皿の上のオムライスは、置かれている、というより明らかにグッタリと横たわっている。
あるいは、寝かしつけられている、という表現でもいい。
しかし何か、よく言い含められた上で、寝かしつけられているのである。
この横臥感はどこからくるのだろうか。
寝かしつけられている、ということになると、どっちが頭でどっちが足か、という問題が出てくる。
JR宍道駅前、こわた食堂のオムライス
左側が頭として食べ始めるのが自分の作法。
大衆食堂の良さは、決まりきったところにある。
まずメニューが決まりきっている。
大衆食堂といえばまずカレーライス。
カツ丼、親子丼、玉子丼。
ラーメン、焼きそば、チャーシューメン。
一般大衆が食べそうなものが、一軒の店に全部揃っている。
ひとつのテーブルで、和の洋も中も印も運ばれてくる。
味も決まりきっていた。
大衆食堂の味、というものがあって、店主は根性入れて料理を作ったりはしない。
気楽に、適当に力を抜いて、根性を入れないで作った親子丼がおいしい。
客の方も、気楽に、適当に力を抜いて、根性を入れないで食べた。
このラーメンのスープの味はどうのこうのということは一切言わなかった。
気楽に対する気楽、気楽同士の気楽さがいいのである。