武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

鶴ヶ池蛇の恋

2015年08月19日 | Weblog
白馬に鶴ヶ池と呼ばれる池がある。
そこに夫婦の蛇が棲んでいた。その蛇にひとり息子がいた。

その息子が人間と不運な恋に狂っていた。それは近くに住む家のひとり娘だったのだ。やがて娘は身重になった。おどろいたのは親である。娘を折檻して相手を聞き出した。けど、娘は「肌は氷のように冷たく、毎晩来て夜明けに帰っていく。名も知らないし顔も分らない」と泣いている。
親は「今度きたら、着物のすそに赤い糸をつけろ」といいつけた。その晩も男が来た。娘は親のいうとおりにし夜が明けた。親は赤い糸をたどっていくと鶴ヶ池にたどりついた。

池の底から蛇の親子が話をしてるのが聞こえた。「お前、なんてことをしたのだ。人間に気づかれると殺されるぞ」「おりゃ死んでもいい。人間の腹に種を残したから・・・・」「馬鹿いうな。人間と言うものは利口で、それを聞けば蓬菖蒲の湯を沸かして溶かししまうぞ」

それを聞いた親は蓬菖蒲の湯をたいて娘をいれた。やがて娘は蛇の子のようなぐちゃぐちゃしたものを産んだと。

お盆の哀歌

2015年08月18日 | Weblog



昔はお盆に盆棚を作った。すげゴザをひき棚を作る。仏壇から本尊をだし、ここにすえる。周りには盆どうろう、うり、ほほずきなどつるす。
桔梗とか女郎花の花,香ろう、青物、菓子、いご、だんごをあげる。
そしてウマだ。
ウマはなすとかきゅうりに足をつけたものだ。これにご先祖さんがのる。
いごは海藻を固めたものだが・・・・・全国区なのだろうか。

ある家のひとり娘が盆棚を作った。娘の父は亡くなっている。生きているうちは悪行の数々をつくし、亡くなる時も非業な死にかたをした。
それでも娘にとって父だ。
深夜、お勝手でゴソゴソ音がする。その音でめざめた娘がのぞいてみると、餓鬼道に堕ちた父が米びつにしがみつき米を食べていたのだ。その周りにも餓鬼道に堕ちた人たちが残飯にむらがっていた。

「おとうーーさん。やめてーーー」何度も声をかけたが、ちょろと娘をみただけで父はやめようとしなかった。

次の日、娘は父にそなえようとしたお菓子、まんじゅうを近くの川に全部流した。それから盆棚を作らなくなった。

河童もろもろ話

2015年08月17日 | Weblog
どの川もこの雨で水があふれている。
川には河童の話がよく残っている。
もともとは中国出身らしいが、いつの時代にか日本にきた。

イタズラずきで描かれることが多いかもしれない。トイレで女性が用をたしにくると、お尻にタッチするとか。そしたら女装した旦那が、その手をひきぬいた。
手をかえしてもらうために、毎日イワナを届けたとか。

しかし、昔は川遊びで子どもが死ぬとカッパのしわざとか言われた。

私の幼少の頃はプールもなく、夏は川遊びだった。今はダムなどでき水量も少ないが当時どの川も水があふれていた。水難で亡くなる子どももいた。川でカッパに「しんのこ」をぬかれて死んだ、とか言われていた。
「しんのこ」ってのは腸のことらしい。川で馬の「しんのこ」をぬこうと思ったら、馬があばれてカッパの手がもげたという話もある。そういうことでカッパのすきなスイカをくう。もちロン、わが菜園作だ。

死霊の祟り

2015年08月16日 | Weblog


ある家で下女をやとった。ところがここの主人は妻子がありながら、その女と情を通じ妻の目を盗んで不義をしていた。たび重なる中、妻に知られてしまう。
妻は怒りに狂い、その女の頭をくだいて殺してしまった。

主人は困り「急の病気でなくなったので、葬儀はこちらで行うので参列してほしい」と女の家に伝えた。
女の親族が葬儀の前に「死体にあわせてくれ」と願い出た。主人はこまり「なにか死因に疑念がおありか。
そういうものはない。もし死体になにかお疑いのものがあれば、私はすぐ腹を切る。もし見てなにもなければ、そちらが腹を切ってもらう」と強気に出た。
相手側は、そのいきおいにおされ死体を見ることなく葬儀がすんだ。
それからしばらくして、その家の者は次々と原因不明な病気,事故でなくなり家は滅んでしまった。

なお、最後の絵は魍魎(もうりょう)で、死者を食べる妖怪である。人間を霊界に誘う死神であり、水の神ともいう。さだまった姿は特になく、お住まいは墓の近く
、身体はさほど大きくなく、全身赤くろい。

