俳優の緒形拳さんが亡くなりました。享年71。
僕の大好きな役者さんでした。
緒形さんとはとうとう芸能界という仕事場では、
一度もお会いすることがありませんでした。
もともと緒形さんは根っからの役者さんであり、
僕が主戦場としていたバラエティーや情報番組などには
ついぞちゃらちゃらと出てきたりしなかったからともいえます。
ところが、実は、今から40年ほど前の昭和41、2年頃に、
僕は偶然乗り合わせた東急バスの中で、
緒形拳さんと遭遇したことがあるのです。
当時、僕は中学生でした。
大森の日赤産院前からバスに乗り込み、
満員の車内をかきわけかきわけ中へ進み、
吊革につかまってふと前を見ると、
なんと緒形拳さんが目の前に座っていたのです。
これにはもう、びっくり・・・
なにしろ当時の緒形拳さんといえば、
65年のNHKの大河ドラマ『太閤記』で一躍人気者となり、
その翌年は同じく大河ドラマの『源義経』で弁慶役を演じと、
もう文字通り飛び鳥を落とすが勢いの新進スターだったからです。
そんなスターがごくごく普通の(笑)路線バスに乗っている・・・
この衝撃!そこで出会えた感動!
僕は2、3分じっとその偶然の感動に耐えていましたが、
思い切って、意を決して訊ねました!
「緒形拳さんですよね?」
すると、緒形さんは一言、「そうです」とおっしゃいました。
それだけです。会話はホントそれだけ。
僕もつくづくバカというか、子供だったんですよね。
その一言をもらっただけで、もう舞い上がってしまって、顔から火が出る思い。
本来ならば「僕、ファンです。頑張って下さい」とか、
気の利いた一言でも言えればよいのに、
まったく何にも言えなくなってしまったのですから・・・。
こうして、緒形さんと僕は無言で40cmくらいの微妙な距離を保ったまま、
10分ほどバスは走り、大森駅までの短くて長い旅が終わりました。
それは、僕の人生から見れば、ほんとうに一瞬といってもいいような、
短編映画のようなシーンでしたが、
40年たった今も強烈な印象として残っています。
そんな緒形拳さんの宿命を見ると、
「新国劇」を経てくだんの『太閤記』で人気を得たのは28歳の時とやや遅咲きでしたが、
働き盛りの34歳~53歳までの20年間にちょうど大運の天中殺が回り、
ここで一気に運気上昇に転じました。
テレビの『必殺仕掛人』、映画の『鬼畜』『復讐するは我にあり』『楢山節考』など
その多くの名演はほぼこの時期に集中しています。
まさに大運天中殺のパワー爆発です。
そして、64歳からの大運は健康に注意すべき鳳閣星が回り、
今年はその大運、年運とも月子に病気を意味する害が回っていました。
それにしても頭が下がるのは、
肝臓ガンに侵されていながらも周囲にはそんなそぶりも見せず、
先日クランクアップしたドラマ『風のカーテン』の主役を最後まで演じ切り、
9月30日に行われた記者会見に出席。
そのわずか5日後に亡くなるという、まさに役者魂を見せつけた一生でした。
よく“役者は畳の上では死ねない”とかいいますが、
晩節は演ずることもできず長い闘病生活を送らなければならないという役者さんに比べると、
どれだけ幸せだったことでしょう。
ちなみに、緒形拳という芸名は、もともとは(おがた・けん)ではなく、
(おがた・こぶし)と読ませたそうですね。
ところが、誰もがコブシさんとは呼ばずにケンさんというもんだから、
いつのまにか(おがた・けん)にしてしまったそうです。
でも、(こぶし)といわれれば、
たしかに緒形さんは“古武士”的な風格を持つ役者さんでしたね。
もっとも、僕はなぜか(おがた・けん)と聞くと
(大型犬)を思い浮かべてしまうのはいけませんね。反省。
謹んで名優・緒形拳さんのご冥福をお祈りします。合掌。
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渋谷の父 ハリー田西 “渋谷占い”
