ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

ひげ爺菜園 冬だより①

2018-11-20 07:52:28 | 家庭菜園・庭・花 

立冬を迎え、ひげ爺菜園は秋野菜が減って徐々に冬野菜が中心になってきた。
サトイモ「土垂」は、お彼岸に初掘りしてけんちん汁で「秋の初物味覚」を
味わったが、その後は必要な時に掘って自家使用のほか親戚にもお届けした。
もう1種の「八つ頭」イモは、7月に茎を干して作った「イモガラ」は食べ
たがイモはまだ収穫せず、お歳暮替わりやお正月の食材用に畑に残してある。
3月末に種を播いた春まきの「根深長ネギ」は、成長の過程で4月末に一度
移植したあとの7月に、深溝を掘って再移植し11月に入って収穫を始めた。
8月下旬に種まきした白菜「金将」は、9月中旬に畑に高畝を作り定植した。
台風被害も軽くてすみ、順調に育ってきたので結球を促すため紐でまるった。
出来栄えは良く、来週から食べ始めて冬野菜の主役を長く務めることになる。
他に大根や秋ジャガ等の収穫も始まるが、それは次回のブログで紹介したい。

冬野菜ではないが、来年の初夏に収穫する「タマネギ」の苗を畑に定植した。
植え付けたのは、9月下旬に種まきして育てた普通種と赤玉種の2種類の苗。
事前に施肥し耕した植え床に、「穴あき黒マルチ」を敷いて周りを土で固定。
それから5日を経た11月4日、マルチ穴に2種210本の苗を植え付けた。
今ではその苗が無事に根付き、横に寝ていた茎が上を向いて太くなってきた。
この後は寒さと乾き過ぎに注意し、2月と3月に施肥して6月の収穫を待つ。
汗をかく夏が終わったら、旅行や行事が続き「馬肥ゆる秋」を過ごしてきた。
初冬の畑仕事は、収穫などの軽作業が中心で摂取カロリーを消化しきれない。
採血結果は血糖数値が急上昇、美人女医から厳しく叱られたと、独り言。
これから宴席が多い、「立冬が立糖で大雪は大切」と言ってる場合ではない。
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街なか散歩15 〔間々田宿〕

2018-11-06 08:24:56 | 地域活動・つながり
11月になり郷愁を感じる2日、しばらく控えてきた宿場町散歩に向かった。
江戸から10番目の「野木宿」へ、先ず地名の元である「野木神社」を参拝。
次は車で国道4号に出て 左折し北に進めば、すぐに「野木宿」なのだが古河
三宿の中でも規模が小さかったようで、そこに宿場町の面影は見当たらない。
国道を進み本陣跡の看板「野木宿」を見て、その先の野木神社別当「満願寺」
を参拝し500m先の「道標」を確認、少し走って 馴染みの「わたなべ」で昼
そこは手打ち蕎麦の人気店で、11時10分着もすでに3組が来店していた。

食後は街道を北に車で「間々田宿」へ、駅に近い「市立車屋美術館」の駐車
場に車を停め、肥料問屋だった「小川家」の住宅と倉庫だった美術館を見学。
そこから歩いて日光道を北へ、間もなく右側に 江戸と日光の中間地点になる
「逢いの榎」があり、この辺からが旅籠50軒を有した「間々田宿」に入る。
まもなく左に「龍昌寺」があり、続いて伝統工房「間々田ひも店」があった。
その先右側に郷土和菓子店の「乙女屋」があるなど、このあたりが間々田宿
の中心地だったところで、数は少ないが古い民家や土蔵等がちらほら望めた。

さらに歩くと左側に「間々田宿本陣跡」で、建物や石碑などはなく看板だけ。
その先間々田4丁目を左折、街道を離れて500m程の「間々田八幡宮」へ。
下って上る参道など社域が広く、社殿は小さいが落ち着いた雰囲気であった。
同じ道を駐車場まで戻り、「街なか散歩」が終ったのは午後の2時半だった。
『歩行距離は6キロ強、歩数は9300歩ながら疲労感は大‼』と、独り言。
たまらず帰路の古河で一休み、コメダ珈琲のシロノワールでカロリー補給だ。
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