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ジイド「ソヴェト旅行記」を読んだ

2012年11月10日 22時06分37秒 | つれづれ読書録
 アンドレ・ジイドは19世紀末から20世紀前半にかけてのフランス文学を代表する小説家で、日本では「狭き門」などが知られている。
 彼が1936年、マクシム・ゴーリキーの見舞いのためソヴィエト聯邦れんぽうを訪れ、各地に滞在した折の紀行文である。

 20世紀半ば過ぎぐらいまでは、知識人の大半は左翼であり、マルクス主義に人類の希望を見出していた。
 1950年代のスターリン批判や、ハンガリー蜂起の鎮圧などを機に、ソ聯への批判が一気に高まる。その後は「ソ聯は真の社会主義国ではない。あれは逸脱だ」という言い方で、社会主義や共産主義を擁護する言説が中心になっていくのだけど、それ以前は、モスクワこそが社会主義の総本山であり、ソ聯批判などはもってのほかという風潮が強かった。

 ジイドは、ソ聯を実地に見て、左翼を擁護する立場から率直にソ聯を批判したところ、各方面から大きな反響を呼び起こした。
 たぶん、単なる反共主義者、復古主義者の批判であれば、たいした騒ぎにはならなかっただろう。

 彼は序文でこう述べている。(なお、筆者が読んだのは1936年初版の岩波文庫で、2カ所が「共産主義」が「××主義」になっているが、ほかは完訳である。引用するにあたって、正字旧かなは、現代の表記に改めた)

 われわれによってソヴェトがどんな存在であったか、それを誰が云ってくれるだろう。われわれの眼には、ソヴェトは選ばれた国土である以上に、一つの模範であり、一人の先導者であった。われわれが嘗つて夢みたもの、ためらいながら微かに希ったもの、しかもわれわれの意志や力がそれをめざして辿っていたところのもの、それをソヴェトが実現したのである。云わば、われわれのユートピアが現実のものとなりつつある国がソヴェトであったのだ。 
(18ページ) 


 ここまでほめるか、と思ったが、1930年代の左派知識人にとっては正直なところだろう。

 ジイドは、エルミタージュ美術館や各種文化施設などに賛嘆の声を上げるが、筆致は徐々に変わっていく。

 私はこの非常に裕福なコルホーズの多くの住宅を訪れた。……これらの住宅の「内部」で、私がしみじみと感じたあの異様な、物悲しい印象を、どう云い現したらいいだろう。それは、謂わばほぼ完全な非個性化デペルソナリザションといった感じのものである。どの家の中にも、同じように見苦しい家具、同じようにスターリンの肖像があるが、その代り他のものは完全に何もないのだ。 
(56ページ) 


 すべての人々の幸福は、個人々々を非個性化しなければ得られない。だから幸福になるためには、みな相似しなければならぬわけになる。
(57ページ) 


 「すべての人の幸せ」と「個人の幸せ」との関係について、あらためて考えさせられる。


 君は、幾時間も列をつくって並んでいる彼らを不憫に思う。しかし彼らにとっては、待つということは極めて自然なことなのだ。ここのパンや野菜や果物を君は不味まずく思うだろう。しかしこれよりほかのものはないのだ。人々が君に見せるこれらの布、これらの品物を、君は醜いと云う。が選択の余地はないのだ。ちっとも未練を感じさせないあの過去は別としても、他に比較するものをもたない彼らは、与えられたものに悦んで満足しなくてはならない。(中略)他所よそのいずこの国の人間も、彼らより幸福でないということを信じこませることである。そして、こうしたことは、細心に外部とのあらゆる接触(すなわち国境の彼方との)を妨げることによってはじめて出来るのである。(中略)謂わば、彼らの幸福は希望と信頼と無智によってつくられているのである。
(60~61ページ) 


批評精神は(マルキシズムにも拘わらず)殆んど完全に喪失している。私もよく知っている、所謂《自己批評》なるものがソヴェトで非常に問題になっていることを。(中略)しかし私は、この批評は、告発や忠告(例えば食堂のスープはよく煮えていないとか、クラブの読書室は掃除が行き届いていないとか云った)以外には、また、これこれのことは《規準にかなう》ものであるかどうかと自問自答すること以外には、存在しないということを直ぐに了解しなければならなかった。人々が議論しているのは、規準そのものについてではない。議論されているのは、これこれの作品、これこれの身振り、あるいはこれこれの理論が、この神聖な規準に一致するものであるか否かを知ることである。
(62ページ) 


