北海道新聞2010年7月22日朝刊社会面の死亡記事から。
わたしは「こばきん」こと小林金三さんが、かの名高き「7社共同宣言」に北海道新聞が反対の論を掲げたときに、どのような役回りを演じていたのかを恥ずかしながら知らない。
ただし、道新の姿勢がこの後、多くの優秀な人材を得るのに役立ったことだけはまちがいないだろうし、平和と民主主義を追求する北海道新聞の論調のバックボーンをつくったひとりであることも、やはり確実であろう。
このブログで指摘しておかなくてはならないことは、こばきんさんは、政経部や論説畑が長かったが、文化芸術にも造けいが深かったことだ。政治部や社会部の一線で働きながら文化もおろそかにしないのは、この年代の北海道新聞記者の多くにみられる(そして新聞社のみならず社会全体の分業化が進んだ近年はあまりみられない)性格といえるかもしれない。
小樽支社長時代、街角で走らせた風景スケッチは、「小樽・街並み」という画集に結実した。市立小樽文学館が所蔵するそれらの素描を見た人も多いのではないか。
もとより専門画家の手になる絵ではないにせよ、古い街並みが日に日に失われていく小樽にあって、非常に貴重な資料としての価値が高まっていると思われる。
さらに退職後の「こばきん」さんは、本格的に絵画に挑戦し、すべて抽象画による個展を、札幌時計台ギャラリーの3室を用いて開催したこともある。
筆者は未見であるが、1998年には「手稲山麓 自然と心象」という画集も出版しているらしい。
2008年にも、道新ぎゃらりーで風景画の個展を開いていた。
札幌彫刻美術館友の会が発行している会報「いずみ」の巻頭言の筆を執ったこともある。
その一文は、2004年、北海道美術ネットの「つれづれ日録」にも引用したが、ここでもう一度引いておきたい。
含蓄の深い言葉だなと、しみじみ思わざるを得ない。
美術館を支えているのはたくさんのしろうとなのだから、何か言うのに「自分は専門家じゃないから…」などと臆する必要など、全くないのだ。
筆者は会社の後輩といっても、こばきんさんとは年齢が違いすぎ、入社したときにはすでに退社後であったので、特に何かを言う資格もないように思われますが(直接ことばを交わした記憶もないほどなので)、もっと先輩にあたる方のブログにすてきな文章があったので、リンクをはっておきます。
http://makanangin.at.webry.info/201007/article_21.html
合掌。
小林 金三さん(こばやし・きんぞう=元北海道新聞社監査役)18日午後2時、膵臓(すいぞう)がんのため死去、87歳。三笠市出身。
(中略)
46年、北海道新聞社入社。論説委員、小樽支社長などを経て、74年論説主幹、79年監査役。北海道新聞初の移動特派員として、65年からベトナム戦争を取材した。
著書に、60年安保闘争による対立を抑制するよう呼びかけた全国紙などによる「7社共同宣言」に対し、反対の論陣を張った北海道新聞論説委員をモデルにした小説「論説委員室」や「ベトナム日記」などがある。
わたしは「こばきん」こと小林金三さんが、かの名高き「7社共同宣言」に北海道新聞が反対の論を掲げたときに、どのような役回りを演じていたのかを恥ずかしながら知らない。
ただし、道新の姿勢がこの後、多くの優秀な人材を得るのに役立ったことだけはまちがいないだろうし、平和と民主主義を追求する北海道新聞の論調のバックボーンをつくったひとりであることも、やはり確実であろう。
このブログで指摘しておかなくてはならないことは、こばきんさんは、政経部や論説畑が長かったが、文化芸術にも造けいが深かったことだ。政治部や社会部の一線で働きながら文化もおろそかにしないのは、この年代の北海道新聞記者の多くにみられる(そして新聞社のみならず社会全体の分業化が進んだ近年はあまりみられない)性格といえるかもしれない。
小樽支社長時代、街角で走らせた風景スケッチは、「小樽・街並み」という画集に結実した。市立小樽文学館が所蔵するそれらの素描を見た人も多いのではないか。
もとより専門画家の手になる絵ではないにせよ、古い街並みが日に日に失われていく小樽にあって、非常に貴重な資料としての価値が高まっていると思われる。
さらに退職後の「こばきん」さんは、本格的に絵画に挑戦し、すべて抽象画による個展を、札幌時計台ギャラリーの3室を用いて開催したこともある。
筆者は未見であるが、1998年には「手稲山麓 自然と心象」という画集も出版しているらしい。
2008年にも、道新ぎゃらりーで風景画の個展を開いていた。
札幌彫刻美術館友の会が発行している会報「いずみ」の巻頭言の筆を執ったこともある。
その一文は、2004年、北海道美術ネットの「つれづれ日録」にも引用したが、ここでもう一度引いておきたい。
美術館を訪ねてみようと思うほどの人は、その道の達人である。専門家も及ばない鑑賞力を持っている。それは知識で見ようとするのではなく、ただただ自分の感性で見ようとするからである。余り短絡しては間違うけれど、いいか悪いか-よりも、好きか嫌いか-の判断力は強烈だ。しかも鑑賞を繰り返すことで「好き」の領域が自然と「よいか悪いか」の鑑賞眼をひろげることになるから、おそろしい。ゆめゆめ、しろうとを見損なうなかれ! である。そればかりか、美術館は、実はそれらの人たち-美術愛好家という名のしろうとたちによって支えられているのである。
含蓄の深い言葉だなと、しみじみ思わざるを得ない。
美術館を支えているのはたくさんのしろうとなのだから、何か言うのに「自分は専門家じゃないから…」などと臆する必要など、全くないのだ。
筆者は会社の後輩といっても、こばきんさんとは年齢が違いすぎ、入社したときにはすでに退社後であったので、特に何かを言う資格もないように思われますが(直接ことばを交わした記憶もないほどなので)、もっと先輩にあたる方のブログにすてきな文章があったので、リンクをはっておきます。
http://makanangin.at.webry.info/201007/article_21.html
合掌。