ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

氷川神社の 「節分祭」

2025-02-04 08:41:58 | 地域活動・つながり

今年の節分(豆まき)は、うるう年の関係で一日ズレて4年ぶり2月2日になった。
日本式の暦の24節気では、節分までが冬の季節で 翌日の立春からは春になる。
季節の変わり目は  病気や災難にかかりやすく、それらを鬼に見立てて追い払う
「豆まき」が全国的に行事化されたが、地域や時代によって 内容に違いもある。
我が家の節分は、2021年2月のブログに 投稿しているのでご再読ください。
今年の節分は小雨で寒くなったが、氷川神社の節分祭を 転居後初めて見学した。

ひげ爺は儀式に合わせて、午前午後の二度訪れて古式ゆかしい行事を拝観した。
午前9時からは拝殿内で祈願が行われた後、舞殿で神職が 弓の弦をひき鳴らし
て邪気を払う 「鳴弦の儀」(めいげん)が、厳粛に執り行われ1時間ほどで終了。
午後3時からは 参拝者多数を迎え、豆まき 「撒豆の儀」(さんず)が行われた。
笛と太鼓の囃子のもと青鬼青鬼が登場し、大相撲の音羽山部屋力士はじめ年男
や 地元名士が順次登壇、福豆ならぬ 袋菓子などを撒いて4時半過ぎ 終了した。

お賽銭は それなりにあげたもので、帰りのポケットには  ゲットした撒かれた
駄菓子が数個入っていて、小さなビニール袋に包まれた 冷凍イワシも あった。
自宅に帰って一休み、焼イワシと煎り豆を用意し 神棚に奉じて 簡略な豆まき。
夕食はイワシと市販の「恵方巻」、今では 節分の主役は 豆まきより恵方巻だ。
『節分にイワシは必須、でも 撒かれた「空飛ぶイワシ」に驚く 』と、独り言。
小雨でも対策は万全、帽子からウエアーに靴まで ゴアテックスの 完全武装だ。

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超高齢者が集う 新年会

2025-01-21 08:42:27 | 地域活動・つながり

お正月気分もとれた20日は、二十四節気 の「大寒」を迎えて冬の真っ最中である。
一年で 最も寒い 季節ながら、「初春」や「迎春」と言って 新春行事が 続いている。
秋が過ぎれば 冬が来て、寒さ厳しい冬が 終われば 暖かい春が やってくるのが四季。
一生を 四季に たとえれば、八十路の「ひげ爺」達は  冬の季節にいると云えそうだ。
とは言え「高齢化社会」の 中心構成員で、寒い冬でも 気持ちの若い  元気者が多い。
そんな 仲間が集う「新年を祝う会」が、さいたま市の 与野にある会場で 開かれた。

それは 私が 永年勤めた旅行会社の OB/OG会で、全国組織の 地域部会の 新年賀会。
埼玉県内 在住者による「さきたま会」の 催しで、年間行事中でも メインの 恒例行
事として 行われ、年齢面から  着席型 ブッフェスタイルの 昼食会として 開かれた。
参加者は 来賓の現役社員1名を除くと、高齢者というより 超高齢者の 異常な集団。
私は 大宮に転居してから参加しているが、今や 少なくなった 新年会の一つである。
会は お決まりの 式次第に沿って進行、乾杯の後はそれぞれ 懐かしい話を楽しんだ。

参加者総数67名の男女、円卓を囲んで 昔を懐かしみ 友を想い 近況を語り合った。
さらには 自分の席を離れ、他の卓を訪ねて先輩旧友と 挨拶や雑談をして過ごした。
.昔  同じ職場で仕事をした先輩や同僚で、酒や 麻雀やゴルフ等で 遊んだ仲間達だ。
『仲間に「元気?」と問えば、「元気だからここにいる ! 」との返事』と、独り言。
JTBのBOB(bureau old boy)会員は、オールドを越えたスーパーオールドな人が
大勢いるので、傘寿を迎えた私の年齢では まだまだ 中堅レベルの立場でしかない。

