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足立成亮 -個展-(1月29日まで)

2006年01月26日 15時59分51秒 | 展覧会の紹介-写真
 札幌市内の大学生によるモノクロ写真の個展。
 春の、フラワーギャラリーダンクールのグループ展で見た写真で圧倒されたけど、そのあとの、札幌・琴似や北広島での個展や「ふぉとま」を見てないので、流れ的にはなんともいえない。
 ただ、筆者には、感情のこもった風景というイメージがあったから(そういう写真も会場の出入り口にあったけど)、今回はちょっとびっくりした。
 人物の写真が115点。
 すごいな。オレ、学生のときに、こんなにたくさん知り合い、いなかったぞ。
 「え? どういうふうにしてたらいいの?
 いや てきとうにしてていいよ とるときいうからさ」
というキャプションが最初にあり、ぜんぶ見終わると
「おわったよ どうもありがとう」
と書いてある。
 全体としてぶっきらぼうな感じ。投げやり、というほどではないけれど。壁にピンを刺して、そこからクリップではさんだ写真を下げている。
 でも、写真は良い。すごくいい。笑顔にも、むすっとした顔にも、男でも女でも、ありふれた形容になってしまうけれどその人自身の人柄がにじみ出ている。115人もいるのに、単調にならない。
 たった10人でもおんなじような肖像をならべてしまう人だっているのに。なぜだろう。

 1月24日(火)-29日(日)10:00-19:00(最終日-17:00)
 札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)


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3 コメント

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写真展を見る (T.nakamura)
2006-01-29 21:01:16
会場入り口の右側の壁面に、足立君の代表作であると見受けられるモノクロームの風景写真のパネルが横一列に5,6枚並んでいる。そのなかの2枚目の冬の雪道のわだちの跡を強いコントラストで表現した写真作品はいつ見ても惹きつけられる。これは最高の傑作だと思う。3枚目と4枚目は逆光でとらえたハイコントラストの光景である。ゴルフ練習場にある十数本のコンクリートの高い柱とその間のネットが広角でとらえられていて、その向こうの空一面の雲の表情が見え、その手前に太陽の白光点がかーっと見開いていて、その光を浴びた柱が拡散したように発光している。もう一枚はシルエットになっている電信柱の向こうに、無意識の在り処を感じさせるかのような雲の無表情が累々とひろがっている。



なかに入ると、廊下のような狭い空間がつづいている。壁面に逆光の光景(主題になっているのはトンネルの中から外の光をとらえた世界)が何枚か点在している。それは幻想的な雰囲気をもっていて、足立君の無意識の在り処を部分的に語っているように感ずる。



その狭い廊下のような空間の床に、12月の「フォトマ」で出品した3枚の大きなパネルが直に置いてある。それは植物の静物写真である。そのなかの、草の葉をとらえた写真は彼の代表作の一枚である。それは奇妙な静寂と沈黙の気配に充ちみちていて、その不思議な存在感は見るものの心に無形の、言葉にできない「何か」が伝わってくる。草の葉が沈黙しているのにもかかわらず、何かを語っていると感ずる。それは奇妙な感覚である。



その狭い空間から、隣の大きな空間に入ると、写真の世界が大きく転調する。すべての壁面に縦位置で切り取った人物の顔の写真が何十枚も連なっている。「フォトマ」に参加してた写真家の見知った顔が何枚も並んでいる。



さて、壁面に沿って何回も何回もぐるぐると廻りながら、その「人物写真」に写っている「顔」をひとつひとつ見つめながら、先ず感じたことである。そこにありありと写っていてる日本人の顔はどうしてこうもフラットな顔なのかという身も蓋もない感想である。それは「顔」であり、間違いなく、「日本人の顔」であるのだが、それが確かな「人間の顔」であるのかと問いを立ててみると、俄かに、輪郭が曖昧になってくる。



足立君の人物写真を見るのはこれで二回目である。前回はひとりの女性(との関係性)を追い続けた写真である。今回はそれとはちがって多くの人物の「顔」の写真で構成されている。これら二回の人物写真の表現世界を前にして感ずるのは、それらが彼の風景写真の表現世界が到達した境地にはかならずしも到達していないということだ。苦言を述べるなら、人物写真の、焦点が定まっていない。視点が定まっていない。ポジションが定まっていない。そう思う。そう感ずる。(この顔の写真展には統一したタイトル(主題)が決められていない。決まっていない。)



困難はどこにあるのか。そこに「顔」の問題があり、さらには「日本人の顔」の問題が横たわっている。この問題はたとえて言うならば人間存在の「深い河」の問題なのであるから、簡単にかつ安易に渡ることも通過することも絶対にできない。