山犬奇談

2015年08月15日 | Weblog
古い記録には山犬の話がよく残っている。
山犬・・・・オオカミのことだろう。
記録では日本のオオカミが絶滅して110年。最後に捕獲されたのは奈良県東吉野村となっている。

ある夫婦が病気犬に襲われた。病気犬とは今でいう狂犬病のことだろう。
自分のを食べるとなおるという言い伝えがあって、夫は自分のを食べた。女房はこれを食べることができず狂い死んだと言う。

この「病だれ」に「米」で「くそ」いう漢字があることを、今日まで知らなかった。
よの中には知らないことがいっぱいある。

狂い死んだ女房をみて夫は「くそー」とつぶやいた。

お盆

2015年08月14日 | Weblog


いわゆる「迎え火」である。
地方によって燃やすものが違うようだ。この安曇野では白樺の皮「かんば」を燃やす。
わらであったり松や杉のところもあるそうだ。わたしの生まれたところはわらだった。
墓の前でたくところ、家の門口でたくところ、様々だ。

お墓でたいて、仏様を背負うかっこうをしてお向えするところもあったそうだ。
つまりご先祖さまを背負って家にお迎えするのだ。

信心のうすい私には考えられない
そこで迷句を一句

信心の薄い我にもお盆くる

高波池の主

2015年08月13日 | Weblog
大糸線を新潟に向かうと平岩駅から新潟県だ。もう一つ先の駅が小滝駅だ。
当然というか無人駅だ。ここで降りて少し進むと東側に道路がある。これに沿って流れるのが小滝川であり、ヒスイの出る川だ。これが糸魚川の海岸に流れつくのだ。古代ロマンをもとめる人にはこたえられない歴史がひそむ。
この川にそってあがっていくと高波の池がある。
最近行ってないので様子はわからないがキャンプ場などもあるらしい。この池まで私の小学校時代は遠足のコースだった。今考えるとどえらく距離があり、よく歩いたものだと思う。ま、
遠足とは「遠い」という字を使うのであたりまえだ。けど現在だと子どもはすぐくたばりそうだし、親がこれは遠足じゃないとさわぐだろう。とにかく昔のこどもは健脚だった。

この池の主は黒姫から落ち延びてきたお姫様だという。追ってから逃げられず家来とともに入水したのだと。この時持ってきた調度品も一緒に沈んだという。

村の人はお祝いなどでお椀など必要だと、数をいえば次の朝岸部にそろえてあったという。
ある時、そのうちのひとつを割ってしまい返さないと、それ以後いくら頼んでもそろえることはなくなったという。

数年前、テレビの巨大魚をゲットする番組があった高波の池にも巨大魚がいるとさわいでいたが鯉かなんかが群れで泳いでいて、それが大きな魚に見えたとというオチであった。
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毒蜘蛛奇談

2015年08月12日 | Weblog
与之助は昔、カラスにつつかれていた蜘蛛を助けたことがある。

そんなことはとうに忘れていた。
ある日、若いきれいな女性の旅人が足をけがしてしまい、与之助の家によせてもらった。
若いきれいな娘と与之助は気があい、そのまま与之助の嫁になった。

その時、約束したことがある。「わたしの身体を見ない事。」
しかし、与之助は約束を破ってしまったのだ。それから嫁になった娘の姿は消え、数日後与之助の遺体が見つかった。

蜘蛛は助けてもいいが、毒があるという教訓だ?

いもりの話

2015年08月11日 | Weblog
昔、男が後家さんの家に毎晩通いつめた。近くには小さな池があった。やがて、ふしぎなことに男の体は細くなり、血の気がぬけたように冷たい身体になっていた.
久しく人目をしのんでいたが、やがて女は懐妊した。臨月になり産み落とした子はイモリの子でザル七半あったという。


ま、自然界の法則によるとイモリは池などに卵を産み、そこから孵化する。それは白くつながっており
綿みたいなものだ。

栄える家

2015年08月10日 | Weblog
村村の家の先々の繁栄と没落はわかるという。それは夜おそくその家を見れば寝静まっているはずの家に薄明かりがついており笑い声や泣き声が聞こえるという。
しかし、近づくと明かりは消えるという。そして笑い声の家は繁栄し、泣き声の聞こえる家はやがて没落していくという。

これは私の生まれた集落に残る話である。採録された記録をみると・・・・語ってるのは私の祖父だった。

まさか孫は家を人に譲り町に出る予想はしてなかったろうし、集落の名前に「限界」とつくとは思っていなかったろう。

困った孫だ。