(漢民族の人名の略体字は、日本で用いられる漢字の字体に直してあります)
※12月26日、指摘を受け全面改稿しました。推測で、事実と異なる話を書いてしまい、みなさんにご迷惑をおかけしたことを、深くおわびします。
北海道と黒龍江省は1986年、友好提携を結んでいる(□参考:北海道のサイト)。しかし、これまで美術関連で何か交流があったという話は寡聞にして知らない。
黒龍江省側から5人、道内勢が20人。この構成については、後ほど記すとして、個人的には、亀井由利さんの「街」(F50)に深い感銘を受けた展覧会だった。
筆者の印象では、亀井さんはこの何年か、モノトーンへの傾斜を急速に強めていたと思う。裸婦や鳥、さらにしぶきなどを抽象的な画面に描いて、人間の内面深く探るような作品が多かった。
今回は、赤やピンク色の奔流が画面を横切る作品。熔岩の流れのようにも見える。
ところどころに、みかん色やビリジアンのしぶきが散って、絶妙の効果を上げている。
画面上部が「地」のように(あるいは風景画の空のように)少しあいていて、そこに黒とオレンジをまぜたような絵の具が薄く延びているのもうまい。
いつもモノトーンの作り手が、色彩をここまでうまく使うとは、驚きだった。
松本道博「新緑の湿原」(P50)も良い。
色の微妙な帯がいくつも左右にわたしてあるが、具象的な表現は、近景から中景にかけての新緑の木々と、それを反射する水面のみ。あとは、抽象的な表現で、かえって広漠たるスケール感をあらわすのに成功している。とりわけ、遠景の紺色が利いている。
山本勇一「光の中で」(91×91)は、画面ぎりぎりいっぱいに馬や人を描いている。人物の腕に巻きつけられたテープかひもが絶妙のリズム感を生んでいるように思った。しかし、山本氏は変幻自在だなあ。
あとはやっぱり、阿部典英「ネェダンナサンあるいは木漏れ日」(120×90)。
墨を用いて楕円形を12個散らすなどして描いた抽象画に、斜めに太い木の棒のようなものを据え付けたミクストメディア作品。木にも加工がほどこしてあり、斜めにした角度が絶妙。
ただ、総じて言えば、過去の展覧会で見た既発表作も多い。
一方、黒龍江省側からの5人はいずれも絵画。油絵が多く、この手の展覧会に多かった水墨画などの伝統絵画は見当たらない。
このうち、田衛平は「歌の如くアンダンテ」という横1メートル、高さ50~54センチという連作(3、5、8、12、17)から5点を並べた。パノラマ的な構図の風景画で、緑豊かな丘陵地帯の風景はまるで北海道のようだ。丘陵を切り開いた牧草地や、どこまでもまっすぐに続く電線などがとりわけ北海道的に見える。
会場にあった簡便な図録によれば、この人は、黒龍江省美術協会副主席、ハルビン師範大学美術学院教授など、団体名・役職が五つもついている。
あと、姚剛「モデル1」「モデル2」は、紫系で裸婦を描いた絵で、のこり3人はいずれも家屋をストレートに描写している。
わずか5人の計11点で、黒龍江省の美術傾向をおしはかることはできまい。
不思議なのは、北海道勢の顔ぶれである。
北海道陶芸協会4人、北海道美術協会5人、全道美術協会5人、新北海道美術協会5人と、阿部典英さん
以下「勝手な推測である」としたくだりは、事実ではないので、取り消します。
この展覧会は、黒龍江省との人的な交流が中止になったことを受けて、文団協が手弁当で開いたもので、補助金は入っていないとのことです(道から文団協に補助が出ているのは、各振興局管内で毎年開かれている文化交流行事に対するもの)。
また、上記の4団体は、いずれも文団協の加盟団体です。
やはり、事実をちゃんと取材しないと、だめです。
深く反省します。
以下、勝手な推測である。
この展覧会の主催は、北海道文化団体協会(文団協)である。
道の補助金で開催することになったが、文団協会長の阿部典英さんは忙しいこともあり、じっくり人選している時間がない。そこで、道内の3大団体公募展にいわば「丸投げ」する形になったのではないか。
また、阿部典英さんと、北海道陶芸協会の下沢俊也さんは旧知の仲であることから、同協会が入ることになったのかもしれない(どうして、北海道陶芸会でも美工展でもなく、北海道陶芸協会なのか、という問いはあってしかるべきだろう)。
もちろん、単純に結論づければ、ここに露出している状態は、「キュレーションの不在」以外のなにものでもないだろう。