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冬至を迎え 我が家では

2024-12-24 08:03:07 | 地域活動・つながり

今年の冬至は12月21日で、この一年の中で 最も夜が長く 昼が短い日であった。
「冬に至る」と云うとおり、寒さが本格化する時期で 24節気 最後の期標になる。
この日を節目に 夜が短くなることから、悪運が去って 幸運期に向かうと云われる。
そして、暗く悪い事が続いた後は 明いい福がくると期待し「一陽来復」ともいう。
昔  親父の話に、朝は まだ遅れるが「日暮れが延び始まるのは 冬至10日前」と 。
母から、日に日に移る陽の影から「毎日 畳の目一本づつ日が延びる」と教わった。

そんな冬至の一般的習慣は、「柚子湯」に入る事と 「冬至カボチャ」を食べる事。
「柚子湯」に浸ると血行が良化し 風邪をひかないと云われ、香りを楽しむ ほかに
邪気を払い無病息災を授かるとされ、5月の「菖蒲湯」とともに 慣習化している。
「かぼちゃ煮」は、カボチャの別名「ナンキン」から「ん=運」がつくとひっか
けた縁起物とされ、夏野菜ながら保存食であり栄養価も高いことから重用された。
田舎で暮らした 私は、柚子もカボチャも 自家産だったから 十分過る 体験をした。

今年の 我が家の  冬至カボチャは、定番の「刻み昆布煮」と「小豆の いとこ煮」。                                     「いとこ煮」は、小豆とカボチャを 別々(めいめい)に煮た後で 合わせ煮するので                      
「姪と姪」を「いとこ」にかけたらしいが、この言葉遊びから付いた名は本当?。                                           そんな「柚子湯」と「冬至カボチャ」で冬至気分を味わい、無病息災を祈願した。
『甘い「いとこ煮」は 糖尿病に悪い、これは 無病息災に逆行だ!』 と、独り言。
冬至の後もXmas に年末にお正月と、糖尿病患者には 甘くない「甘味食」が続く。

 

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旧友四人 鎌倉で昼食会

2024-12-10 08:01:34 | 地域活動・つながり

冬の到来とともに 懐かしさも増すらしく、古い友との再会の機会が多くなっている。

11月に四回の食事会があったが、それは 中学や高校の同級生であり職場の仲間だ。

そんな旧友と再会する昼食会の 一つが、11月30日(土)に 古都鎌倉で開催された。

メンバーは四人、「北川辺」を出身地とし 小学校から高校まで同じ道を歩んだ仲間。

四人そろうのは5年ぶり、一人が相模原で事業を営んでいるため 会場を鎌倉とした。

また相模原の友には病の後遺症があり、体力的負担をかけないことも理由であった。

 

故郷に住む二人は 「栗橋」からJR湘南新宿ラインに乗り、大宮から私が合流した。

逗子行きの直通電車を「鎌倉」駅で降り、東口改札に向かうと 集合時刻の40分も

前だというのに、目の前に相模原の友が突然に現れ お互い鉢合わせする偶然に驚く。

食事の時間まで お茶を飲んで語らい、11時40分から「鯉之助」に移って昼食会。

落ち着いたお店で「お刺身膳」を囲み、乾杯し近況報告や 昔ばなし等に時を過ごす。

齢80を超えると 身体のどこかに不具合があり、話題は病気と医療と生命への感謝。

 

