方が嬉しかったですね。1回戦は松商学園に2-0で勝ちましたが、2回戦は箕島に0-5で負けました。悔しさより「これで終わった」の安堵感の方が強かったです。

江川 卓(昭和48年・作新学院)
やはり一番思い出に残っているのは第55回大会2回戦の銚子商戦ですね。延長12回裏、無死満塁で押し出しサヨナラ負け。フルカウントになって皆がマウンドに集まって「お前の一番好きな球を放れ」と言ってくれたのが嬉しくてね。それまでのチーム内は僕だけがマスコミに注目されてどこかギクシャクしてたのが一つになれた感じがしました。負けたのは悔しかったですけど得たモノは大きかったです。

石嶺和彦(昭和52 , 53年・豊見城)
高2の春から甲子園には4回出場しましたけど最後の試合(準々決勝の岡山南戦)が一番印象に残っています。この試合で初めてホームランを打って個人的には嬉しかったですけど、延長10回裏にスクイズを決められてサヨナラ負けでした。僕は捕手だったので捕球した球を審判に返した時に「あぁ、もう球を握る事はないんだ…」と寂しくなりました。

山崎隆造(昭和51年・崇徳)
センバツ大会で優勝しましたから夏も、という気持ちは勿論ありました。怪物と騒がれた酒井投手(現ヤクルト)の海星高と3回戦であたり、ウチのエースの黒田(現ヤクルト)との投げ合いは両チーム合わせて5安打の息詰まる投手戦でした。結果は0-1で負けてしまいました。広島に帰ってやることがなくてテレビで甲子園の試合中継を見たら無性に寂しくなりました。

鹿取義隆(昭和48年・高知商)
2年生の時ですから昭和48年の大会ですね。4回戦まで勝ち進んで広島商と戦ったんですけどウチのエース・浜田さんが足の怪我で降板して3回から僕が登板しました。交代して直ぐにチーム初安打を打って気分良くマウンドに上りましたが、達川さん(現広島)にホームランを浴びるなどして2-7で負けてしまいました。突然に巡ってきた晴れ舞台は惨々なものになってしまいました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« # 521 死のロード密着ルポ | トップ | # 523 ボクの甲子園 ② »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1985 年 」カテゴリの最新記事