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北海道美術ネット別館

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写真展 サハリン追跡 残留朝鮮人の軌跡

2006年01月07日 19時32分31秒 | 展覧会の紹介-写真
  「フォトジャーナリスト・片山通夫が見つめ続けたサハリンの「いま」」という副題が付いています。

 サハリンは、日露戦争から第2次世界大戦までの間(1905-45年)、日本領でした。
 ほぼおなじ時代、朝鮮半島も日本の支配下に置かれていたため、サハリンにも多くの朝鮮人が移り住みました。しかし、日本の敗戦とともにサハリンがソヴィエト聯邦領となり、1950年からはじまった朝鮮戦争によって半島が南北に分断された結果、ソヴィエトと国交のない韓国を郷里とする人たちは、サハリンにとりのこされてしまったのです。彼(女)らが韓国に永住帰国をみとめられたのは、なんと2000年になってからでした。

 片山さんは1999年からこの問題を追いつづけています。
 ただし出品された80点(すべてモノクロ)のうち、直接朝鮮人に関する写真は半分あまりで、のこりは、厳しいサハリンの冬や、日本領時代に建てられた家や工場跡などにレンズを向けたものです。
 全体の白眉は、「永住帰国前夜の記念写真」など、帰郷を許された人々をとらえたものでしょう。夫婦者に限る、同居家族は不可-といった条件がつけられたために、やむなくサハリンにのこった人も多く、彼(女)らの表情は複雑です。
 また、片山さんは、韓国安山市の帰国者アパートにまで出かけ、老人たちを撮影しています。女性たちは、サハリンの孫に送る手袋を編んだり花札に興じたり元気に暮らしていますが、或る男性の写真には「人間って勝手なものだ。ここで思うのはサハリンのことばかり」というキャプションがつけられています。いくら母国とはいえ、半世紀以上も離れていた土地にすんなりなじむのは至難の業なのでしょう。

 大戦と冷戦ののこした傷の大きさをあらためて思い知らされました。

 このほか、ブイコフの炭鉱で働く朝鮮人たちや、ユジノサハリンスクのバザールの様子も写しとられています。
 サハリンの朝鮮人たちの悲劇のすべての責任が日本にあるというわけではないでしょう。自発的に渡ってきた人もいるでしょうし、なによりソヴィエトが日ソ中立条約を破ってサハリンに侵攻しなければ起きえなかった事態だからです。とはいっても、徴用されて来た人もいるでしょうし、日韓併合が正当化されるわけではないのはもちろんです。
 しかし、日本に対して怒りを表明していた写真は1枚でした。
 むしろ筆者の印象にのこったのは、ユジノサハリンスクに住む朝鮮系画家のアトリエに置かれた「Hoxy」のティッシュペーパーや、オホーツコエのカニのバザールの前で少女が乗っていたブリヂストンの自転車でした。商品は恩讐を超える。違うか。
 
 なお、言わずもがなのことかもしれませんが、プリントの質が一定でないのは、ちょっと残念でした。「社会派」の作品ですから、本質的ではないことでしょうが。

 2005年11月20日-06年1月15日
 道立文学館(中央区中島公園)
 一般400円、大学・高校生200円、65歳以上と中学生以下は無料。常設展との共通割引券あり


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