「ユタカよ、リリーフで野球界に革命を起こしてみんか?」 江夏が野村監督に言われたのは昭和52年の開幕直後だった。
昭和48年頃に発症した血行障害は江夏の左腕を蝕み、力が入らないだけではなく肘をカギ型に曲げてしまった。阪神から
南海へ移籍して来た昭和51年は14試合に先発して僅か6勝で「江夏はもう終わり」との声がもっぱらだった。江夏自身にも
衰えの自覚はあった。あったがそれを認めようとしなかった。そんな時に野村監督の言葉、「リリーフで…」が耳に残った。
特に「革命」という一言に心を動かされた。「やってやろうじゃないか!」 リリーフエース・江夏豊が誕生した瞬間である。
この年に救援投手として頭角を現したのは巨人・角だけではありませんでした。「今ならどんな場面でも抑える自信が有ります」・・・首位を走るチームを支える若きリリーフエースは胸を張って答える。一昨年スピードガンの申し子として彗星の如く現れたのがプロ入り2年目の中日・小松辰雄投手。しかし昨年は2年目のジンクスに陥り右ヒジも痛め、1勝5敗6Sと成績も急降下し地元金沢に凱旋遠征前に二軍落ちするなど屈辱的なシーズンを送った。捲土重来の今シーズンは近藤監督の方針でキャンプで投げ込みを減らし肩やヒジに負担の掛からないフォーム作りからやり直した結果、力まかせではなくボールのキレで打者を打ち取る現在の投球スタイルを身につけた。150㌔の速球に加えてカーブのコントロールの精度が増し、さらにフォークボールを完璧にマスターした事で向かうところ敵なし状態で、連続セーブ成功記録が更新中なのも当然の結果である。今の調子を持続する事が出来れば最優秀救援投手賞や今年から新設されたファイアマン賞、さらには同僚・鈴木孝政投手が持つシーズンセーブ記録(26S)更新も夢ではない。
ところが近藤監督の思いつきで先発転向すると、1完封を含む6完投と結果を出し「最優秀救援投手賞も
セーブ記録もいらないです」と。やはり投手の本心は先発・完投にあるのだと世に知らしめました。
パ・リーグでは阪急・関口が新守護神に名乗りをあげた。昭和53年のドラフト1位指名、吉田商(山梨)出身の3年目・20歳のホープだ。昨年は先発で3勝をあげたが今年は急遽リリーフ役に回っている。上田監督は関口をエース山田の後継者として育てる方針だったが、山田が開幕3連敗を喫するなどのチーム事情のため仕方なく関口をリリーフで起用している。手も足も出ない快速球がある訳ではない、140㌔前後の直球にカーブ・スライダー・シンカーを織り交ぜて打ち取っていくスタイル。 今シーズンの初登板は4月8日のロッテ戦、2点リードの7回無死1・2塁。いきなり四球を与えて迎える打者は落合。ここを「三・捕・一」の併殺、続く土肥を三振に斬って取り「セーブ王」へのデビューを果たした。「あれが全てだったと思います。あの時、ひょっとして今年はやれるかもと感じました」と振り返る。「山田の時は完投が計算できる。他の先発投手の時は7回までもってくれれば後は関口までの継投を間違えなければ
良いだけ(上田監督)」と今や信頼は絶大である。「マウンドへ行くのが楽しい」と努めて明るく振舞っているが、ベンチ裏の声を聞くとかなり疲れが溜まっているそうだ。「若いし連投しても大丈夫。リリーフは勿論、先発だって(梶本投手コーチ)」と今以上に登板機会が増える可能性さえある。20歳の若武者の右腕に阪急の今年が掛かっている。
関口や角の出現に触発されて他球団でもリリーフ役を探し始めた。ロッテ・梅沢や阪神・中田がそうだ。梅沢は4年目、中田は新人だが二人は共に昭和34年生まれの22歳。防御率トップの梅沢は「投げるたびに防御率が良くなっていくのが楽しいと言っているけど、本当はね毎日が怖くて仕方ない。それを悟られたらボクみたいな若造は相手に舐められる。だから平気な顔をわざとしてるんですよ」と正直に答える。一方の中田はチーム事情でやむなくリリーフ役に回っている。中西監督の開幕前の構想では江本と池内の二人でに終盤を任せる腹づもりだったが二人揃って不調のためルーキーにお鉢が回って
来たのだ。もっともこの配置転換は一時的なもので中田はいずれ先発陣に戻される予定だそうだ。
打者を捻じ伏せる直球を持ち合わせないクローザーは長続きしません。近鉄・山口哲治投手が消えた
ように関口も、この年をピークに成績は下降線を辿り翌年から引退するまでの7年間で、3勝5敗0Sの
成績しか残せませんでした。
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