ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

絹産業遺産群を巡る 〔2〕

2014-10-28 09:26:32 | 旅行・秘湯・巡礼 
絹産業遺産を巡る二回目は、前橋市内や県北の山間部を訪ねることにした。
場所も遠く温泉も多くある、そこで1泊する旅として10月22日で予約をした。
紅葉も目当てに日程を決めたその日、気象情報では雨の一日になるという。
朝ドラを見て8時半に出発し、東北道の佐野サービスエリアでコーヒータイム。
小雨の降る北関東道を進み、駒形インターを降りて 前橋の市街地に向かう。
最初の訪問地 「旧勝山社煉瓦蔵」 は、大通り裏のビルや街家の中にあった。
明治中期の倉庫で、小さいが貴重な建物は飲食店として再利用されていた。

相変わらず霧雨が降る中、少し北にある「旧安田銀行担保倉庫」を外観見学。
大きな煉瓦倉庫で、絹産業が地域経済に果たす役割の大きさを感じさせる。
さらに北に車を進め、郊外に出て丘陵地にある 「船津伝次平の墓」を訪ねた。
墓地にある普通の墓ではあるが、船津伝次平は日本三老農の一人と云われ、
桑栽培の研究をはじめ 農業の近代化や教育者として社会に貢献したという。
さらに北上し渋川市に入り、駅の裏に近い「下郷の大クワ」を見て昼食を取る。
上州で利根川沿いなら昼食はうどんだ、それも煮込みの「おきりこみ」になる。

雨は降ったり止んだり、車を西に向け小渕大臣辞任の震源地中之条を通過。
問題になった「八ッ場ダム」の地を過ぎ、長野原の先で右に山道を入って行く。
旧六合村の中心集落を越え、川向いの「六合赤岩養蚕農家群」を散策した。
山を背にした南面集落には、養蚕を営みとした家や蔵などが多く残っている。
『六合と書き「くに」と読ますが、ちょっと読めない地名だ』と、ひげ爺の独り言。
秘湯を訪ねて良く通った道、そんな裏街道を通って行く草津温泉が今日の宿。
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渡良瀬遊水地 なう〔秋歩〕

2014-10-21 08:04:13 | 地域活動・つながり
秋も深まった10月18日、東武鉄道柳生駅前に 男だけの年配者が集まった。
この異様な団体は、春日部高校同窓会が行う 「春高ウォーク」参加者である。
今年は渡良瀬遊水地で行うことになり、同窓生90名が集う 「秋団」になった。
地元の北川辺春高会が 受け入れに協力し、私もお手伝いすることになった。
そして行動は、バスやキャパの都合で交互に入れ替わる 二組分割となった。
私は後輩と、バスで先発するB組の誘導や案内役を引き受けることになった。

バスは 柳生駅前を午後1時に出発し、堤防上の「道の駅」にある「遊学館」に
立ち寄り、3階から秋の遊水地を展望することで その広さを理解してもらった。
眼下に見えるハート湖は満々と水をたたえ、ヨシ原は秋の気配を濃くしていた。
続いて 北エントランスから遊水地内に入り、渡良瀬川の本流を越えた鷹見台
で下車、第二と第三調整池を眺望してもらい 広さと歴史を少し説明した。
期待した猛禽類の姿は見えなかったが、前日光の山や筑波山が遠望できた。
学習センターに移動し、遊水地の概要ビデオやラムサール条約の解説などを
受けていよいよ本格的なウォーク開始、参加者は年齢の割にみんな元気だ。

まず旧谷中村役場跡で先輩の名調子な語りを聞き、同輩からの貴重植物の
説明と観察に続いて延命院跡で谷中村の歴史話を聞いて谷中湖畔に出た。
中の島から下宮橋経由 堤防と国道を越え、埼玉群馬栃木の三県境へ出る。
三県を「ひとまたぎ」して 懇親会場に5時到着。合計歩数は9460歩だった。
「懇親会は年増男ばかり、最高齢は93歳の元気者だ」 と、ひげ爺の独り言。
最後は超元気に校歌を斉唱したが、無事に家まで帰れるのか心配になった。
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軽井沢の別荘でクラス会

