
訃報です。
ギャラリーたぴおの主宰・竹田博さんが11月28日に亡くなっていたことを知りました。
66歳でした。
「たぴお」はまもなく25周年をむかえます。
年末から年始にかけての「異形小空間展」がその記念の展覧会になる予定でした。
17日のオープニングパーティーは、竹田さんの追悼の会になりそうです。
たぴおは、オープン当時は、道特会館のもっと上のフロアにあったそうです。
ほかにも「レティナ」「NDA」などたくさんの画廊が集まっていました。そのなかで「たぴお」は、前衛志向の若い作家が多く利用していた事情もあって「いちばん先につぶれる」と言われていたことは、11月28日のエントリで書いたばかりです。
筆者は竹田さんの口からは恨み言を聞いたことはありませんが、そういう理由で、利用するみんながみんな会場代をすぐに払ったわけではなく、経営は大変だったそうです。竹田さんはデザイン事務所を経営しながら、ギャラリーを維持していたのです。
それでも、支援する人はあって、道内の前衛画家のまとめ役的存在だった渡辺伊八郎さんなどは
「大丸(藤井)にはまだ会場代払ってないけど、たぴおには先に払うからな」
と言ってくれた-という話を耳にしました。
借り手がない時期は、みずから知り合いに電話を掛けまくってグループ展を組織。絶対に空白期間をつくらないよう、奮闘していました。
竹田さんはお酒が好きでした。
オープニングパーティーなどでは、慣れた手つきで鍋やシチューをこしらえてふるまい、大いに飲んで談論風発、とどまるところを知りませんでした。
本職はデザイナーでしたが、もともと画家志望で、毎年3月には「たぴお」で自画像などをならべた個展をひらきました。
近作の平面インスタレーションには「剣菱」などのラベルが貼られていました。
ことしの春から夏にかけて
「なかなか風邪が治らないんだよ。ずいぶん長引くなあ」
とぼやくことが多く、周りから病院へ行くよう、すすめられていたのをおぼえています。
「たぴお」では12月3日から、風刺漫画家ののざわ〓きお(〓は「ゆ」の鏡文字)さんの展覧会が始まっています。
会場の一角に急遽、竹田さんの追悼コーナーが設けられました。

ついこないだまで、ギャラリーでふつうに話をしていただけに、信じられない思いです。
ご冥福をお祈りします。

■漆山豊・横山隆・竹田博展(07年5月)
■下町のコレクション展2 (07年3月)
■竹田博展-叫びのバラード(07年2-3月)
■BOX ART展4 閉塞形状展(07年1-2月)
■LEBENS(生命・人生)展(06年6月)
■竹田博展「雑事のバラード」(06年)
■竹田博展「原色のバラード」(04年)
■竹田博展(03年)
■竹田博展(02年)
■キャバレーたぴお(01年、画像なし)
■竹田博展(01年)
ギャラリーたぴおの主宰・竹田博さんが11月28日に亡くなっていたことを知りました。
66歳でした。
「たぴお」はまもなく25周年をむかえます。
年末から年始にかけての「異形小空間展」がその記念の展覧会になる予定でした。
17日のオープニングパーティーは、竹田さんの追悼の会になりそうです。
たぴおは、オープン当時は、道特会館のもっと上のフロアにあったそうです。
ほかにも「レティナ」「NDA」などたくさんの画廊が集まっていました。そのなかで「たぴお」は、前衛志向の若い作家が多く利用していた事情もあって「いちばん先につぶれる」と言われていたことは、11月28日のエントリで書いたばかりです。
筆者は竹田さんの口からは恨み言を聞いたことはありませんが、そういう理由で、利用するみんながみんな会場代をすぐに払ったわけではなく、経営は大変だったそうです。竹田さんはデザイン事務所を経営しながら、ギャラリーを維持していたのです。
それでも、支援する人はあって、道内の前衛画家のまとめ役的存在だった渡辺伊八郎さんなどは
「大丸(藤井)にはまだ会場代払ってないけど、たぴおには先に払うからな」
と言ってくれた-という話を耳にしました。
借り手がない時期は、みずから知り合いに電話を掛けまくってグループ展を組織。絶対に空白期間をつくらないよう、奮闘していました。
竹田さんはお酒が好きでした。
オープニングパーティーなどでは、慣れた手つきで鍋やシチューをこしらえてふるまい、大いに飲んで談論風発、とどまるところを知りませんでした。
本職はデザイナーでしたが、もともと画家志望で、毎年3月には「たぴお」で自画像などをならべた個展をひらきました。
近作の平面インスタレーションには「剣菱」などのラベルが貼られていました。
ことしの春から夏にかけて
「なかなか風邪が治らないんだよ。ずいぶん長引くなあ」
とぼやくことが多く、周りから病院へ行くよう、すすめられていたのをおぼえています。
「たぴお」では12月3日から、風刺漫画家ののざわ〓きお(〓は「ゆ」の鏡文字)さんの展覧会が始まっています。
会場の一角に急遽、竹田さんの追悼コーナーが設けられました。

ついこないだまで、ギャラリーでふつうに話をしていただけに、信じられない思いです。
ご冥福をお祈りします。

■漆山豊・横山隆・竹田博展(07年5月)
■下町のコレクション展2 (07年3月)
■竹田博展-叫びのバラード(07年2-3月)
■BOX ART展4 閉塞形状展(07年1-2月)
■LEBENS(生命・人生)展(06年6月)
■竹田博展「雑事のバラード」(06年)
■竹田博展「原色のバラード」(04年)
■竹田博展(03年)
■竹田博展(02年)
■キャバレーたぴお(01年、画像なし)
■竹田博展(01年)
まだ同じビルの上にあった頃でしょうか。
全くの素人の自分にも、声をかけてくれて
グループ展に誘ってくれました。
たぴおならではの作品や、アーティストに
出逢えたのは、本当に幸せでした。
不義理ばかりかけてたなあ、、、。
もう逢えないのか。
エゾ三毛猫さんがグループ展に参加していたとは! 見たかったです。
さびしくなりますね…。
特異な風貌だったので、単に一度モデルになってもらいたかったという理由で、今年描かせていただきましたが、現在複雑な気持ちです。
何より御冥福をお祈り申し上げます。
道展でミトさんの絵を見たとき、わたしもちょっと複雑でした。
もちろん、竹田さんがなくなったのは、ミトさんのせいではないのですが。
いまごろ天国で好きな酒を好きなだけ飲んでいる-と思いたいです。