はじめまして!占い師のハリー田西です!
本日よりブログのスタートです。一部の皆様には、お待たせしました!
というべきでしょうか、
いや、ご心配をおかけしました!
というべきでしょうか、
なんとかここまでたどり着きました!!・・・なんて大げさな!?
でも・・・
ホント、嵐のような3ヶ月でした
思えば、コトの発端は、年運天中殺の真っ只中にあった去年の、
これまた月運天中殺に見舞われていた11月某日のこと、
当時、僕が講師を務めていた某占い専門校のトイレで、
たまたま同校の学院長と隣りあわせで、いわゆる“連れション”をした時から、
僕の試練は始まりました。
(以下は“密室連れション騒動”の顛末です!)
「ちょっと小耳にはさんだんだけど、ハリー(=僕)さんは春になったら、
ここ(学院)を出て行くつもりだそうだね」
「はぁ?別に決めてるわけではないですけど、天中殺も明けることだし、
場合によっては身の振り方を考えようかなとは思っています」
「ということは、独立するっていうことかね?」
「独立?うーん・・・それほど大げさなもんじゃないですよ。
物書きとしての事務所でも作ろうかなと思うくらいで・・・」
すると、先に用を足し終えた学院長は、
「わかりました。その件はこんどよく話し合いましょう」
と上下に縦揺れしてジッパーをあげながら、
トイレを出て行きました。もちろん、手は洗って・・・。
僕は某占い専門校で4年ほど講師を務めました。
一時は、横浜に開いたこの学院の分校の校長まで任されました。
が、年運の天中殺に入ったとたんに、学院長と衝突。
いきなり横浜校から呼び戻され、東京本校にて非常勤の講師となりました。
そういう意味では、僕の立場は、非常勤の講師なんですから、
去年の11月の時点では、わりと宙ぶらりんの状態だったといえます。
さて、その連れション会談の反応はそれから1週間のうちに現われました。
1週間後の某日の朝、突然、学院長室の呼ばれた僕は、
副学院長、事務局長同席の上で、(話し合いなんてことは一切なく)一方的に、
「来春に辞めると言っている人間にこれ以上授業をしてもらうと、
生徒に悪い影響が出るので、今年一杯で退任してもらいます。
そういうわけだから、12月は授業も鑑定もしなくて結構です。
12月分まではギャランティーは払います」と通告を受けたのです。
アチョ~ン!です。青天の霹靂!
別に前述の通り春には身の振り方を考えようと思っていたんですから、
辞めるというのも一つの方向、結論なのでかまわないのですが、
その結論に至るまでのプロセスがあまりになさすぎるというか、短兵急というか・・・
前戯なしのエッチのようで味も素っ気もありません!
心の準備もへったくれもなく、いきなり冷水を浴びせかけられたかのようです
でも、僕はめげませんでした!何事もプラス思考!
天中殺の真っ只中で、過酷な運命に翻弄され、自分の行く末に、
曖昧模糊にして優柔不断な態度しかとれない自分の背中を、
この学院長の宣告は、やや強引とはいえ押してくれたんだと思うようにしたのです
かくして独立?なんて考えてもいなかった僕が、形の上で独立することになったのですが、
ここからがまた苦難の連続!
だって年運天中殺の真っ只中だったんですから!
いやぁ天中殺っていうのはどうしてこうもズバリ当たっちゃうんでしょう!あはは!
では、続きは明日!
☆インターネットより鑑定予約できます!↓↓↓
渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
本日よりブログのスタートです。一部の皆様には、お待たせしました!
というべきでしょうか、
いや、ご心配をおかけしました!
というべきでしょうか、
なんとかここまでたどり着きました!!・・・なんて大げさな!?
でも・・・
ホント、嵐のような3ヶ月でした
思えば、コトの発端は、年運天中殺の真っ只中にあった去年の、
これまた月運天中殺に見舞われていた11月某日のこと、
当時、僕が講師を務めていた某占い専門校のトイレで、
たまたま同校の学院長と隣りあわせで、いわゆる“連れション”をした時から、
僕の試練は始まりました。
(以下は“密室連れション騒動”の顛末です!)
「ちょっと小耳にはさんだんだけど、ハリー(=僕)さんは春になったら、
ここ(学院)を出て行くつもりだそうだね」
「はぁ?別に決めてるわけではないですけど、天中殺も明けることだし、
場合によっては身の振り方を考えようかなとは思っています」
「ということは、独立するっていうことかね?」
「独立?うーん・・・それほど大げさなもんじゃないですよ。
物書きとしての事務所でも作ろうかなと思うくらいで・・・」
すると、先に用を足し終えた学院長は、
「わかりました。その件はこんどよく話し合いましょう」
と上下に縦揺れしてジッパーをあげながら、
トイレを出て行きました。もちろん、手は洗って・・・。
僕は某占い専門校で4年ほど講師を務めました。
一時は、横浜に開いたこの学院の分校の校長まで任されました。
が、年運の天中殺に入ったとたんに、学院長と衝突。
いきなり横浜校から呼び戻され、東京本校にて非常勤の講師となりました。
そういう意味では、僕の立場は、非常勤の講師なんですから、
去年の11月の時点では、わりと宙ぶらりんの状態だったといえます。
さて、その連れション会談の反応はそれから1週間のうちに現われました。
1週間後の某日の朝、突然、学院長室の呼ばれた僕は、
副学院長、事務局長同席の上で、(話し合いなんてことは一切なく)一方的に、
「来春に辞めると言っている人間にこれ以上授業をしてもらうと、
生徒に悪い影響が出るので、今年一杯で退任してもらいます。
そういうわけだから、12月は授業も鑑定もしなくて結構です。
12月分まではギャランティーは払います」と通告を受けたのです。
アチョ~ン!です。青天の霹靂!
別に前述の通り春には身の振り方を考えようと思っていたんですから、
辞めるというのも一つの方向、結論なのでかまわないのですが、
その結論に至るまでのプロセスがあまりになさすぎるというか、短兵急というか・・・
前戯なしのエッチのようで味も素っ気もありません!
心の準備もへったくれもなく、いきなり冷水を浴びせかけられたかのようです
でも、僕はめげませんでした!何事もプラス思考!
天中殺の真っ只中で、過酷な運命に翻弄され、自分の行く末に、
曖昧模糊にして優柔不断な態度しかとれない自分の背中を、
この学院長の宣告は、やや強引とはいえ押してくれたんだと思うようにしたのです
かくして独立?なんて考えてもいなかった僕が、形の上で独立することになったのですが、
ここからがまた苦難の連続!
だって年運天中殺の真っ只中だったんですから!
いやぁ天中殺っていうのはどうしてこうもズバリ当たっちゃうんでしょう!あはは!
では、続きは明日!
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