 ソーチのホテルは、じつに気持ちよくできている。その庭園は非常に立派であるし、また海水浴場もなかなか快いものである。が愉快でないことは、すぐ浴客がやってくて、―どうです、フランスにもこんな素晴しい浴場はないでしょう、とわれわれの同意をもとめることだ。どうしてフランスには、ここよりもずっと立派な海水浴場がありますよ、という答えが口まででてきたが、一応の礼儀としてそう答えることをさし控えねばならなかった。
(74ページ) 


 ソーチは、次の冬季オリンピックが開かれる保養地ソチのこと。
 ソヴェト人は海外から隔離されているため、自分の国が一番だと信じきっているのである。


 ソヴェトでは、階級なるものは撤廃された、それは私もよく承知している。がしかし、如何せん、貧乏人はいる。いや、貧乏人は多い、あまりに多い。(中略)
 それに、ソヴェトでは慈善フィソントロピイなどといったものが行われていないことだ。ほんに単純な恵みすらも。そんなことは、国家がやってくれることになっている。
(81~82ページ) 


 私はおもう。今日如何なる国においても、たとえヒットラーの独逸においてすら、人間の精神がこのようにまで不自由で、このようにまで圧迫され、恐怖に脅えて、従属させられている国があるだろうかと。
(85~86ページ) 


 辛らつ極まりない。


 人々は《プロレタリアの独裁》を約束した。しかし、約束の勘定はあまりに桁違いでなかろうか。いかにも独裁はある。だが、それは唯だ一人の人間の独裁であって、結合したプロレタリア、即ちソヴェトのそれではない。
(98ページ) 


 若しも、一国の国民が一人残らず同じような思想をもつようになれば、為政者にとってこれほど好都合なことはなかろう。しかし、こうした階級の貧困をまえにして、何人が《文化》を語る信念をもちうるだろうか?。
(98~99ページ) 



 形式主義(フォルマリズム)をめぐってジイドが画家と議論するくだりは忘れがたい。
 画家はフォルマリスムを批判し、大衆がわかる芸術を擁護する。
 しかし、あとでジイドの部屋にやってきて、「さっきは、ひとが私たちの話をきいていましたからね」と声を潜めてジイドの意見に賛同するのである。

形式主義であるという非難をうけるものは、《内容》よりも《形式》に、より多くの興味をもつ作家である。ここで一言附け加えて云っておかねばならぬことは、その《内容》がある特定の方向をもっている場合に於てのみ興味の対象となること、より正確に云えば、そうでなければ許容されないことである。(中略)
 遠慮なく云ってのけると、ここで云われているような《形式》とか《内容》とか云う言葉を私は微笑まずに口にすることができない。そして、また、こんな馬鹿げた分類が批評を決定しているのをみると、泣きたくなるのだ。
 こうしたことも、政治的には有用なのかも知れない。がその場合は文化などといったことは口にしないで欲しい。文化は、批評が自由に行われないとき、忽ち危機に瀕しているのだから。
(108~109ページ) 


 最後の引用は、自分が考えてきたことを、がっつり批判されたようで、なんだか考えさせられた。


 市場経済の急速な発展に伴い、貧富の差が拡大したことから、社会主義思想は生まれた。
 ナチスも「ドイツ社会主義国家労働者党」を名乗っていた通り、社会主義を抜きにして20世紀は語ることができない。
 ごく単純化していえば、「金儲けの自由」に対して「人間の力による平等」を掲げたのが社会主義であっただろう。

 しかし、実際にこの世に誕生した社会主義の政府が、人間を抑圧する仕組みにしかならなかったのは、20世紀の歴史最大の逆説だろうと思う。

 わたしたちは、どこまで自由を制御できるのか。
 そして、どこまで制御するべきなのか。

 問いは、市場経済が欧米以外にも広がろうとする21世紀に、引き継がれる。





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