北海道側も黒龍江省側も、ほとんどは自作を持ち寄っただけで、この展覧会を意識して新作を制作した気配は無い。
また、この展覧会にふさわしい顔ぶれは何かを考えた形跡も無い。
もっとも、この規模の展覧会に、そういったものが必要なのだろうかと問われれば、必ずしもそうではないのかもしれない。
これを機会に、人的な交流が強まれば、展覧会を開いた意味もあるのかもしれない。
しかし、こういう場に、一定の言説なり思想なりを招来することは、いま東アジアの政治情勢をぎくしゃくさせている原因たる歴史認識や領土問題を一緒に引っ張ってくる可能性もあるということである。
そう考えれば、この展覧会の場に、言説もキュレーションも不在であるということは、国際政治における思想の不在を反映していることなのかもしれない。
それにしても、道内の美術家は、四川省や、韓国(済州島など)とは手弁当で交流を積み重ねてきているわけで、こういう展覧会が官からいわば「降ってくる」かたちで開かれるのは、いったいどんな事情があるのか、知りたいと思う。
2013年12月10日(火)~23日(月)午前10時~午後6時
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルビル地下)
・地下鉄東西線西11丁目2番出口から徒歩1分
・市電「中央区役所前」降車すぐ
・じょうてつバス「西11丁目駅前」すぐ
関連記事へのリンク
■亀井由利個展 (2010)
北都館で清水アヤ子・亀井由利2人展(2009年10月)
■亀井由利小品展(2009年5月)
■たぴお記念25th + 13th 異形小空間 (2007~08年)
■亀井由利個展(2007年)
■亀井由利 心象世界(07年4月)
■BOOKS ART展(06年11月。画像なし)
■06年9月の個展
■LEBENS展(06年6月。画像なし)
■新道展50周年記念展(05年。画像なし)
■柴崎康男・亀井由利2人展(04年。画像なし)
亀井由利「かかえる」
※12月26日、指摘を受け全面改稿しました。推測で、事実と異なる話を書いてしまい、みなさんにご迷惑をおかけしたことを、深くおわびします。
北海道と黒龍江省は1986年、友好提携を結んでいる(□参考:北海道のサイト)。しかし、これまで美術関連で何か交流があったという話は寡聞にして知らない。
黒龍江省側から5人、道内勢が20人。この構成については、後ほど記すとして、個人的には、亀井由利さんの「街」(F50)に深い感銘を受けた展覧会だった。
筆者の印象では、亀井さんはこの何年か、モノトーンへの傾斜を急速に強めていたと思う。裸婦や鳥、さらにしぶきなどを抽象的な画面に描いて、人間の内面深く探るような作品が多かった。
今回は、赤やピンク色の奔流が画面を横切る作品。熔岩の流れのようにも見える。
ところどころに、みかん色やビリジアンのしぶきが散って、絶妙の効果を上げている。
画面上部が「地」のように(あるいは風景画の空のように)少しあいていて、そこに黒とオレンジをまぜたような絵の具が薄く延びているのもうまい。
いつもモノトーンの作り手が、色彩をここまでうまく使うとは、驚きだった。
松本道博「新緑の湿原」(P50)も良い。
色の微妙な帯がいくつも左右にわたしてあるが、具象的な表現は、近景から中景にかけての新緑の木々と、それを反射する水面のみ。あとは、抽象的な表現で、かえって広漠たるスケール感をあらわすのに成功している。とりわけ、遠景の紺色が利いている。
山本勇一「光の中で」(91×91)は、画面ぎりぎりいっぱいに馬や人を描いている。人物の腕に巻きつけられたテープかひもが絶妙のリズム感を生んでいるように思った。しかし、山本氏は変幻自在だなあ。
あとはやっぱり、阿部典英「ネェダンナサンあるいは木漏れ日」(120×90)。
墨を用いて楕円形を12個散らすなどして描いた抽象画に、斜めに太い木の棒のようなものを据え付けたミクストメディア作品。木にも加工がほどこしてあり、斜めにした角度が絶妙。
ただ、総じて言えば、過去の展覧会で見た既発表作も多い。
一方、黒龍江省側からの5人はいずれも絵画。油絵が多く、この手の展覧会に多かった水墨画などの伝統絵画は見当たらない。
