
(承前)
稚内駅から歩いてホテルに向かいます。
むかしは全日空ホテルだった建物らしく、稚内ではいちばん格が上のようです。
これはべつに筆者が金持ちだから泊まれたのではなく、オフシーズンとあって、素泊まりで7千円ぐらいで1泊できたのです。

歩道は除雪されておらず、車道の端を歩きます。
1960年代までの北海道の都市では
「歩道を除雪する」
という発想がそもそもあまりなかったことをおぼえているので、さして気にも留めませんが、なにせ初めての土地なのでいささか心細くなります。
ホテルに入ると吹き抜けの空間が出迎えてくれました。
部屋も広く、掃除も行き届いており、申し分ありません。
シティホテルにあるべきもの(便せんとか、壁の絵とか、ベッドサイドの聖書もしくは仏典とか)もそろっています。
ただ、安い部屋なので、見える景色は陸側です。
反対側はオーシャンビューで、北防波堤ドームが望めるそうです。
いちおう夜の街にも出てみましたが、酔って冬道で転んで致命傷になるかもしれないと思うと、あまり積極的にのれんをくぐる気にもなれません。
セコマでパンなどを買い込んだ後、1階のレストランに入り、おとなしく松花堂弁当(2千円)を食べることにしました。
1杯だけ生ビールも頼みました。
ホテルの人が気をきかせて
「ごはん大盛りにしましょうか。お値段は同じですし」
と言ってくれたのはいいのですが、おかずの分量がちょっと足りない感じで、いつもは食べない梅干しまで動員してようやく完食しました。
ロビーには観光バスが到着して、中国語を話す客が大勢おりていました。
ところで稚内に到着した際の第一印象ですが、マチの裏手に連なる山の存在感の大きさにおどろきました。
標高が低いわりには、大変な圧迫感があります。
翌朝眺めたときには、そうでもなかったので、夜に見たからだと思いますが、最初は、まるで羽生輝さんの絵を思い出しました。
なお、この山の上には稚内公園があり、本郷新の手になる「氷雪の門 樺太島民慰霊碑」などが立っています。
今回の旅の趣旨からいって、当然立ち寄るべきだと思われるでしょうが、冬季は交通止めになっています。
稚内駅から歩いてホテルに向かいます。
むかしは全日空ホテルだった建物らしく、稚内ではいちばん格が上のようです。
これはべつに筆者が金持ちだから泊まれたのではなく、オフシーズンとあって、素泊まりで7千円ぐらいで1泊できたのです。

歩道は除雪されておらず、車道の端を歩きます。
1960年代までの北海道の都市では
「歩道を除雪する」
という発想がそもそもあまりなかったことをおぼえているので、さして気にも留めませんが、なにせ初めての土地なのでいささか心細くなります。
ホテルに入ると吹き抜けの空間が出迎えてくれました。

部屋も広く、掃除も行き届いており、申し分ありません。
シティホテルにあるべきもの(便せんとか、壁の絵とか、ベッドサイドの聖書もしくは仏典とか)もそろっています。
ただ、安い部屋なので、見える景色は陸側です。
反対側はオーシャンビューで、北防波堤ドームが望めるそうです。

セコマでパンなどを買い込んだ後、1階のレストランに入り、おとなしく松花堂弁当(2千円)を食べることにしました。

1杯だけ生ビールも頼みました。
ホテルの人が気をきかせて
「ごはん大盛りにしましょうか。お値段は同じですし」
と言ってくれたのはいいのですが、おかずの分量がちょっと足りない感じで、いつもは食べない梅干しまで動員してようやく完食しました。
ロビーには観光バスが到着して、中国語を話す客が大勢おりていました。

標高が低いわりには、大変な圧迫感があります。
翌朝眺めたときには、そうでもなかったので、夜に見たからだと思いますが、最初は、まるで羽生輝さんの絵を思い出しました。
なお、この山の上には稚内公園があり、本郷新の手になる「氷雪の門 樺太島民慰霊碑」などが立っています。
今回の旅の趣旨からいって、当然立ち寄るべきだと思われるでしょうが、冬季は交通止めになっています。
(この項続く)
懐かしい情報をありがとうございます。
確か、9年前の2月4日、仕事で初めて稚内に行きました。合間にノシャップ岬と北防波堤のドームだけです(稚内公園の野外彫刻を見たかったのですが、冬季のため立ち入り禁止でした)
特急なのに、札幌までの帰りは6時間程で とても疲れました。名寄駅から乗車された男性が隣で、お酒を飲みながらモグモグと食べている様子をチラリと眺めながら、列車に飛び乗ったので手元に半分ほど残ったジュースをちびり、ちびりと飲んできました。
稚内にいらしたことがあるんですね。
わかってはいましたが、遠いですよね。
でも先週行っておいて良かったです。シカ以外には遅れや運休の要因がなかったので…