元タレントの清水由貴子さんが霊園で自殺?
このニュースには本当にびっくりすると同時に、
心臓が締めつけられるくらいの強烈なショックを受けました。
清水由貴子さん・・・皆さんは覚えていますか?
”ユッコ”の愛称で親しまれた清水由貴子さんは、
後年は昼ドラのがんばり母ちゃん役やレポーターとして活躍しましたが、
もともとは1977年(昭和52年)に「お元気ですか」でデビューした
スタ誕出身のアイドル歌手でした。
たしかスタ誕の決戦大会では、
あのピンクレディーよりも多くのスカウトの札が上がり、
グランド・チャンピオンに輝いたという金の卵でした。
当時の僕は、放送作家としてはまだ駆け出しの頃でしたが、
新人が出演するテレビやラジオの番組をいくつか担当させてもらっていたので、
このキラキラとした新人歌手の清水由貴子さんとは、
ちょくちょく仕事先で顔を合わせ、時には親しくお話をさせてもらったものです。
ファーストコンサートにも行きました。
今でもその時のことを昨日のことのように思い出します。
当時の彼女はとにかく腰が低いというか、
誰にでも「おはようございます。よろしくお願いします」と
本当に腰が折れんばかりに丁寧に挨拶をする子でした。
同時に、母子家庭で育ったということもあり、
人の心の痛みがわかるとっても親孝行なやさしい子でした。
プロダクションは大手の芸映プロダクション。
当時の事務所の先輩には西城秀樹さんや岩崎宏美さんらがおり、
そんな中で新人・清水由貴子も大いに期待されたものですが、
不運だったのは、この昭和52年は稀に見る新人豊作の年で、
清水健太郎、狩人、高田みづえ、榊原郁恵、太川陽介ら
キラ星の如きアイドルがひしめき合い、
文字通りNO.1アイドルの栄誉をめぐって、
熾烈な新人賞レースを繰り広げていました。
でも、その中でも、僕は個人的には彼女を応援していました。
それは、ある面“生き馬の目を抜く”芸能界で、
そんな熾烈な競争をしていくにはふさわしくないほど、
彼女は謙虚で“いいコ”だったからです。
彼女には、これまたいつもニコニコしていて腰の低い
Hさんというマネージャーさんがついていて、
二人三脚で局回りをしていました。
このコンビはずっと後年まで続いていたはずです。
ところが、アイドル歌手としては、あまりに“いいコ”過ぎたユッコは、
この年の新人賞レースで、清水健太郎や高田みづえの後塵を拝すると、
やがてはアイドルの路線から離れていき、
レポーターや役者の道に活路を見出していったわけですが、
2006年、突然、所属の芸映プロダクションを辞め、引退してしまいました。
その突然の引退の理由は不明でしたが、
今回そこにはお母さんの介護があったのだと初めて知りました。
実は、彼女の根強いファンたちは、
『清水由貴子を勝手に応援するHP』というファンサイトを立ち上げ、
彼女の復帰をひたすら、地道に願っていたのです。
昨年、偶然にこのサイトを発見した僕は、
「ハリー」の名でゲストブックに書き込みをさせてもらい、
機会があったら芸映の関係者に彼女の消息を訊きますと、
調子のいいコメントを残したりしました。
(実際、芸映の方に訊いたりもしたのですが、
現場のマネージャークラスからもらえる答えは「わかりません」というものでした)
さて、ここからは、後悔の上でのシンクロニシティ(偶然の一致)です。
今年の3月に、かつてユッコが所属していた芸映の後輩アイドルである
ミッチョンこと芳本美代子さんとお会いした折に、
ユッコのことを訊ねたところ、
ミッチョン自身も「(ユッコの消息は)わからない」ということでしたが、
たまたま今回ミッチョンが初めて演出を担当することになった
芸映系列の劇団の旗揚げ公演のチラシを見たところ、
その公演のプロデューサーがかつてのユッコのマネージャーであった
Hさんだったことがわかりました。
そこで、僕はさっそくユッコのファンサイトに、
「もしこの公演を見に行けるようならばH氏にユッコの消息を尋ねてみます」と、
またまた調子のいい書き込みをしたばかりだったのです。
なんという偶然でしょう・・・虫が知らせたんでしょうか・・・
ところが、このブログにも書きましたが4月4日に叔父が急死し、
その葬儀が8日にあったりしたので、
僕の身辺がなにかとゴタついて、
とうとう9日からの公演に行けなくなってしまったのです。
こうして、結果的には(多少でも)僕の行動を期待されていた
ファンサイトの管理人さんはじめユッコファンの方を裏切る形になってしまいました。
本当にすみません。
あの時、というか、本当に先週僕がなんらかのアクションを起こしていたら・・・
