毒島ヘッドコーチは最適任者だ !
記 者…コーチの話が出ましたがスタッフの陣容も固まりつつありますね。ヘッドコーチに毒島さんを起用する理由は?
森 …毒島さんは先ずハッキリものが言える。人間として裏表のない方。それとスカウト経験があり若手選手にも精通している。
叱ることも出来るし裏表がないからシコリも残らない。今の西武にはうってつけの人だと思い起用しました
記 者…投手コーチは?
森 …一番の心配は投手陣ですね。とにかく頭数が足らない上に後半戦に肩や肘を痛めた投手が続出し無傷の投手はごく僅か。
この傷だらけの投手陣を再生しなければ優勝は難しい。先ずは現状分析です。故障の原因が何なのか、練習法か投げ方か
分析中です。ですから投手コーチには選手の中に飛び込んで行けて投手という人種を知り尽くした人に任せたい。そこで
選んだのが八木沢君です
川 上…戦力面での課題は外人。郭投手はまずまずだがスティーブ選手は長打力不足で守りも肩が弱い。郭は右肩に不安があり1年を
通してコンスタントに活躍できていない。もしも郭がローテーションに入れないなら外人打者が2人でもいい。大砲を獲って
もらいなさいよ
森 …その件はフロント陣と協議中です
川 上…さすがだね。恐れ入りました(笑)
森 …フロントもちゃんと考えてくれています
川 上…もう言うことなしだ。これで勝てなかったら監督が悪い(笑)
森 …はい(笑)
川 上…ついでに言わせてもらうと前監督はマスコミの前で選手に対する愚痴を言っていた。これは感心しません。決して外部に
不満を漏らしちゃいけない。これはくれぐれも注意してほしい
森 …僕らの頃は何を言われても聞き流していましたが、今の選手達は真面目ですから委縮してしまう。時代ですね(苦笑)
清原は先ず自分の目で確かめてから
記 者…さて、世代交代の象徴のように扱われているのがPL学園から入団する清原選手ですがどう使う予定ですか?
森 …彼は一塁をやってきたわけですから先ずは一塁手としての適性を自分の目で確かめるつもりです。しかる後にコンバートの
必要があればそこで考えます。清原にとって、チームにとって一番良い方法を探っていきたい
川 上…ファンは清原を早く見たいだろうけど慌てる必要はない。体力を付けさせてからでも決して遅くない。逸材である事は
間違いないのだから
森 …話は変わりますけど川上さんにお聞きしたいことがあります。監督に就任して初めての優勝(昭和36年)は正直言って
勝てると思いましたか?ルーキー監督として非常に興味のあるところなんです
川 上…全く思わなかったね。無我夢中で戦っていたら優勝していた感じだった。むしろ大変だったのは2年目ですよ。続けて
優勝すれば選手も自信が持てると思って手綱を締めた。そういう感じじゃなかった?
森 …いや、逆ですね。1年目の方が厳しかった。2年目はキャンプも3勤1休になりましたし
川 上…えっ、そうだった?
森 …昭和36年はとにかく練習、練習の1年でした。多摩川で雨の中でも練習して南海との日本シリーズに臨んだくらいでしたから。
ところが翌年は一転して楽になった。そうしたら優勝できなくて次の年は36年以上に厳しくなった。憶えてませんか?
