“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

かくして“渋谷の父”は誕生した!

2008年02月19日 10時47分35秒 | Weblog
自宅謹慎というわけでも蟄居というわけでもないんですが、
講師を務めていた某占い専門校から、
12月中は登校に及ばずとの沙汰を受けて、
僕の師走は比較的穏やかに始まり、過ぎて行きました。

といっても、何もしなかったわけではありません。
僕には、もう一つの仕事である放送作家としての仕事があったし、
年明け、いや正式には2月4日の天中殺明けからのことも考えなくてはいけなかったからです。

(まずは占いの拠点となる事務所作りだな・・・)

とりあえず、そう思ったものの・・・
企画、というよりは思いつき先行で無計画にコトを進めるわけには
いかないのがつらいところです。
どんな事務所をどこに開くべきか・・・
ある知り合いの占い師は通りすがりの人が気軽に立ち寄れる鑑定処を作って
一緒にやりませんかと言ってきました。
でも、僕としては、本来の仕事が物書きなので、
鑑定もさることながら、
占いを含め書き物ができる事務所を作りたいという
希望があったのです。
ま、このへんは、ホントに往生際が悪いんですが・・・
それにも増して、重大なことが!
そう、事務所を開くにはお金がいるんです。これ、至極当たり前!
で、このお金を捻出するのにはホント苦労しました。

それと、同時進行でまず考えたのは・・・
やっぱり大事なのは、まず自分を売ることだということでした。
それも、現代はネット社会なので、
ネットを通じて自分というものをアピールし、
売り出していかなければと思ったのです。

そんな漠然とした思いを、僕の回りの友人たちに打ち明け、
いろいろめぐりめぐって出した結論!
それが、“渋谷の父”になることでした

もともと僕は、某占い専門校時代は、“ハリー堀田”の通名で知られていました。
“ハリー堀田”・・・すなわち“占い界のハリポタ”です。

ところが、独立し、その名を使って活動しようとして、念の為に、“ハリー堀田”で検索をしてみると、
その同姓同名で映画評論を書いたりパロディ小説を書いている先達が
多いこと多いこと・・・

ならば、あっさりとその名を捨てようと。

また、たまたま友人に彼の有名な占い師“原宿の母”菅野鈴子女史もいるし、
“新宿の母”“原宿の母”と来たら、
駅順からいっても“渋谷の父”がいてもいいんじゃないかと思ったわけです。

かくして、“渋谷の父”は誕生しました。
ただし、名前の方は、“ハリー堀田”改め“ハリー田西”としました。
以後、お見知りおきのほど、よろしく!

これで、事務所設立へ向け、一直線~~~!
・・・のはずだったんですが、この正月もまだまだいろいろあったんですよね。

天中殺の棹尾を飾るかのように襲った正月の悲しい別れ・・・
そのドラマはまた明日!


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