(承前。長文です)
山内壮夫は1907年(明治40年)岩見沢生まれ、幼いころに札幌に移った彫刻家。
札幌西高、東京高等工芸学校彫刻科(現千葉大)では本郷新の後輩で、国展を脱退して新制作派協会(のちの新制作協会)彫刻部を創立したときも本郷と行動を共にしました。1932年(昭和7年)には札幌三越で、当時は珍しい彫刻展を本郷と2人展を開いています。
戦時中は札幌に疎開し、1945年に旗揚げした全道展の創立会員となります。
51年にふたたび上京して東京にアトリエを構えますが、その後も北海道銀行本店のレリーフを本郷らと合作するなど、北海道とのつながりは深く、大通西1丁目の「希望」など、多くの作品があります。
筆者は2008年ごろ、このブログで札幌とその近郊にある野外彫刻を集中的に紹介しています(下のリンクを参照してください)。
生誕100年という機会だというのに、美術館が回顧展などを開く気配が感じ取れなかったからで、それがとても残念でした。
本郷新や佐藤忠良に比べると、山内壮夫はあまり顧みられていないようなのも残念ですし、あるいはそのため、今なお「やまのうち」という姓の読み方が広まっているのかもしれません(この件については「やまうち」が正解ということで、ほぼ決着しています。2009年の記事「山内壮夫の姓は「やまうち」か「やまのうち」か」を参照してください)
札幌の街並みに欠かせない彫刻家であることは、当時から深く感じていました。
ですが、旭川との関わりの深さも相当なもののようです。
というのは、旭川叢書第25巻『あさひかわの彫刻』に、つぎのような記述があるのです。
続く部分では、佐藤友哉さん(現札幌芸術の森美術館館長)の、次のようなことばを引用しています。
なんだか、評価しているのか、単に流行に乗ってるだけだとけなしてるのか、ビミョーな文章だったりしますが、それはともかく、この整理に添っていえば、「三人」はヘンリー・ムーアの影響下にあるといえそうです。
ただ、この作品を、単なるムーアの亜流と片付けてしまうのは惜しい。
筆者が思うのは
「ああ、キュビスムを立体化しようとすれば、こういうふうになるのかな」
ということ。
セザンヌは自然を円錐、円筒、球でとらえよ―という意味のことを言いましたが、この「三人」は、まさに身体の各部位を、球や円筒など幾何学的な形態に整序して、それを構築しているような作品です。
なので、正面性はもちろんあるのですが、向き合う角度をちょっと変えると、見え方がかなり変わってくるのがおもしろいところです。
言い方を変えると、どの方向から見てもバランスが取れて、違ったふうに鑑賞ができる作品なのです。
同時に、この像は、ギリシャ神話以来の「三美神」を踏まえているということもできます。
ルーベンスの絵画などで有名ですが、彫刻では、戦後初期に街頭に裸婦が進出したごく初期の例として最近小田原のどかさんがよく引き合いに出している「平和の群像」もこの3人の女神をモティーフにしています。
ネット上にある「ブリタニカ国際百科事典」には、つぎのように解説されています。
こうしてみると、古典と現代を融合させ止揚を試みた、彼の作品のうちでもかなり志の高い作品だということができるのではないでしょうか。
1954年作。
186×98×65センチ。
前掲書の45ページによると、同年の新制作展の出品作で、86年に大雪アリーナが完成したことを記念し、中央ライオンズクラブの協力によって設置されたとのこと。
この「中央ライオンズクラブ」とは、ブログ「かけらを集める。(仮)」によると、旭川中央ライオンズクラブと福島中央ライオンズクラブとなっています。
旭川では初となる山内壮夫の野外彫刻の紹介とあって、かなり力の入った長文になってしまいました。
おそらく、この次からはもっと簡略な紹介文になると思います。
過去の関連記事へのリンク
(札幌の野外彫刻など)
ウイリアム・クラーク記念碑(北広島)
「飛翔」
石狩川の碑(石狩管内当別町)
希望
島義勇
鶴の舞(北陸銀行)
花の母子像
新渡戸稲造像
よいこつよいこ
屯田兵の像
春風にうたう
森の歌
子を守る母たち II
労農運動犠牲者之碑
母と子の像
猫とハーモニカ
鶴の舞(中島公園)
笛を吹く少女
(展覧会)
■10ストーリー あなたが作る10番目の物語(2013、旭川)
’文化’資源としての<炭鉱>展 (2009、東京)
■札幌第二中学の絆展 本郷新・山内壮夫・佐藤忠良・本田明二(2009、画像なし)
■Finish and Begin 夕張市美術館の軌跡1979-2007、明日へ(2007、画像なし)
山内壮夫は1907年(明治40年)岩見沢生まれ、幼いころに札幌に移った彫刻家。
札幌西高、東京高等工芸学校彫刻科(現千葉大)では本郷新の後輩で、国展を脱退して新制作派協会(のちの新制作協会)彫刻部を創立したときも本郷と行動を共にしました。1932年(昭和7年)には札幌三越で、当時は珍しい彫刻展を本郷と2人展を開いています。
戦時中は札幌に疎開し、1945年に旗揚げした全道展の創立会員となります。
51年にふたたび上京して東京にアトリエを構えますが、その後も北海道銀行本店のレリーフを本郷らと合作するなど、北海道とのつながりは深く、大通西1丁目の「希望」など、多くの作品があります。
