通勤で使っている電車の駅、始発の電車を待って、多くの人がきちんと並んで電車を待っている。どの列に並んだ方が座れる可能性が高いかもしっかり研究してあるので、後ろの方に並んでいても、殆ど座ることができる。並んでいる間と座ってからの少しの間が毎日の読書の時間だ。残念ながら、座ってしばらくたつとついつい眠ってしまい、次に気が付いたときには終点に到着というのが毎日のルーティーン。
多くの人が続々とやってくるので、駅員さんも事故が起こらないようにマイクに向かって声を張り上げている。なかなか大変な仕事だなあと思うのだけれど、その中でちょっと気になることがある。というのも、始発で並んでいる人に対して
「電車をお待ちの方は、黄色い印のある所に4列に並んでお待ちください。」
と連呼している。しかし、実際に並んでいる人をみると、どの列も2列しかない。駅員は、列が長くなるとプッラットフォームの反対側まで人があふれるので、4列になるように繰り返しアナウンスをするのだけれど、誰もそれを聞いて4列になる人はいない。このアナウンスをするようになってもうだいぶ期間が経つのだが、状況が改善される様子は一向にないのだ。一度だけ、駅員さんが列のところまでやってきて強制的に4列にさせられたことがあるのだが、それ以降同じような誘導はしていないようだ。
なぜ、2列は4列にならないか?それは、皆が4列に並ぶという気持ちになっていないので、誰かが4列になろうとしても、「2列でいいじゃん」と思っている人とトラブルになってしまうと思っているからではないかと思う。しつこく4列にならびましょうとアナウンスを続けて「4列に並ぶのね」と思う人がある水準を超えると、ぱたっと4予列モードに遷移するのかもしれない。物理学でいう相転移という現象に似ているかもしれない。とすると、過冷却の水にちょっと衝撃を与えると急に凍るのと同じように、どこかの一列だけ毎日4列にするように(例えばペイントや駅員の誘導)工夫してみるのはどうだろうか。
こんな些末な事柄を観察してもわかるように、人の心や行動というのは言葉や理論によって簡単には変わらない。いくら言葉によって伝えられる事柄が理路整然として「正しいこと」であっても、そのことが相手の人の気持ちを変えることにつながるかはわからない。本人も理屈としては分かったつもりでも、それを飲み込んで自分の気持ちにできるかどうかは別のことである。
世界中で争いが絶えない。ビジネスにおいても大きな会社の内紛などが毎日ニュースになっている。なぜ、そんなことが起こるのか。それは、正しいことを伝えれば、正しくないことをしている人が気持ちを翻して、正しいことを言っている人に従うと思っているからではないか。でも、それはたぶん幻想である。私たちは、意識をコントロールできないのだから。じゃあ、どうすればいいんだろう。大体何が正しくて何が正しくないなんてことだって、実はわかりはしないのではないかと思えてきた。