もしかすると、ほんの少しだけでも別の展開があったかもしれないのに・・・
このことが悔やまれてなりません。ごめんなさい。
清水由貴子さん・・・とってもけなげな“いいコ”でした。
謹んでご冥福をお祈りします。安らかにお休み下さい。
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後年は昼ドラのがんばり母ちゃん役やレポーターとして活躍しましたが、
もともとは1977年(昭和52年)に「お元気ですか」でデビューした
スタ誕出身のアイドル歌手でした。
たしかスタ誕の決戦大会では、
あのピンクレディーよりも多くのスカウトの札が上がり、
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当時の僕は、放送作家としてはまだ駆け出しの頃でしたが、
新人が出演するテレビやラジオの番組をいくつか担当させてもらっていたので、
このキラキラとした新人歌手の清水由貴子さんとは、
ちょくちょく仕事先で顔を合わせ、時には親しくお話をさせてもらったものです。
ファーストコンサートにも行きました。
今でもその時のことを昨日のことのように思い出します。
当時の彼女はとにかく腰が低いというか、
誰にでも「おはようございます。よろしくお願いします」と
本当に腰が折れんばかりに丁寧に挨拶をする子でした。
同時に、母子家庭で育ったということもあり、
人の心の痛みがわかるとっても親孝行なやさしい子でした。
プロダクションは大手の芸映プロダクション。
当時の事務所の先輩には西城秀樹さんや岩崎宏美さんらがおり、
そんな中で新人・清水由貴子も大いに期待されたものですが、
不運だったのは、この昭和52年は稀に見る新人豊作の年で、
清水健太郎、狩人、高田みづえ、榊原郁恵、太川陽介ら
キラ星の如きアイドルがひしめき合い、
文字通りNO.1アイドルの栄誉をめぐって、
熾烈な新人賞レースを繰り広げていました。
でも、その中でも、僕は個人的には彼女を応援していました。
それは、ある面“生き馬の目を抜く”芸能界で、
そんな熾烈な競争をしていくにはふさわしくないほど、
彼女は謙虚で“いいコ”だったからです。
彼女には、これまたいつもニコニコしていて腰の低い
Hさんというマネージャーさんがついていて、
二人三脚で局回りをしていました。
このコンビはずっと後年まで続いていたはずです。
ところが、アイドル歌手としては、あまりに“いいコ”過ぎたユッコは、
この年の新人賞レースで、清水健太郎や高田みづえの後塵を拝すると、
やがてはアイドルの路線から離れていき、
レポーターや役者の道に活路を見出していったわけですが、
2006年、突然、所属の芸映プロダクションを辞め、引退してしまいました。
その突然の引退の理由は不明でしたが、
今回そこにはお母さんの介護があったのだと初めて知りました。
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(実際、芸映の方に訊いたりもしたのですが、
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今年の3月に、かつてユッコが所属していた芸映の後輩アイドルである
ミッチョンこと芳本美代子さんとお会いした折に、
ユッコのことを訊ねたところ、
ミッチョン自身も「(ユッコの消息は)わからない」ということでしたが、
たまたま今回ミッチョンが初めて演出を担当することになった
芸映系列の劇団の旗揚げ公演のチラシを見たところ、
その公演のプロデューサーがかつてのユッコのマネージャーであった
Hさんだったことがわかりました。
そこで、僕はさっそくユッコのファンサイトに、
「もしこの公演を見に行けるようならばH氏にユッコの消息を尋ねてみます」と、
またまた調子のいい書き込みをしたばかりだったのです。
なんという偶然でしょう・・・虫が知らせたんでしょうか・・・
ところが、このブログにも書きましたが4月4日に叔父が急死し、
その葬儀が8日にあったりしたので、
僕の身辺がなにかとゴタついて、
とうとう9日からの公演に行けなくなってしまったのです。
こうして、結果的には(多少でも)僕の行動を期待されていた
ファンサイトの管理人さんはじめユッコファンの方を裏切る形になってしまいました。
本当にすみません。
あの時、というか、本当に先週僕がなんらかのアクションを起こしていたら・・・
もしかすると、ほんの少しだけでも別の展開があったかもしれないのに・・・
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