食後は 若宮大路に出て左折、二の鳥居から桜並木の「段葛」を歩き 三の鳥居の先で

足弱の二人を残し「鶴岡八幡宮」を参拝、大石段横のイチョウは 見事な紅葉だった。

ゆっくり路を返して コーヒータイムをとり、「鳩サブレ」を買って鎌倉駅に戻った。

相模原の友人と別れ、埼玉組は16時06分発の 直通電車のグリーン車で帰宅した。

『11月に会合が集中したが、12月の忘年会予定が今は一つもないと。独り言。

四人は体に弱みを持つが 気持に弱みはなく、足腰の具合は悪いも懐具合は悪くない。

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「伊奈 無線山」で花見

2023-04-11 08:11:24 | 地域活動・つながり

東京では 3月15日に桜の開花が宣言され、お花見も例年に比べると 大分早くなった。

大宮公園の桜は 16日に開花して、19日には 見ごろを迎え22日には満開になった。

私は習慣にしている朝の散歩中に、道筋や公園を歩きながら 12月から2月は「冬桜」

を眺め、3月上旬から「早咲き桜」の花を見ながら散歩 3月下旬には「ソメイヨシノ」

が見ごろを迎え、23日に屋台等が出て賑わう大宮公園で 満開の桜のもと かみさんと

コーヒーとお菓子のお花見、その後も「葉桜」に「八重桜」まで お花見散歩が続いた。

 

歳をとると体のアチコチに不調が出る、大宮に転居した4年前も糖尿を気にしていた。

すると市内に住む高校時代の同級生に、「通っている医院に一緒しよう」と誘われた。

友人のほかに同行者一人がいて、その一人も同級生なら訪問する医師も同級生だった。

同級生とは有り難いもの、その後もお付き合いが続いているが 今回は「お花見」をし

ようとなり、「伊奈の無線山」で25日に予定していたが事情があり4月2日に延期。

時期がズレたので花は期待できない、でも「葉桜」を見ながら「花より団子」で良い。

 

当日は曇天、そこは樹齢80年の桜並木で 花は盛りを過ぎていたがまだ少し残る状態。

「さくら祭り」も期間中で、高齢者3人はシートを敷いて 車座でのひと時を過ごした。

そこで食べたものは、露店で買った「あられ」となぜか 糖尿に悪い「饅頭」になった。

一時間ほど 葉桜を眺めながら雑談、車で移動して昼食は上尾市内の「成瀬のうなぎ」。

お花見の所で「お重」はなかったが、昼食は ウナギの「お重」で・・』と、独り言。

葉(歯)がないのに花がある熟女は「姥桜」、では歯が悪くて鼻が出る老夫は何桜なの?。

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大宮公園の大型碑 三つ

2021-03-01 17:48:27 | 地域活動・つながり
糖尿疾患を持つ私にとっては、カロリーの消化を促す運動が必須になっている。
毎朝の散歩は欠かせないもので、よほどの事情がない限り 毎日 6千~8千歩の
散歩を実行、それは氷川神社から大宮公園の一部分を回るルートが基本になる。
そこはコロナの予防条件が揃っていて、今は梅の花に春を味いつつ散歩できる。
神社には各季節の催事があり、公園には自然があって風情があり季節感がある。
その散歩中の公園で、三つの大きな記念碑を見届けたので紹介したい。

まずは「青木昆陽之碑」、公園の最西部にあり 神社の森を背に立てられている。
江戸中期にサツマイモの栽培を奨励し、飢饉の際に大いに役立った「甘藷先生」
の遺徳をしのび、後年にサツマイモが埼玉県の名産物となった縁で建てられた。
時計回りに東方向へ歩いてゆくと、ボート池を見下ろす高いところの柵内に 大
きな「皇后陛下行啓記念碑」、案内板には大正天皇のお后「貞明皇后」が 大正
9年秋に氷川神社を参拝されたことを記念して、この地に建てられたとのこと。

右に歩き県営球場前を過ぎると、林の奥に「埼玉県二代県令白根多助頌徳碑」
白根多助は初代県令を支えて権参事として赴任し、明治8年から県令を勤めた。
正六角形の立派な雨塔の中にあって、大きな石碑の全面に文字が刻まれている。
近寄れず文字は読めないが、「名県令」と慕われた翁の足跡が記されたものだ。
『大宮公園の石碑だから.「お~!見や~」なんちゃって』と、ひげ爺の独り言。
足腰の体力維持が目的の散歩も、時には頭部の脳力維持も加えるとより楽しい。

