「大寒」を迎えた途端に寒さが増してきて、地域によっては雪被害が発生している。 「子供は風の子 大人は火の子」というが、火鉢も囲炉裏もない今は 老人も風の子?。
寒いが風は弱い28日、風の子老人は10時前に自宅を出て「飛鳥山」に向かった。
JR王子駅の「親水公園口」を出て、音無川(石神井川)に沿って遊歩道を西に歩いた。
ほどなく右手につづら折り坂道があり、手すりを頼りながら上りきると「王子神社」
の境内で、進んだ左手に鳥居があり右手に社殿があったのでまずは本殿に参拝した。
鳥居方向に戻ってその先の 区役所前を左折し、南に「音無橋」から明治通りを少し
歩き横断橋を渡って左側の丘「飛鳥山」に入り、整備された公園のベンチで一休み。
南に歩き「三つの博物館」の見学、まずは3館共通券を求め「紙の博物館」に入る。
館内には、日本の紙産業の歴史や抄紙の製作工程などが詳しく展示説明されていた。
続いて「北区飛鳥山博物館」で昼食、妻の強い要望で糖尿に悪い「おはぎセット」。
館内では地域の歴史や民俗を学び、縄文の丸木舟や貝塚の断面剥ぎ取り標本に感嘆。
三つ目は「渋沢資料館」、旧渋沢邸に建てられた建物で 近代日本の経済発展の基礎
を築いた渋沢栄一を顕彰する博物館、展示や資料から翁の足跡を学ぶことが出来た。
最後に旧渋沢庭園に入り、「青渕文庫」「晩香盧」等を廻って観て見学を終了した。
飛鳥山西端に沿った道路の六石坂を下り、王子駅に戻って一休みのコーヒータイム。
『博物館を三つも梯子、全て熱心に勉強したので頭が・・?』と、ひげ爺の独り言。
頭も疲れたが足も疲れたようで電車の中では居眠り、でも無事に北区から帰宅した。
今年のNHK大河ドラマは「どうする家康」で、放送は 年明け早々にスタートした。
一昨日その2回目が放送されたが、史実とは思えない脚色の強いストーリーと C G
による背景や乗馬姿等の画像が、ドラマとは言え 歴史好きの私に戸惑を感じさせた。
しかし大河を永年見続けてきた私は、これから一年間 お付き合いをすることになる。
今までの大河ドラマでも、原稿本を読んだりゆかりの地や建物を訪ねたりしてきた。
そこで ドラマの進行に合わせ、山岡荘八の小説「徳川家康」を再読することにした。
歴史小説好きのひげ爺は、山岡荘八や司馬遼太郎の作品は 殆ど読んで保有していた。
住居移転の際に 蔵書の多くを処分してしまったが、再読の可能性ある幾つかの 歴史
小説だけは 新居に持ち込んだもので、小説「徳川家康」全26巻はその一つだった。
25年前に求めた文庫本で、10年前にも再読してはいるので 今回が三度目になる。
ドラマが放映する時代は今「桶狭間」後なので、4巻まで 急ぎ読んで追いつきたい。
そしてドラマ進行に合わせて 小説を読み進め、テレビと小説と小旅行で楽しみたい。
改めて読んで感じたことは、二度読んでいても 細かい内容を意外に忘れていること 。
また使われている漢字や熟語と 文章表現の一部が、これほど難しいものだったかと。
テレビでの 現代的表現と比べながら、つくづく「脳力」が衰えたのかと案じている。
いや小説完成が1967年であるから、それは「時代」「作風」の問題でもあるようだ。
『とはいえ 視力の衰えは間違いなく、老眼鏡や拡大鏡が手放せない!』と、独り言。
これから一年間 、ドラマは「どうする家康」で私は「どうするひげ爺 」になりそう。
一昨日その2回目が放送されたが、史実とは思えない脚色の強いストーリーと C G
による背景や乗馬姿等の画像が、ドラマとは言え 歴史好きの私に戸惑を感じさせた。
しかし大河を永年見続けてきた私は、これから一年間 お付き合いをすることになる。
今までの大河ドラマでも、原稿本を読んだりゆかりの地や建物を訪ねたりしてきた。
そこで ドラマの進行に合わせ、山岡荘八の小説「徳川家康」を再読することにした。
歴史小説好きのひげ爺は、山岡荘八や司馬遼太郎の作品は 殆ど読んで保有していた。
住居移転の際に 蔵書の多くを処分してしまったが、再読の可能性ある幾つかの 歴史