僕の大好きな役者さんでした。
緒形さんとはとうとう芸能界という仕事場では、
一度もお会いすることがありませんでした。
もともと緒形さんは根っからの役者さんであり、
僕が主戦場としていたバラエティーや情報番組などには
ついぞちゃらちゃらと出てきたりしなかったからともいえます。
ところが、実は、今から40年ほど前の昭和41、2年頃に、
僕は偶然乗り合わせた東急バスの中で、
緒形拳さんと遭遇したことがあるのです。
当時、僕は中学生でした。
大森の日赤産院前からバスに乗り込み、
満員の車内をかきわけかきわけ中へ進み、
吊革につかまってふと前を見ると、
なんと緒形拳さんが目の前に座っていたのです。
これにはもう、びっくり・・・
なにしろ当時の緒形拳さんといえば、
65年のNHKの大河ドラマ『太閤記』で一躍人気者となり、
その翌年は同じく大河ドラマの『源義経』で弁慶役を演じと、
もう文字通り飛び鳥を落とすが勢いの新進スターだったからです。
そんなスターがごくごく普通の(笑)路線バスに乗っている・・・
この衝撃!そこで出会えた感動!
僕は2、3分じっとその偶然の感動に耐えていましたが、
思い切って、意を決して訊ねました!
「緒形拳さんですよね?」
すると、緒形さんは一言、「そうです」とおっしゃいました。
それだけです。会話はホントそれだけ。
僕もつくづくバカというか、子供だったんですよね。
その一言をもらっただけで、もう舞い上がってしまって、顔から火が出る思い。
本来ならば「僕、ファンです。頑張って下さい」とか、
気の利いた一言でも言えればよいのに、
まったく何にも言えなくなってしまったのですから・・・。
こうして、緒形さんと僕は無言で40cmくらいの微妙な距離を保ったまま、
10分ほどバスは走り、大森駅までの短くて長い旅が終わりました。
それは、僕の人生から見れば、ほんとうに一瞬といってもいいような、
短編映画のようなシーンでしたが、
40年たった今も強烈な印象として残っています。
そんな緒形拳さんの宿命を見ると、
「新国劇」を経てくだんの『太閤記』で人気を得たのは28歳の時とやや遅咲きでしたが、
働き盛りの34歳~53歳までの20年間にちょうど大運の天中殺が回り、
ここで一気に運気上昇に転じました。
テレビの『必殺仕掛人』、映画の『鬼畜』『復讐するは我にあり』『楢山節考』など
その多くの名演はほぼこの時期に集中しています。
まさに大運天中殺のパワー爆発です。
そして、64歳からの大運は健康に注意すべき鳳閣星が回り、
今年はその大運、年運とも月子に病気を意味する害が回っていました。
それにしても頭が下がるのは、
肝臓ガンに侵されていながらも周囲にはそんなそぶりも見せず、
先日クランクアップしたドラマ『風のカーテン』の主役を最後まで演じ切り、
9月30日に行われた記者会見に出席。
そのわずか5日後に亡くなるという、まさに役者魂を見せつけた一生でした。
よく“役者は畳の上では死ねない”とかいいますが、
晩節は演ずることもできず長い闘病生活を送らなければならないという役者さんに比べると、
どれだけ幸せだったことでしょう。
ちなみに、緒形拳という芸名は、もともとは(おがた・けん)ではなく、
(おがた・こぶし)と読ませたそうですね。
ところが、誰もがコブシさんとは呼ばずにケンさんというもんだから、
いつのまにか(おがた・けん)にしてしまったそうです。
でも、(こぶし)といわれれば、
たしかに緒形さんは“古武士”的な風格を持つ役者さんでしたね。
もっとも、僕はなぜか(おがた・けん)と聞くと
(大型犬)を思い浮かべてしまうのはいけませんね。反省。
謹んで名優・緒形拳さんのご冥福をお祈りします。合掌。
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