コロナの感染で 自粛してきた中学校の同窓会を、三年ぶりに開催することになった。
加須市と合併する はるか昔、北川辺村にあった西中学校の昭和33年度卒の同期会。
コロナを考慮しながら役員会で相談し、11月18日 に昼食会の形で実施となった。
間もなく80歳の傘寿を迎える今回を節目に、正式同窓会として 最後の開催になる。
ひげ爺は役員として事務を担当、保存データを修正 往復はがきに開催通知を印刷し
投函してホットしていたら、6日夕刻から体温がホットで7日には喉が痛みだした。
発熱外来の検査結果は「コロナ陽性」、即刻 自宅療養の指示に従って隔離体制入り。
妻に当面の買い物を急がせ準備、重要なことは 家庭内感染予防のための無接触生活。
近くに住む娘たちのアドバイスで準備万端、ところが 一日遅れて女房も「陽性」に。
夫婦が 別部屋で「ロックダウン」状態、孫娘の「非面談の差し入れ」には大助かり。
症状は 発熱/ 倦怠感/ 喉の痛み、処方薬を飲み無接触で食事と水分を補給 スマホで
体温/ 血中酸素/ 体調を保健所に報告、三日目から徐々に喉痛/体調も回復してきた。
幸い 重症化も後遺症もなく13日に先ず私が解放され、15日に女房も釈放された。
その後「体慣らし」で過ごし、18日の「最後の同窓会」に 出席することが出来た。
小学と中学の通学区が 全く 同じだったので、小中一貫校のような 9年間の お友達。
卒業生が100名強で 参加者が20名、出席可能者生存率は2割だからまぁまぁだ。
『みんな歳とった姿、でも出席できるのは健康に恵まれている証拠 !』と、独り言。
昔の話題は 仕事や損得や色話、それが年金と孫の話に変わり今は病気と薬と墓の話。
加須市と合併する はるか昔、北川辺村にあった西中学校の昭和33年度卒の同期会。
コロナを考慮しながら役員会で相談し、11月18日 に昼食会の形で実施となった。
間もなく80歳の傘寿を迎える今回を節目に、正式同窓会として 最後の開催になる。
ひげ爺は役員として事務を担当、保存データを修正 往復はがきに開催通知を印刷し
投函してホットしていたら、6日夕刻から体温がホットで7日には喉が痛みだした。
発熱外来の検査結果は「コロナ陽性」、即刻 自宅療養の指示に従って隔離体制入り。
妻に当面の買い物を急がせ準備、重要なことは 家庭内感染予防のための無接触生活。
近くに住む娘たちのアドバイスで準備万端、ところが 一日遅れて女房も「陽性」に。
夫婦が 別部屋で「ロックダウン」状態、孫娘の「非面談の差し入れ」には大助かり。
症状は 発熱/ 倦怠感/ 喉の痛み、処方薬を飲み無接触で食事と水分を補給 スマホで
体温/ 血中酸素/ 体調を保健所に報告、三日目から徐々に喉痛/体調も回復してきた。
幸い 重症化も後遺症もなく13日に先ず私が解放され、15日に女房も釈放された。
その後「体慣らし」で過ごし、18日の「最後の同窓会」に 出席することが出来た。
小学と中学の通学区が 全く 同じだったので、小中一貫校のような 9年間の お友達。
卒業生が100名強で 参加者が20名、出席可能者生存率は2割だからまぁまぁだ。
『みんな歳とった姿、でも出席できるのは健康に恵まれている証拠 !』と、独り言。
昔の話題は 仕事や損得や色話、それが年金と孫の話に変わり今は病気と薬と墓の話。