武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

雀の遊び

2016年01月08日 | Weblog


庭のエサ台にりんごを置く。もちろん中身は人間がたべ、皮を細かくして・・・・・スズメがやってくる。
しばらくしてどこかの国のアナウンサーみたいに声をはりあげてヒヨドリがきた。スズメを追い払う。
権力のあるものがのさばる・・・・権力のあるものが謙虚さがないと国は亡びる。いくらヒヨドリがジンミンジンミンと言ったところでボロはでる。

昔はスズメは大群をつくっていた感じがする。最近めっきり減ってる。人家近くに生存する生き物だから。特に田舎で限界集落などと言われ人が少なくなると・・・・・スズメも減るのだ。

一茶の句にスズメの子スズメの子そこのけお馬が通るとあるが昔はたくさんいたのだ。

わたしの小さい頃はテレビもゲームもなく、遊びは自然に外で自分で開発しなければならない。
スズメも結構遊びの対象だった。捕まえ方は上の人たちから伝わって来た。


これは牧歌的な、のんびりした方法でスズメに馬鹿にされる。
これは米俵のふたを利用する。わらで出来ているのでそこに糸でワナを作り、スズメの足をからめる方法だ。これでとれたためしがない。

これを箱から作る。底板は少し傾いていてスズメがのると上の板が落ちてきて捕獲できる。
これはかなり獲れた。けどスズメも軽いので上下の板はひもでつながっているが、しっかりつながってると落ちない。ちょい風があたると落ちるくらいの微妙さが肝心。ほかにお米を酒にひたしてスズメを酔わせる方法も習ったが、まずお酒をお勝手からかすめるのが難しい。

というような遊びであった。獲れたスズメを食べた記憶がないので捕まえて放したのだ。

正月を読む

2016年01月06日 | Weblog
テレビで漱石の「坊ちゃん」をやってるのを見る。
家にある全集を開いてみる。昔読んだかな?記憶がさだかでない。
読んでみても現在の小説よりも上をゆくと思える。こんなに長がく読まれるのは、やはり文豪と言われる理由だ。
漱石にとって最初の小説で、高浜虚子が手直しをしたそうだ。
「玉りません」とか「夫れ」とか使われているから、最初ななんだ?・・・と思ったけど。

次は図書館から借りて来た「版画荘二代記」だ。
安曇村におられた加藤大道親子の物語だ。版画は郷愁を呼ぶ・・・・・頭にいつも清貧とつく版画家で知ってる人は知ってるが・・・・・意味のないような版画を作っている人とはちがう。

最後は現在制作中の絵本の参考に借りて来た「手島圭三郎」さんの絵本だ。
シマフクロウの物語だ。

版画ですっきりをねらうと似てしまいそうだし、前にこういう偉大な人がいるとやりずらい。

正月がきた

2016年01月05日 | Weblog

ああだこうだと色も入れてみたが、結局白と黒で終わりにした。
明日出品。出品料2000円。

ポップオーバーとかいうパンの準備をした相方が都合が悪くなり・・・・続きは私がやることになり・・・なんとか形はいびつだが食べれた。ホ。


同時進行のモチもそうだ。水かげんをまちがえたらしくムレない。あわてて水を追加して・・・なんとか形になった。ホ。

わからない人に伝達することは、簡単に言えばわかるともいえない。くわしくいえばよけい混乱する。ホ。

ハッ鍛えよ・・・・・・御嶽海

2016年01月02日 | Weblog

なんとなく正月二日目。

テレビでは暮れに撮影した番組が流れている。正月気分で出演する芸人も仕事だからな・・・・とさめた目で見ている。
信州のテレビも期待の信州出身御嶽海をとりあげ盛り上がろうとしてる。
大昔は雷電という有名な力士がいたが、最近さっぱりだから・・・・
といっても信州出身の力士は数人いる。けど力の世界だからテレビにうつるところにあがるのは大変だ。
御嶽海は木曽の上松町生まれだ。この町にわたしは五年いたので、なんとなく近いような感覚がある。後援会の人がテレビにうつると知っている顔がないか確認などしてる。ひとり見覚えのある顔があった。えらく年とっていた。あっちにすればお前もなとなりそうだ。ま、そういうことで初場所を期待したい。
「はっけよいよい」はもともと「ハッ鍛えよ」といっていたのが変化してそうだ。そのうちに「八卦よい」という勝占いの意味に変わっていったとか。