小説だけは 新居に持ち込んだもので、小説「徳川家康」全26巻はその一つだった。
25年前に求めた文庫本で、10年前にも再読してはいるので 今回が三度目になる。
ドラマが放映する時代は今「桶狭間」後なので、4巻まで 急ぎ読んで追いつきたい。
そしてドラマ進行に合わせて 小説を読み進め、テレビと小説と小旅行で楽しみたい。
改めて読んで感じたことは、二度読んでいても 細かい内容を意外に忘れていること 。
また使われている漢字や熟語と 文章表現の一部が、これほど難しいものだったかと。
テレビでの 現代的表現と比べながら、つくづく「脳力」が衰えたのかと案じている。
いや小説完成が1967年であるから、それは「時代」「作風」の問題でもあるようだ。
『とはいえ 視力の衰えは間違いなく、老眼鏡や拡大鏡が手放せない!』と、独り言。
これから一年間 、ドラマは「どうする家康」で私は「どうするひげ爺 」になりそう。
あけましておめでとうございます
今年も隔週でブログ投稿する予定です どうぞよろしくお願いいたします
年の瀬も「アッ」という間に過ぎ、一昨日が元旦で「令和五年」の年明けを迎えた。
街中に華やかさはなく、「門松」「日の丸」「和装姿」等はほとんど見あたらない。
歳をとったせいなのか世の中が変わったのか、特別な気分のない年末年始になった。
暮れの大掃除は簡単な「小掃除」になり、ゴミや捨て物も通常のゴミ処理で済んだ。
玄関に小さなお飾り一つ、お供えも小さな重ね餅が二カ所だけでカレンダーも一枚。
大晦日も除夜の鐘を聞かずに床に入り、元旦の朝も形ばかりの儀礼と祝い膳だった。
「お節料理」も大半が「出来あい物」で済ませ、手作りの料理は限りなく省略した。
そんな味のないお正月になったのも、ひげ爺が望んで簡略化したからに他ならない。
老齢化した夫婦には、慣習が時には負担になり 必要だったことが不必要になり出来
たことも出来なくなる、それらを整理し「終活的」にマンション生活を選んだのだ。
それでも元旦は氷川神社へ、古神札を返納し「神宮大麻」を求め自宅神棚に納めた。
そんな新年を迎え願うこと、その第一は自分と家族の家内安全/息災延命で、続いて
重篤闘病中の義姉義兄の病気平癒、そして親族/知人の健康/開運と心願成就になる。
さらにコロナ感染の収束とウクライナ紛争の終息、社会と経済の安定と発展である。
『人間が起こす問題は、人間が解決すべきだし人間しか解決出来ない』と、独り言。
地球温暖化・食料問題・戦争紛争・核危機・人権や宗教問題、全てが人間の問題だ。
今年も隔週でブログ投稿する予定です どうぞよろしくお願いいたします
年の瀬も「アッ」という間に過ぎ、一昨日が元旦で「令和五年」の年明けを迎えた。
街中に華やかさはなく、「門松」「日の丸」「和装姿」等はほとんど見あたらない。
歳をとったせいなのか世の中が変わったのか、特別な気分のない年末年始になった。
暮れの大掃除は簡単な「小掃除」になり、ゴミや捨て物も通常のゴミ処理で済んだ。
玄関に小さなお飾り一つ、お供えも小さな重ね餅が二カ所だけでカレンダーも一枚。
大晦日も除夜の鐘を聞かずに床に入り、元旦の朝も形ばかりの儀礼と祝い膳だった。
「お節料理」も大半が「出来あい物」で済ませ、手作りの料理は限りなく省略した。
そんな味のないお正月になったのも、ひげ爺が望んで簡略化したからに他ならない。
老齢化した夫婦には、慣習が時には負担になり 必要だったことが不必要になり出来
たことも出来なくなる、それらを整理し「終活的」にマンション生活を選んだのだ。
それでも元旦は氷川神社へ、古神札を返納し「神宮大麻」を求め自宅神棚に納めた。
そんな新年を迎え願うこと、その第一は自分と家族の家内安全/息災延命で、続いて
重篤闘病中の義姉義兄の病気平癒、そして親族/知人の健康/開運と心願成就になる。
さらにコロナ感染の収束とウクライナ紛争の終息、社会と経済の安定と発展である。
『人間が起こす問題は、人間が解決すべきだし人間しか解決出来ない』と、独り言。
地球温暖化・食料問題・戦争紛争・核危機・人権や宗教問題、全てが人間の問題だ。