はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

いつまで"戦後"をCOUNT UPし続けるのだろう?

2015年07月13日 | はなこのMEMO
 今年は第二次世界大戦終結から70周年と言うことで、世界各国で戦没者追悼式典や戦勝式典が行われている。

 「二度と悲惨な大戦を起こすまじと、不戦の誓いを新たに」と言う大義名分も分かる。分かるけど、正直言って、その様子を伝えるニュースを耳にする度に、(他の人はどうか知らないが)"敗戦国"の国民の一人として嫌な(複雑な?)気分になる。

 それでなくとも、先の大戦から5年、10年の倍数の年を節目として、殊更大きく大戦時のことが、マスメディア等で繰り返し取り上げられて来た。元加害国として「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と自戒するのは、もちろん大切なことだと思う。

 しかし、いつまで日本やドイツやイタリアは"敗戦国"として、"戦勝国"から、過去の所業を責め続けられるのだろう?70年も経てば、どの国もいい加減代替わりで、現国民の殆どは直接先の大戦に関わりはないし、責任を負うべきものでもないと思う。

 国連では、70年前の"戦勝国"が未だに"常任理事国"として圧倒的な権限を持って、組織を牛耳っている。70年もの間、特定の国々のみが国際機関で特権的立場に在り続けるなんて、やっぱりどう考えてもおかしいのではないか?既得権益者である彼らは、その権限を手放そうとしないどころか、他の誰にも与えようとさえしないのだ。

 70年と言う年月は、一国の在り方を変えるに十分だ。先の大戦への反省のもと、戦後70年間、日本もドイツも、他国に対して自ら戦争を仕掛けたことはないし、他国に侵略行為を働いたこともない(それに比べて、常任理事国の振る舞いはどうだ?世界のどの国よりも好戦的で、覇権主義的ではないのか?)。寧ろ、影に日向にバカ正直なほど国際社会に貢献して来たと思う。

 殆ど碌な権限も与えられていない国連に対しても、総会で定められた多額の経費分担金を、米国のように恣意的に保留することなく、律儀に支払って来た。

 
 今日、EU首脳会議で、"借金を棒引きしてくれ"と、まるで駄々っ子のようなギリシャの金融危機に対する救済案が採択された。ドイツは反対の意向だったが、フランスの賛成に押し切られた形だ。その背後にはロシアや米国や中国の存在がある。

 結局、EUでギリシャを救済と言っても、実質的に支援金の大半(その総額は日本円で11兆円にも及ぶとの試算も出ている)を出すのはおそらくドイツだ。ドイツは今回の決定を内心苦々しく思っているに違いない。

 日本やドイツは戦後、敗戦の荒廃から死に物狂いの努力で這い上がり、世界的な経済大国となった。しかし、先の大戦の"敗戦国&大罪国"と言うレッテルの為に、戦後の長きに渡って否応なく世界のATM扱いである。そして、世界の要求は際限がない。

 第二次世界大戦後のカウントアップは、果たしていつまで続くのか?やはり第三次世界大戦が勃発し、そこでドイツや日本が"新たな戦勝国"とならない限り、"戦後"はゼロクリアされないのか?"敗戦国"のレッテルを、自ら剥ぐことはできないのだろうか?

 米国の占領政策以降の巧みなコントロールによって去勢され、今や何を言われても米国には逆らえない日本(政府)はともかく(いびつな日韓関係の元凶もここにある)、EUのリーダーを自負するドイツの不満はいつか爆発するのではないか?

 やっぱり"歴史は再び繰り返す"で、遅かれ早かれ、第三次世界大戦の勃発は避けられないことなのだろうか?今回のギリシャ危機が、後々そのトリガーの役割を果たすことがないよう、祈るばかりだ。

 それ以外にも、ISの台頭著しい中東・アフリカ地域(中でも天然エネルギー資源が豊富な地域)が世界大戦の火種となり得るのは周知のところ。ISがイスラエルに手を出したり、イスラエルが彼らの最大の庇護者である米国を差し置いて、犬猿の仲であるイランに対して強攻策に出たら、中東情勢はどうなるか分からない。何れにしても、中東ではイスラエルの出方がポイントか?

 米国はここに来て、長らく対立し続けて来たキューバやイランとの融和政策を採っている。これは。近年中国に接近し、最近ではインドを取り込もうとするなど、"先進国対BRICS"と言う新たな対立構図を作ろうと画策しているロシアの動向を念頭に置いたものだ。しかし、頑迷なイスラエルが、この米国の融和政策にどこまで寛容でいられるか、と言う点が気になるところだ(現に米イランの核開発問題和平協議の進展を、ネタニヤフ現イスラエル首相は「歴史的誤り」とまで言っている)

 或いは、同時多発的に世界各地で紛争やテロが相次いでいる現在の世界情勢のあり方そのものが、既に第三次世界大戦の様相を呈していると言えるのだろうか?


 英仏間で長く続いた百年戦争で、英国軍に包囲された街を救うため、自ら志願して英国軍の捕虜となった仏カレーの英雄市民を顕彰する彫刻作品《カレーの市民》。カレー市の依頼で、オーギュスト・ロダンが制作した。しかし、そのあまりにもリアリズムに徹した捕虜市民の苦悶と過酷さの表象は「英雄像に似つかわしくない」として、一度は依頼者であるカレー市から受け取りを拒否されたのである。ロダンは戦争の悲惨な真実を表現したに過ぎないのに…しかも、その表現によって、題材となった市民の英雄性が損なわれることなど一切ないのに。

 《カレーの市民》(1884-88 石膏原型制作、1593年鋳造、1959に国立西洋美術館が仏政府より購入) 注)ネット上<グーグルの施設レビュー等>で、東京上野の国立西洋美術館にあるロダン作品は「レプリカ」との記述が散見されるが、これは誤りである。20世紀に入って、フランスではブロンズ彫刻の場合、著作権者(ロダン作品の場合、現在はロダン美術館)の許可の下、1体の石膏原型から12体までの鋳造作品が本物と認められる旨の法律が制定された。その法律に基づき、国立西洋美術館にあるロダン作品は全て本物である。


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