そう考えてくると、果たして人の「素顔」を写すことが写真にできるのか、否、それ以前に、果たして人の「素の顔」が日本人のなかに存在するのか。それは日本人の社会のなかから絶滅したのではないのか。



そんなことを考えながら、偶然であるが、教育TV番組「トップランナー」を見る。ゲストは静岡県出身の18歳の女優の長沢まさみである。この女性の「顔」を見た瞬間に、私が探し求めていた人間の素の顔(素顔)がここに存在すると直観した。ほんとうにびっくりする。しげしげと彼女の顔の表情が生き生きと変化するのを食い入って見る。まったくの人間の素の顔の表情である。絶滅してはいなかった!



一人の人物の「顔」を無数に撮影したものか、あるいは無数の人物の「顔」を一枚ずつ撮影したものか。



写真機のレンズの無機的な「眼」は人間の肉眼と違ってウソをつかない、つけない。すべてを在りのままに写してしまう。怖いといえば、とても怖いことである。写真に写っている「顔」は瞬間の表情のまま静止している。表情が静止している「顔」は肉眼ではとらえることができない。それは写真機の「眼」だけができることである。そして静止した「顔」を見せつけられた時、それは奇妙な感覚をもたらす。これは「わたしの顔」なのかと首をひねりながら訝しく思う。



風景写真との決定的な違いは意識の有無(あるいは、無意識の有無)である。顔は意識と無意識が無限に織り成す独得の場(存在)である。そんな世界はどこにもない。人間の顔という存在だけに現象する独得の世界である。顔の表情の無限の変化のなかにあらわれる「素の顔」の存在を写真は撮ることができるのであろうか。それを写すことは静止画像である写真に(映画の連続写真ではなく)果たして可能であるのか。



その問いに対しても、先のTV映像で見ていてすぐに気がつくことであるが、長沢まさみの顔の表情を写真は撮ることができないのではないか。顔の表情の無限の変化のなかにあらわれる「素の顔」の存在を撮ることが写真には物理的に不可能ではないのか。



「写真の可能性」の荒野は果てしなくつづく。
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ポートレートについて (T.nakamura)
2006-01-30 21:55:14
何枚か、惹きつけられた「顔の写真」があった。それは「ポートレート」だと思う。



それはどれも真正面から撮った「顔の写真」はなく、また真横から撮った「顔の写真」でもなくて、どちらかというと、斜向かいの方向から撮った写真である。



正面から撮った写真には大きく言って二種類の顔が写っている。真直ぐカメラのレンズを見つめている顔か、カメラの背後にいる足立君に向かって笑っている顔かのどちらかである。どちらもカメラを向けられた場合の、意識的な反応のかたちであり、かつ無意識の反応のかたちである。



この二つの顔が写っている写真は「ポートレート」にはならないと思う。したがって、人物が写っているからといって、人物の顔が写っているからといって、それらが「肖像写真」というカテゴリーに該当するものなのか、本当の所、とても微妙な問題であると思う。



写真家のうりゅうさんの「笑顔の写真」は顔の一部分がちょん切れているものだが、これは絶妙なタイミングの「ポートレート」だと私は思う。



記憶に残っているもう一枚の写真は、うつむき加減の、はにかんだ表情を浮かべた女性の顔が写っている写真である。それはその女性の「素の顔」が写っていると私は思う。



これは中川晋吉くんと一昨年の「フォトマ」で話し合ったことだが、女性写真家ダイアン・アーバスの有名な写真集のことであった。あれこそが「ポートレート」のひとつの極限だと思う。あの心底怖い写真を日本人の写真家は正面から撮ることができるだろうかと、ふたりで真面目に話し合っていた。



その中川君が昨年の東川で「セルフポートレート」を公表したが、それはまさしくポートレートであると思う。



で、現代の日本人の「ポートレート」というのは、全く手付かずの、未開拓の、未知の、可能性にみちた領野であると思う。それを切り抜ける道筋は既成の方法の踏襲ではとても間に合わないと思う。何らかの方法的発見がなければむつかしいとも思う。



それを足立君に期待している。

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感謝です (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2006-02-01 11:00:09
T.nakamuraさん、筆者よりもはるかに詳細なリポートをお寄せいただき、ありがとうございます。筆者の文章よりも、ずっと臨場感があります。



ただ、「日本人のポートレート」を、全く未開拓といいきってしまうのは、どんなもんでしょう。

土門拳や浅井慎平はいい仕事をしていると思います。

ポートレートとはちょっと違うかもしれませんが、深瀬昌久や牛腸茂雄の仕事もはずすわけには行きません。
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