応援もむなしく一回戦で消えてしまった。負ける時はあのくらいの大差の方がサバサバするもんだ。ま、長野県の実力かもしれない。
朝の「ゲゲゲの女房」を見る。アシスタントが巣立っていく場面をやっていた。アシスタントの仕事と自分の仕事を両立させ、漫画家が世に出て行くケースが多かったのだろうか。モデルの人も世に出ている。
松本の中学にいた時、漫画家志望の女の子が隣のクラスにいて、よく漫画を見せにきた。
高校を出て漫画家のアシスタントになったと聞いた。その後のことはわからない・・・そんなことを思い出した。
「釣吉三平」の矢口孝雄さんも水木さん宅を訪れている。まだ銀行員であったので、「そちらの方がいい」と諭されたとか。
そういえば映画「釣りばか日記」の原案の漫画家(名前は忘れたが・・・)は、赤塚不二夫さんのアシスタントだったとか。
こういうことは詳しい人はいやに詳しく・・・興味のない人にはたわいもないこと。
昭和20年8月6日、午前8時15分突然広島に世界最初の原爆が落とされた。
今から60年ほど前の雑誌にひとりの女性の話が載っていた。彼女は親が5人いたと。
原爆が落とされた時、父親はすでに亡くなっており母親と被爆した。1週間後母は亡くなり、それからあずけられた祖母も亡くなり、戦災孤児救済施設童心園で育った。ここの園長先生が2番目の親。三番目はアメリカの精神養子。精神養子とは一緒に住むわけではないが物心両面の援助者。四番目は純然たる養子の親。手に職と中学を出て人形製作所にはいる。そこの夫妻が5番目の親になった。そしてこの夫妻のもと昭和38年結婚した。「・・・つつましい平和な家庭をつくっていきたい。それだけです。」と。かいつまんで書けばこうであるが、この苦難の道を歩くひとりの女性のたくましさも感じさせられる。
今から60年ほど前の雑誌にひとりの女性の話が載っていた。彼女は親が5人いたと。
原爆が落とされた時、父親はすでに亡くなっており母親と被爆した。1週間後母は亡くなり、それからあずけられた祖母も亡くなり、戦災孤児救済施設童心園で育った。ここの園長先生が2番目の親。三番目はアメリカの精神養子。精神養子とは一緒に住むわけではないが物心両面の援助者。四番目は純然たる養子の親。手に職と中学を出て人形製作所にはいる。そこの夫妻が5番目の親になった。そしてこの夫妻のもと昭和38年結婚した。「・・・つつましい平和な家庭をつくっていきたい。それだけです。」と。かいつまんで書けばこうであるが、この苦難の道を歩くひとりの女性のたくましさも感じさせられる。
もう一枚撮ってあったので御紹介。
あんまりいい趣味でない用心棒です。美容院に勤めておられたのですかね。昔はへのへの文字書いた素朴な案山子で、十日夜に案山子を田畑から持ち帰る案山子上げ?という慣わしもあった。案山子もだんだん本物の人間らしく作ったり、効果がないと蛍光テープをはったり鳥害との歴史でもある。鳥に馬鹿にされても案山子は素朴がいいな。
ロンドンにハヤブサが帰ってきたニュ-スを報じていた。昔大戦の頃、通信に使った伝書鳩を襲うので駆除されたとか。もともと岩山に巣をつくるがビルを岩山に見立て帰還したとか。あちらの歴史ある建物は日本のと違って彫刻や窓などの凹凸があり、巣作りにはいいのだろう。
足と目が動く「亀」に挑戦したが、結局足だけ動くしかけに終わってしまった。
甲羅はペーパーの折り目を生かして、本物とは違う模様。
あんまりいい趣味でない用心棒です。美容院に勤めておられたのですかね。昔はへのへの文字書いた素朴な案山子で、十日夜に案山子を田畑から持ち帰る案山子上げ?という慣わしもあった。案山子もだんだん本物の人間らしく作ったり、効果がないと蛍光テープをはったり鳥害との歴史でもある。鳥に馬鹿にされても案山子は素朴がいいな。
ロンドンにハヤブサが帰ってきたニュ-スを報じていた。昔大戦の頃、通信に使った伝書鳩を襲うので駆除されたとか。もともと岩山に巣をつくるがビルを岩山に見立て帰還したとか。あちらの歴史ある建物は日本のと違って彫刻や窓などの凹凸があり、巣作りにはいいのだろう。
足と目が動く「亀」に挑戦したが、結局足だけ動くしかけに終わってしまった。
甲羅はペーパーの折り目を生かして、本物とは違う模様。