(承前)
今回の旭川行きでは、なかでも見ておきたい作品を日程の前のほうに持ってきていました。
青木野枝「チキサニ チョロポキタ」も、この日のうちに見たかったのです。
たどり着くまでに相当苦労したことは前項で書いたとおりですが、それもひとつの思い出といえるかもしれません。
なお、下に貼った goo地図は、だいたいのおおまかな位置を示しています。駐車場の道と並行して、途中で行き止まりになっている道が描かれていますが、筆者が現地を歩いたときはこんな道はなかったと思います。
筆者がこの作品をどうしても見たかったのは、もちろん作者が青木さんだったという理由もありますが、「旭川野外彫刻たんさくマップ」に次のような記述があったからです。
こう書いてあったら、秋のうちにぜひ見ておかなくてはという気になりませんか?
2004年秋の颱風は、道内に多くの爪痕を残していったので、覚えておられる向きも多いでしょう。
道庁や中島公園の木々が倒れて、あたりの空間がスカスカになったのもこのときでした。
同マップには「300×860×860」とあります。
素材はもちろん鉄。
作品名はアイヌ語です。
筆者がなにか耳になつかしい感じを抱くのは「チキサニ」が、札幌の月寒の語源と同じだからだろうと思います(※参考「道新りんご新聞」)。
青木野枝さんは1958年東京生まれ。
武蔵野美術大学造形学部彫刻学科を卒業し、同大の大学院造形研究科(彫刻コース)を修了しています。
旭川とのかかわりでは、2003年に第33回中原悌二郎賞優秀賞を受賞、17年に第40回中原悌二郎賞を受けています(にわかには信じがたいことですが、女性で初の受賞者だそうです)。
札幌では、昨年暮れから今年春にかけて、六花亭ギャラリーで個展が開かれましたが、このときはドローイングが中心でした。
それ以前では、2006~07年に札幌芸術の森美術館で開かれた「この20年の、20のアート」展ぐらいでしか見た記憶がありません。広島市現代美術館の所蔵品による展覧会でした。
「鉄の彫刻家」として知られ、2005年には、鉄のマチ室蘭をPRする体験型イベント「アイアンフェスタ」に招かれて、市民に鉄のアートづくりを指南したこともあるそうです。
本来なら、「彫刻 1」に掲載されていたインタビューなども踏まえた上でテキストを書きたかったのですが、あいにく手元にありません。
『現代彫刻の方法』には、次のようにあります。
こうして青木さんの作品は、従来の彫刻が量塊性や存在感を表現してきたのに比べると、鉄という素材の重みにもかかわらず、軽やかで、周囲に景観と溶け合うような感覚を見る人に与えます。
この作品も、七つの杯形が地面にそびえ立ってまるく輪になり、かなりのスケール感があるにもかかわらず、森の中にとけ込んでしまっています。
森の中では、周囲の木を威圧するのではなく、かといってすっかり溶け合ってしまうのでもない、こうした存在のあり方が求められるのだと思います。
公開設置作業を行った当時の北海道新聞の記事では、青木さんの談話として
青木さんは「アイヌ民族の『人間は自然の中の一部』と考える発想を尊敬している。この作品も、どこに置いたのかわからないくらい林の中に溶け込んでくれれば」と話している。
とあります。
いや、ほんとに、どこに置いたのかわからなくなっているんですが(苦笑)。
□http://www.aokinoe.jp/
今回の旭川行きでは、なかでも見ておきたい作品を日程の前のほうに持ってきていました。
青木野枝「チキサニ チョロポキタ」も、この日のうちに見たかったのです。
たどり着くまでに相当苦労したことは前項で書いたとおりですが、それもひとつの思い出といえるかもしれません。
なお、下に貼った goo地図は、だいたいのおおまかな位置を示しています。駐車場の道と並行して、途中で行き止まりになっている道が描かれていますが、筆者が現地を歩いたときはこんな道はなかったと思います。
筆者がこの作品をどうしても見たかったのは、もちろん作者が青木さんだったという理由もありますが、「旭川野外彫刻たんさくマップ」に次のような記述があったからです。
作品名は「ハルニレの木の下で」という意味です。「木に見守られるように」という作者の思いと裏腹に、いざ設置という時に台風で多くの木が倒れました。現在、樹木は再生紙「紅葉の時は落ち葉に囲まれ大変きれいです」と隊員レポートあり。秋、必見。
こう書いてあったら、秋のうちにぜひ見ておかなくてはという気になりませんか?
2004年秋の颱風は、道内に多くの爪痕を残していったので、覚えておられる向きも多いでしょう。
道庁や中島公園の木々が倒れて、あたりの空間がスカスカになったのもこのときでした。
同マップには「300×860×860」とあります。
素材はもちろん鉄。
作品名はアイヌ語です。
筆者がなにか耳になつかしい感じを抱くのは「チキサニ」が、札幌の月寒の語源と同じだからだろうと思います(※参考「道新りんご新聞」)。
青木野枝さんは1958年東京生まれ。
武蔵野美術大学造形学部彫刻学科を卒業し、同大の大学院造形研究科(彫刻コース)を修了しています。
旭川とのかかわりでは、2003年に第33回中原悌二郎賞優秀賞を受賞、17年に第40回中原悌二郎賞を受けています(にわかには信じがたいことですが、女性で初の受賞者だそうです)。
札幌では、昨年暮れから今年春にかけて、六花亭ギャラリーで個展が開かれましたが、このときはドローイングが中心でした。
それ以前では、2006~07年に札幌芸術の森美術館で開かれた「この20年の、20のアート」展ぐらいでしか見た記憶がありません。広島市現代美術館の所蔵品による展覧会でした。
「鉄の彫刻家」として知られ、2005年には、鉄のマチ室蘭をPRする体験型イベント「アイアンフェスタ」に招かれて、市民に鉄のアートづくりを指南したこともあるそうです。
本来なら、「彫刻 1」に掲載されていたインタビューなども踏まえた上でテキストを書きたかったのですが、あいにく手元にありません。
『現代彫刻の方法』には、次のようにあります。
こうした青木の彫刻は、鋼板を酸素とアセチレンガスで熔断し、それを電気熔接器で接合していく手順で生み出される。この内、特に重要なのは熔断作業である。工業製品の鉄が「熔断することで自分の鉄になる」と考えているからである。ここでの熔断は、形態をつくるための単なる手段ではない。
こうして青木さんの作品は、従来の彫刻が量塊性や存在感を表現してきたのに比べると、鉄という素材の重みにもかかわらず、軽やかで、周囲に景観と溶け合うような感覚を見る人に与えます。
この作品も、七つの杯形が地面にそびえ立ってまるく輪になり、かなりのスケール感があるにもかかわらず、森の中にとけ込んでしまっています。
森の中では、周囲の木を威圧するのではなく、かといってすっかり溶け合ってしまうのでもない、こうした存在のあり方が求められるのだと思います。
公開設置作業を行った当時の北海道新聞の記事では、青木さんの談話として
青木さんは「アイヌ民族の『人間は自然の中の一部』と考える発想を尊敬している。この作品も、どこに置いたのかわからないくらい林の中に溶け込んでくれれば」と話している。
とあります。
いや、ほんとに、どこに置いたのかわからなくなっているんですが(苦笑)。
□http://www.aokinoe.jp/
(この項続く)