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渡良瀬遊水地なう「冬色」

2020-12-21 17:42:22 | 地域活動・つながり
上越国境が大雪で大渋滞した18日、久しぶりに渡良瀬遊水地を訪ねた。
本来は京都旅行の予定だったが、コロナの感染拡大で中止して変更した。
新幹線での2泊3日の予定が、マイカー利用の半日コースへと超短縮だ。
ロングなGoToトラベルが、ショートでマイクロなGoToウォーキングに。
道の駅で全景を展望し、遊水地内に車を進め ウオッチングタワー上から
ヨシ原の冬景色を眺め、中央広場の駐車場に車を止めて散策を開始した。

史跡ゾーンを進むと カメラを構えた集団がいる、近くにある一本の木に
野鳥の「アトリ」がいて、その姿を撮ろうとする写真愛好家たちだった。
初めて見るその鳥は、スズメに似た冬の鳥で胸元の橙色がきれいだった。
マニアのカメラはすごい、しかしシャッターチャンスはなかなか来ない。
粗末なカメラの私には、小鳥の表情どころか姿さえもうまくは写せない。
三脚もない私は諦めてそこを離れ、湖畔に沿った道を中の島方面に歩く。

谷中湖(ハート湖)は穏やかながら、湖面には冬鳥たちの群れがいない。
それでもよく見ると、カワウ・カイツブリ・マガモ・カルガモ・アオサ
ギなどが見られたが、その種も数も例年になく少なく寂しい状態だった。
中の島から戻って車で帰宅、感染予防対策とマナーの遵守は完璧だった。
『23日は父の命日、必然的に北川辺への GoTo墓参りだ』と、独り言。
行動変容できない人間が多いのに、コロナはすでに新しい変異型が出た。
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街なか散歩16〔小山宿〕

2019-01-29 09:19:34 | 地域活動・つながり
寒さが増した大寒の25日に、日光街道12番目の宿場町「小山宿」を訪ねた。
小山駅に10時の到着、西口を出て間もない旧日光街道を左折し南に歩き出す。
そこは、本陣1軒脇本陣2軒と旅籠74軒を有した宿場ながら名残は全くない。
少し進んだ右側の「脇本陣跡」には、「明治天皇行在所」の石碑があるのみだ。
旧道を進んで右折、並木参道を西に進むと4号国道を越えた所が「須賀神社」
「平将門の乱」を鎮めた俵藤太(藤原秀郷)が、天慶三年(940)に 京都の八坂神社
から分霊創建したと云われ、現在まで近郊六十六郷の総鎮守となってきた。

4号国道を北に歩き、市役所敷地内にある軍議の場「小山評定跡」に立寄った。
徳川家康が上杉討伐に向かう途中、ここで評定を行い関ケ原に軍を向かわせた。
市役所の北側広場は、徳川将軍家が日光社参の際に休息した「小山御殿」の跡。
評定跡まで戻り 役所の裏側に出ると、駐車場の西は思川の堤防になっている。
その一角に、小山繁栄の基礎を築いた「小山政光・寒川尼」の夫婦像があった。
堤を北に進むと小山城の「城山公園」で、現在は展望や桜の名所になっている。

公園の途中を右に下って 家並みに出て、左折し進むと 古刹「天翁院」がある。
俵藤太の7代目の子孫が小山政光で、この地に移って小山姓を名乗り 源頼朝に
に加勢し功をあげ、鎌倉幕府の設立後はその地位を確立してこの寺を創建した。
参拝して国道を南に市役所まで戻り、左折し駅前に来たら丁度12時半だった。
駅前の小路を南に行った所のビストロで、オムレツのランチメニューでの昼食。
『今回は、宿場町散策と云うよりも 郷土史探訪だった 』と、ひげ爺の独り言。
昔「五街道の交差地」で栄えた小山、現在でも 新幹線を含めた交通の要衝だ。
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街なか散歩15 〔間々田宿〕