川 上…私は囲碁の世界の言葉である『一石は弱し、二石は強し』をモットーにしている。だから1年目より2年目の方を厳しくやった
つもりだった。ただ頭のどこかで1年目は無我夢中で無茶をしたから2年目は知らず知らずのうちに緩めたのかもしれない。
ボクシングだって3分間戦って1分休むのだから、キャンプも3日間厳しくやって1日ゆっくり休んだ方が良いと考えて
3勤1休にしたんです。それくらい昭和36年は精神的に尋常じゃなかった
森 …あの年は本当に大変だった。移動日や雨の日でも練習するんです。私も含めて選手達は「何でこんなに練習するんだ」と
不平不満がタラタラだった。それが半年経つと練習するのが当たり前と感じるようになった。人間は不思議な生き物です(苦笑)
川 上…監督と選手の根くらべですよ
森 …私もコーチになった時に選手に言いました『君達も嫌だろうけど、やらせる我々はもっと嫌なんだ』と
V9野球はあらゆる面で革命的だ
森 …振り返ると私の本当の野球人生のスタートは昭和36年だった気がします。九連覇は昭和40年から始まりましたが、その原点は
昭和36年です。川上さんの野球が、優勝 ⇒ 4位 ⇒ 優勝 ⇒ 3位 という歩みを繰り返すうちに巨人軍の野球が確立されて
九連覇へと繋がったと理解しています。川上さんの口癖は「球際に強くなれ」で、今では当たり前のように言われていますが
当時は何のこっちゃ、と皆で首を傾げていました(笑)
川 上…「球際で強く」とか「特訓」などは私の造語ですよ(笑)。取材を一手に引き受ける「広報担当」、「トレーニングコーチ」や
練習中のグラウンドに音楽を流したのも私の発案です
森 …音楽的センスが皆無の川上さんがバックグランドミュージックを考えるなんて(笑)。それから先乗りスコアラーも川上さんの
案です。とにかく新たなことを開拓するのは非常に勇気がいりますが川上さんは躊躇しなかった。いわゆる " 哲のカーテン " は
大正解でした。当時は記者さんがグラウンドの中まで入って取材するのが当たり前だった。それを川上さんが規制した。画期的
でしたよ。もちろん選手は大賛成でした。マスコミを敵に回してでも自分の信念を貫き通す勇気に感服しました。私も是非とも
見習いたいです
川 上…森君はよく勉強していた。14年間のミーティングの内容を全てメモしていたのが牧野コーチと森君の2人だけ。実に
大したものです。長嶋君なんか右から左へ聞き流していた(笑)。でも彼はそれでいいんです。試合でしっかり結果を
出す彼に理屈は必要ありません(笑)
森 …自己反省が一番大事だと思います。そのノートはコーチとして選手を指導する際に本当に役に立ちました
9人の敵をすべて殺したプロ根性
記 者…さて来年の話になりますが西武はどんな戦いを見せてくれるのでしょうか?
森 …今季は確かに西武はリーグ優勝しました。しかし後半戦の西武が本当の姿だと思います。よほど気持ちを引き締めて戦わないと
足元をすくわれます。他球団は打倒西武で来ると思いますが私はその方が楽しみです。叩かれれば叩かれるほどナニクソッと
反発するタイプです。何しろ川上さんに毎年のように新しい捕手をぶつけられて鍛えられましたから(笑)
記 者…調べてみたら森さんがレギュラーになって以降、9人の刺客を送られましたが森さんは返り討ちにしました
昭和35年 佐々木 勲(明治大)・野口元三(平安高)
昭和37年 淡河 弘(久留米商)
昭和38年 大橋 勲(慶応大)・宮寺勝利(東洋大)
昭和40年 吉田孝司(市神港高)
昭和42年 槌田 誠(立教大)・矢沢 正(中京商)
昭和45年 阿野鉱二(早稲田大)
森 …これは堪らなかったですよ。しかし常に緊張感を持つようにする事でマンネリや馴れで緩むのを許さなかった。そのお蔭で
結局20年も現役を続けることが出来た。川上さんに感謝していますよ
川 上…君は怪我にも強かったからね。ある時、試合中に怪我をした。それも1ヶ月くらい欠場するような怪我だったのに3日で
帰って来た。あの頃の選手は性根が座っていたし、長く現役を続けられたのは本人の努力の結果ですよ。とにかく来年、森君が
どんな野球をするのか楽しみです。監督が変わればそれまで陽の目を見なかった選手が出て来るものです。それも楽しみです
森 …先ずは使える投手を発掘しなくては。これは私の専門分野ですから何とかしたいです
川 上…何が何でも4年は監督をやる。その間に西武の野球はコレだ、というものを作って次の世代にバトンを渡す。頑張ってほしい
森 …分かりました。精一杯頑張ります。今日はありがとうございました
記 者…御二方、本日はありがとうございました
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