2014-10-14 08:15:19 | 旅行・秘湯・巡礼 
私の旅は常に良いお天気に恵まれ、自身「晴れ男」と自負しているのである。
ところが高校の同窓クラス会旅行だけは、よくよくアクシデントに見舞われる。
4年前は日光で思わぬ雪、3年前の春は前日に東北大震災が発生している。
近年は春の温泉旅行に加え、仲間の軽井沢別荘で 秋のクラス会が定番化。
それも昨年秋の旅などは、大型台風に遭遇する中で強行するという具合だ。
そんなわけで、年二回のクラス会旅行は「何かがある」 が前提になっている。

今年の秋は、10月の三連休を利用した 軽井沢2泊の滞在型旅行になった。
ところが、またまた大型の台風19号を心配しながらの軽井沢行きとなった。
11日の10時に家を出発し、中軽井沢で 昼食と買い物をして別荘に入った。
4時過ぎから「トンボの湯」に浸かり、5時からは「村民食堂」で 夕食と歓談。
両施設とも、地元の資産家「星野温泉」が所有地に作った営業施設である。
12日の午前は千ヶ滝の散策、40分程周辺を歩いて滝と紅葉を眺めてきた。
昼はバーべキューで ワイガヤの時を過ごし、夕から夜は和食での「ENKAI」。
その間の主食づくりは、北川辺コシヒカリの新米を炊くのが ひげ爺の仕事だ。

台風の進行は予想を超える遅さで、軽井沢ではだれも心配する様子がない。
13日は少し早めに起床し、朝食をとって後片付けやゴミ出しをして出発した。
昼前に加須市に到着し、台風の影響も雨もなく 恩師の納骨式に参列できた。
恩師は数学の教師、台風の方向と速度を計算して 私達を待っていたようだ。
『軽井沢別荘の「暮らす会」は、またまた無事終了した』 と、ひげ爺の独り言。
お墓を離れたら雨になり、急に速度を上げた台風は 夜中に関東を通過した。
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絹産業遺産群を巡る 〔1〕

2014-10-07 07:53:42 | 旅行・秘湯・巡礼 
一昨年に、群馬の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録された。
富岡製糸場と、相互連携にある田島弥平旧宅と高山社跡と荒船風穴である。
この登録4資産のほかにも、絹産業の遺産は群馬県と埼玉県に数多くある。
そこで、我が家から遠くはないそれらの遺産群を見学して回ることにした。
一回目は、自宅に近い館林市にある「旧上毛モスリン事務所」から始まった。
館林城跡に設立された旧織物会社事務所で、明治後期の洋風建物になる。
内には、館林に縁ある美智子皇后の祖父が使用した馬車も展示してあった。

館林から下道を走り、桐生駅に近い 旧模範工場桐生撚糸事務所を訪ねた。
撚糸(ネンシ)とは、絹糸を作る加工工程の一つで 糸を撚る(よる)ことと云う。
次に「金善ビル」へ、金善織物会社が大正時代建てた鉄筋コンクリート建築。
続いて市の北東部にある「旧金谷レース工業」、そこは桐生名物の ノコギリ
屋根の美しい 赤レンガ造り建物で、今はパン工房とそのお店になっている。
その隣にある和風旧宅で、桑の葉を擦り込んだ「ヘギそば」の昼食をとった。

食事後は赤城山の南麓を西に向かったが、そこは養蚕業が盛んだった地域。
そして前橋市域に入り、大室公園の保存されている「旧関根家住宅」を見学。
繭(まゆ)を作る「かいこ」を飼うため、明かり窓を持つ茅葺屋根が特徴である。
土間や間取りなど、似ている昔の我が家を懐かしく想いつつ 帰路についた。
『絹で栄えた街名は、桐生でなく 桑生か絹生でもいい』 と、ひげ爺の独り言。
桐生で食べた桑葉入りのお蕎麦で、私のお腹は桑腹で「くわはら/くわばら」。
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