2018-11-06 08:24:56 | 地域活動・つながり
11月になり郷愁を感じる2日、しばらく控えてきた宿場町散歩に向かった。
江戸から10番目の「野木宿」へ、先ず地名の元である「野木神社」を参拝。
次は車で国道4号に出て 左折し北に進めば、すぐに「野木宿」なのだが古河
三宿の中でも規模が小さかったようで、そこに宿場町の面影は見当たらない。
国道を進み本陣跡の看板「野木宿」を見て、その先の野木神社別当「満願寺」
を参拝し500m先の「道標」を確認、少し走って 馴染みの「わたなべ」で昼
そこは手打ち蕎麦の人気店で、11時10分着もすでに3組が来店していた。

食後は街道を北に車で「間々田宿」へ、駅に近い「市立車屋美術館」の駐車
場に車を停め、肥料問屋だった「小川家」の住宅と倉庫だった美術館を見学。
そこから歩いて日光道を北へ、間もなく右側に 江戸と日光の中間地点になる
「逢いの榎」があり、この辺からが旅籠50軒を有した「間々田宿」に入る。
まもなく左に「龍昌寺」があり、続いて伝統工房「間々田ひも店」があった。
その先右側に郷土和菓子店の「乙女屋」があるなど、このあたりが間々田宿
の中心地だったところで、数は少ないが古い民家や土蔵等がちらほら望めた。

さらに歩くと左側に「間々田宿本陣跡」で、建物や石碑などはなく看板だけ。
その先間々田4丁目を左折、街道を離れて500m程の「間々田八幡宮」へ。
下って上る参道など社域が広く、社殿は小さいが落ち着いた雰囲気であった。
同じ道を駐車場まで戻り、「街なか散歩」が終ったのは午後の2時半だった。
『歩行距離は6キロ強、歩数は9300歩ながら疲労感は大‼』と、独り言。
たまらず帰路の古河で一休み、コメダ珈琲のシロノワールでカロリー補給だ。
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渡良瀬遊水地 なう/秋彼岸

2018-09-25 08:01:03 | 地域活動・つながり
彼岸入りの20日、お墓参りを済ませてから秋を求め渡良瀬遊水地に行った。
堤防上の「道の駅」から遊水地全体を眺めると、台風や秋雨前線による降雨
の影響らしく、谷中湖(ハート湖)や地内の水路は ほぼ満水の状態だった。
次に 車を北エントランスから史跡ゾーンに進め、周辺を散歩してまわった。
駐車場わきの一角に、秋の七草「オミナエシ」と絶滅種「タコノアシ」が咲
いていて、役場跡の先には 絶滅種「フジバカマ」が あちこちに咲いていた。

その先の湿地はやや高低があり、ヨシ原とオギ原が入り乱れて広がっている。
ヨシは暗く薄い紫色の穂を出しており、オギはやや白色の穂を伸ばしていた。
アシとヨシ ヨシとオギ、オギにススキにカヤにスゲ等 同じ種なのか別物か?。
見て較べれば判るが、様々な経緯から呼び名も使い分けて漢字もいろいろだ。
正しく理解できずボォーとしていると、5歳の「チコちゃん」に叱られそう。
その先の延命院跡は 「ヒガンバナ」(曼珠沙華)が咲きそろい、地面を覆っ
た真っ赤な花と墓標のマッチングに、訪問者達はカメラを向けていた。

ヨシ原を抜け回遊道路からハート湖畔に出て、ウォッチングタワーに上った。
見渡すとヨシ原は出穂して色づき始め、これから穂についた花が開くところ。
付近にあるサルスベリの花を見ながら車に戻り、先日飛来した「コウノトリ」
に遭うことを期待し「鷲見台」に行ったが、何処にもその姿は見えなかった。
「初秋」を眼で見て味わったので、昼は「秋の味覚」を食して口で味わった。
『ヨシとアシとは同じ物、でもヨシとオギとは別の物』と、ひげ爺の独り言。
姿が似ている葦と荻は漢字が大違い、漢字は似ているが荻と萩は姿が大違い。
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