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買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 580 私的高校野球回顧

2019年04月24日 | 1985 年 



1985年の甲子園は春・夏ともに主役はPL学園だった。今春のセンバツ大会のクライマックスは準決勝のPL学園と伊野商(高知)戦。渡辺智男投手と清原和博選手の対決は見応えがあった。最初の対決は2回裏、フルカウント2-3から外角速球で空振り三振。スピードガンの数字は136km とそう速くはないが外角いっぱいの制球が素晴らしかった。2打席目は4回裏、一塁に走者がいて渡辺投手は慎重になりボールカウントは0-3。が、ここからが凄かった。インロー、アウトロー、最後はド真ん中に3球全て直球を投げ込み空振り三振に仕留めた。6回裏の3打席目は「気負い過ぎちゃって(渡辺)」と四球。そして迎えた8回裏の4打席目で清原選手は2打席目以上のショックと屈辱を味わうことになる。

渡辺投手は初球のカーブで空振り、2球目の外角速球で空振り、そして3球勝負で遊ばず外角低めに速球をズドン。茫然と見送った清原は三振に倒れ、続く9回裏も抑えられたPL学園は伊野商の軍門に下った。PL学園はセンバツ大会でも優勝候補の筆頭に挙げられていた。桑田・清原を擁し優勝しないとおかしいと思われていたくらいチーム力は充実していた。事実、1回戦の浜松商(静岡)を11対1の大差で下し、2回戦も注目左腕・田上投手率いる宇部商(山口)も6対2で下し順調に勝ち進んだ。この試合で桑田投手は春夏通算14勝を記録し石井投手(箕島高)と並んだ。準々決勝の天理(奈良)も7対0で粉砕し桑田投手は甲子園最多勝利投手となった。

そして準決勝戦で前述の伊野商と対戦する。戦前の予想では投打ともに盤石のPL学園に対し初陣の伊野商相手ではPL学園に分があると見られていた。準々決勝まで力投してきた渡辺投手だが強打を誇るPL打線を抑えるのは難しいと考えられていた。しかし渡辺投手は自信があったそうだ。それも打線の中心である清原選手を無安打どころか全打席三振を奪うことを考え徹底的に研究し試合に臨んだ。どのような攻略法だったかは夏の大会が残っていたので明らかにはされなかったが結果的にほぼ渡辺投手の思惑通りになった。清原選手が抑えられて分断してしまったPL打線は沈黙し敗れた。渡辺投手の快投でPL学園時代の終焉を迎えるかもしれないと感じたセンバツ大会であった。

池田高(徳島)の躍進など四国黄金時代に終止符を打ったのが報徳学園やPL学園の近畿勢。そして伊野商によって再び四国勢の復活か、と注目が集まった高知県と大阪府の夏の予選。参加校が25校の高知県に対し大阪府は167校。7月中旬から始まった地区予選で伊野商は順調に勝ち進み高知商との決勝戦に臨んだ。伊野商は初回に1点を先制したが渡辺投手が8回に逆転され、1対5で敗れ甲子園出場の夢は断たれた。伊野商に勝った高知商のエース・中山投手は渡辺投手に負けず劣らずの好投手で、打倒PL学園の一番手になる逸材だとの期待が大きかった。一方のPL学園は決勝戦で東海大仰星を17対0と撃破し予選を突破、KKコンビにとって最後の甲子園出場を決めた。

波乱も予想された夏の大会だったが終わってみればPL学園の強さを再認識させられた大会だった。伊野商を倒して甲子園にやって来た高知商は準々決勝でPL学園と対戦した。渡辺投手以上と評価された中山投手だったが、桑田&清原にアベックアーチを打たれて粉砕された。決勝戦はPL学園と宇部商(山口)。宇部商のエース・田上投手が不調に陥り代わりに古谷投手がPL学園戦に先発した。試合は宇部商の四番・藤井選手の猛打で一度はリードしたがPL学園がサヨナラ勝ちで優勝した。今大会で桑田投手は春夏甲子園通算20勝、清原選手は3本塁打、通算では13本塁打を記録。このKKコンビの記録を今後破る選手の出現は恐らく不可能と思われる。

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