このうち、田衛平は「歌の如くアンダンテ」という横1メートル、高さ50~54センチという連作(3、5、8、12、17)から5点を並べた。パノラマ的な構図の風景画で、緑豊かな丘陵地帯の風景はまるで北海道のようだ。丘陵を切り開いた牧草地や、どこまでもまっすぐに続く電線などがとりわけ北海道的に見える。
会場にあった簡便な図録によれば、この人は、黒龍江省美術協会副主席、ハルビン師範大学美術学院教授など、団体名・役職が五つもついている。
あと、姚剛「モデル1」「モデル2」は、紫系で裸婦を描いた絵で、のこり3人はいずれも家屋をストレートに描写している。
わずか5人の計11点で、黒龍江省の美術傾向をおしはかることはできまい。
不思議なのは、北海道勢の顔ぶれである。
北海道陶芸協会4人、北海道美術協会5人、全道美術協会5人、新北海道美術協会5人と、阿部典英さん
以下「勝手な推測である」としたくだりは、事実ではないので、取り消します。
この展覧会は、黒龍江省との人的な交流が中止になったことを受けて、文団協が手弁当で開いたもので、補助金は入っていないとのことです(道から文団協に補助が出ているのは、各振興局管内で毎年開かれている文化交流行事に対するもの)。
また、上記の4団体は、いずれも文団協の加盟団体です。
やはり、事実をちゃんと取材しないと、だめです。
深く反省します。
この展覧会の主催は、北海道文化団体協会(文団協)である。
道の補助金で開催することになったが、文団協会長の阿部典英さんは忙しいこともあり、じっくり人選している時間がない。そこで、道内の3大団体公募展にいわば「丸投げ」する形になったのではないか。
また、阿部典英さんと、北海道陶芸協会の下沢俊也さんは旧知の仲であることから、同協会が入ることになったのかもしれない(どうして、北海道陶芸会でも美工展でもなく、北海道陶芸協会なのか、という問いはあってしかるべきだろう)。
もちろん、単純に結論づければ、ここに露出している状態は、「キュレーションの不在」以外のなにものでもないだろう。
北海道側も黒龍江省側も、ほとんどは自作を持ち寄っただけで、この展覧会を意識して新作を制作した気配は無い。
また、この展覧会にふさわしい顔ぶれは何かを考えた形跡も無い。
もっとも、この規模の展覧会に、そういったものが必要なのだろうかと問われれば、必ずしもそうではないのかもしれない。
これを機会に、人的な交流が強まれば、展覧会を開いた意味もあるのかもしれない。
しかし、こういう場に、一定の言説なり思想なりを招来することは、いま東アジアの政治情勢をぎくしゃくさせている原因たる歴史認識や領土問題を一緒に引っ張ってくる可能性もあるということである。
そう考えれば、この展覧会の場に、言説もキュレーションも不在であるということは、国際政治における思想の不在を反映していることなのかもしれない。
それにしても、道内の美術家は、四川省や、韓国(済州島など)とは手弁当で交流を積み重ねてきているわけで、こういう展覧会が官からいわば「降ってくる」かたちで開かれるのは、いったいどんな事情があるのか、知りたいと思う。
2013年12月10日(火)~23日(月)午前10時~午後6時
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルビル地下)
・地下鉄東西線西11丁目2番出口から徒歩1分
・市電「中央区役所前」降車すぐ
・じょうてつバス「西11丁目駅前」すぐ
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北都館で清水アヤ子・亀井由利2人展(2009年10月)
■亀井由利小品展(2009年5月)
■たぴお記念25th + 13th 異形小空間 (2007~08年)
■亀井由利個展(2007年)
■亀井由利 心象世界(07年4月)
■BOOKS ART展(06年11月。画像なし)
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■LEBENS展(06年6月。画像なし)
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■柴崎康男・亀井由利2人展(04年。画像なし)
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