筆者は2008年ごろ、このブログで札幌とその近郊にある野外彫刻を集中的に紹介しています(下のリンクを参照してください)。
生誕100年という機会だというのに、美術館が回顧展などを開く気配が感じ取れなかったからで、それがとても残念でした。
本郷新や佐藤忠良に比べると、山内壮夫はあまり顧みられていないようなのも残念ですし、あるいはそのため、今なお「やまのうち」という姓の読み方が広まっているのかもしれません(この件については「やまうち」が正解ということで、ほぼ決着しています。2009年の記事「山内壮夫の姓は「やまうち」か「やまのうち」か」を参照してください)
札幌の街並みに欠かせない彫刻家であることは、当時から深く感じていました。
ですが、旭川との関わりの深さも相当なもののようです。
というのは、旭川叢書第25巻『あさひかわの彫刻』に、つぎのような記述があるのです。
アトリエに残されていた山内壮夫の遺作と関連資料は昭和五十八年(一九八三年)、夫人の長部艶から旭川市に一括寄贈された。これらの作品は石膏原型が中心であるが、デッサンなどの関連資料も含まれている。
この石膏原型からブロンズ化された作品が市内の橋などに設置されている。これまでに鋳造され、野外に設置された彫刻は
「家族」(忠別橋)
「風の中の母子像」「隼の碑」(新成橋)
「三人」(大雪アリーナ)
「隼の碑」(八条斜線)
「浮游」(両神橋)
「鶴の舞」「隼の碑」(花咲大橋)
「風の中の母子像」「子を守る母たち」(北海道療育園)
である。また、新設された公民館にレリーフ
「子供たち」(春光台公民館)
「天馬と鳥」(愛宕公民館)
「少年と女」(新旭川公民館)
「花と子供」(東光公民館)
が設置されている。(162ページ)
続く部分では、佐藤友哉さん(現札幌芸術の森美術館館長)の、次のようなことばを引用しています。
戦前はブールデル、デスピオらの感化を受けながら、戦後になって抽象彫刻の擡頭とともにヘンリー・ムーアなどに範をとって抽象化を進めてゆく過程は、現代日本彫刻の一つの縮図のように見えて興味深いものがある。
なんだか、評価しているのか、単に流行に乗ってるだけだとけなしてるのか、ビミョーな文章だったりしますが、それはともかく、この整理に添っていえば、「三人」はヘンリー・ムーアの影響下にあるといえそうです。
ただ、この作品を、単なるムーアの亜流と片付けてしまうのは惜しい。
筆者が思うのは
「ああ、キュビスムを立体化しようとすれば、こういうふうになるのかな」
ということ。
セザンヌは自然を円錐、円筒、球でとらえよ―という意味のことを言いましたが、この「三人」は、まさに身体の各部位を、球や円筒など幾何学的な形態に整序して、それを構築しているような作品です。
なので、正面性はもちろんあるのですが、向き合う角度をちょっと変えると、見え方がかなり変わってくるのがおもしろいところです。
言い方を変えると、どの方向から見てもバランスが取れて、違ったふうに鑑賞ができる作品なのです。
同時に、この像は、ギリシャ神話以来の「三美神」を踏まえているということもできます。
ルーベンスの絵画などで有名ですが、彫刻では、戦後初期に街頭に裸婦が進出したごく初期の例として最近小田原のどかさんがよく引き合いに出している「平和の群像」もこの3人の女神をモティーフにしています。
ネット上にある「ブリタニカ国際百科事典」には、つぎのように解説されています。
ギリシア神話の美と典雅の女神たち。ローマではグラチアエと呼ばれた。ゼウスとオケアノスの娘の一人エウリュノメの交わりから生れた3人姉妹で,アグライア,エウフロシュネ,タリアと呼ばれ,アフロディテと密接に結びつけられ,しばしばその侍女の役をつとめるが,同時にミューズたちとも親しく,神々の宴席でアポロンとミューズたちの音楽に合せて踊り,興を添えるとされた。ヘラの娘とされることもある。
こうしてみると、古典と現代を融合させ止揚を試みた、彼の作品のうちでもかなり志の高い作品だということができるのではないでしょうか。
1954年作。
186×98×65センチ。
前掲書の45ページによると、同年の新制作展の出品作で、86年に大雪アリーナが完成したことを記念し、中央ライオンズクラブの協力によって設置されたとのこと。
この「中央ライオンズクラブ」とは、ブログ「かけらを集める。(仮)」によると、旭川中央ライオンズクラブと福島中央ライオンズクラブとなっています。
旭川では初となる山内壮夫の野外彫刻の紹介とあって、かなり力の入った長文になってしまいました。
おそらく、この次からはもっと簡略な紹介文になると思います。
過去の関連記事へのリンク
(札幌の野外彫刻など)
ウイリアム・クラーク記念碑(北広島)
「飛翔」
石狩川の碑(石狩管内当別町)
希望
島義勇
鶴の舞(北陸銀行)
花の母子像
新渡戸稲造像
よいこつよいこ
屯田兵の像
春風にうたう
森の歌
子を守る母たち II
労農運動犠牲者之碑
母と子の像
猫とハーモニカ
鶴の舞(中島公園)
笛を吹く少女
(展覧会)
■10ストーリー あなたが作る10番目の物語(2013、旭川)
’文化’資源としての<炭鉱>展 (2009、東京)
■札幌第二中学の絆展 本郷新・山内壮夫・佐藤忠良・本田明二(2009、画像なし)
■Finish and Begin 夕張市美術館の軌跡1979-2007、明日へ(2007、画像なし)
(この項続く)